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舞-HiME 小説版



幕間


「お告げが下った……」
 老婆の声が、あたりに響いた。

《一番地》評定所。
 麝香によく似た薫りが、少女の洋服の繊維の隙間に染み込んでいく。
 薫りは濃い霧のようにあたりに充満しているが、どこにも香が焚かれている様子はなかった。
 少女は知っている――薫りは悠久の年月をかけてこの地下のあらゆる場所に染み込み、まるで生き物の体臭のように、自然にそれを漂わせているのだということを。
 小さな唇をそっとひらき、浅く息を吸うようにゆっくりとあたりに視線をやる。
 燃え続けるかがり火が照らす広間の中央には巨大な石造りの星時計。そこから一本の通路が伸びている。石畳で作られた通路の両脇には、整然と朱塗りの柱が並び、その先の檜舞台まで続いていた。
 一段高い舞台には御簾が垂らされ、その向こうにはいくつかの小さな人影が見える。
「舞を始めよ……」
 影の発した、甲高い、鼓膜に引っかかるような声。
「祭が始まる……」
 車椅子の少女は視線を上げ、御簾にべっとりはりついたかのような、老婆の影をみつめると、ここへ来てはじめて口を開いた。
「舞を……ですか」
 老婆はその言葉が聞こえなかったかのように、続けた。
「星が近づいておる……」
 別の老婆の声。
「星が迫り、世界が揺れる……《蝕》が近い」
 蠢く老婆たちの衣擦れの音と、はぜる薪の音が重なる。
「夷狄どもの脅威は去った。此度の祭の邪魔をする者はもうおらぬ……」
 少女は舞台の上、御簾の向こうに座す数人の老婆の影にまた頭を垂れた。
「そうじゃ……」
 同意するようにまた別の老婆の声。
 どの声も、すぐには聞き分けられないほど似ていた。
「この日の本を、いまひとたび秀真国として……」
「大いなる栄えのときを迎えるために……」
「娘たちを導き、此度の祭を必ず成功させるのじゃ……」
「媛星の力を御する力を備えた姫巫女たちを……」
「媛星の微をその身に宿す巫女たちを封架の地に捧げよ……」
「黒曜の君も――じきにお目覚めになる……」
「祭じゃ……」
 揺れる枯れ穂がかさかさと騒ぐような、引きつった笑い声。
 そのなかで車椅子の少女――風花真白はガラス玉を思わせる透明な瞳を伏せ、なにかの痛みに耐えるようにきつく唇を噛みしめた。

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