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ベ ル サ イ ユ の ば ら

第39話 「あの微笑はもう還らない」


空は、まるで血で染められたように朱かった。
川沿いを、共に市民軍についた衛兵隊を率いて進む、
オスカルとアンドレ。
橋のたもとに差し掛かり、橋の上に向かう階段を昇ろうとした時、
国王軍の見張りと鉢合わせ。
先頭のオスカルは、その見張りとほぼ同時に銃を撃った!
オスカルの弾は、見張りに命中。
敵の狙いは、大きくオスカルを逸れたが…
「隊長ー!!」
衛兵隊員の叫び声に振り向くオスカル。
するとそこには、血の滴る左胸を押さえ、
両脇を衛兵に支えられるアンドレの姿が!!
「アンドレ…」
アンドレは、オスカルの方へ右手を伸ばしながら1歩…2歩、
「オ…ス…カル……」
そして、ばったりと倒れた。
「アンドレ…」
駆け寄るオスカル。
「アンドレ…、アンドレ!アンドレーーーっ!!」


夕暮れの、荒れたパリの町を、
ひたすら馬を飛ばすオスカルたち。
先頭を行く白い馬のオスカル、
その後に、アンドレを抱えた衛兵の馬が続く。
「アンドレ、頑張れよ!もうすぐ医者に診せるからな!」
衛兵の言葉にも、アンドレの反応はない…
オスカルは、何度もアンドレの方を振り返りながら、
必死に馬を走らせた。
と、目の前に国王軍の鉄砲隊の列が!!
「ひるむなー!中央を突破せよーーー!!」
そう叫んで、隊列に突っ込んでいくオスカル。
国王軍は、一斉に発砲!
しかしオスカルたちは、その弾の雨をものともせず、
国王軍の兵士たちを蹴散らしながら、中央を走り抜ける。
「道を開けろ!!どけ、どけ、どけーーっ!!」

― 重傷のアンドレを乗せたアラン(元フランス衛兵隊班長、
オスカルと共に市民軍についた)の馬を守りながら、
衛兵隊員たちは、包囲網を突破する。
アンドレを死なせてはならない…
血を吹くアンドレの胸の傷は、オスカルを逆上させていた。
降り注ぐ銃弾の中を、オスカルは走る。
アンドレを助けるためならば、もう怖いものなんかない! ―

なんとかオスカルたちは、市民軍の基地へと戻ってきた。
「衛兵隊だ!衛兵隊たちが帰ってきたぞ!」
市民軍の見張りが、ガレキの上から皆に叫んだ。
「えっ?」
こんなに早く戻る予定ではなかったのに…と、
ロザリー(オスカルに仕えていた侍女)はじめ、皆が、
心配そうにオスカルたちを出迎える。
皆が取り囲む中、アンドレをそっと道に敷いた毛布に寝かすオスカル。
「アンドレ…?」
ベルナール(革命を志す新聞記者でロザリーの夫)が駆け寄る。
「ベルナール、すまないが急いで医者を…」
オスカルは、苦しそうに息づくアンドレに顔を近づけた。
「しっかりしろ、アンドレ。もう安心だ!もうすぐ医者が来る。」
アンドレは、荒い呼吸の中、もうほとんど視力のない右目で、
必死にオスカルの顔を見ようとしていた。
ベルナールが、ガレキの上に飛び乗って叫んだ。
「みんな聞いてくれ!元衛兵隊員、アンドレ・グランディエが、
重傷を負って帰った来た!
誰でもいい…、医学の心得のある者は名乗り出てくれ!
急ぐんだ!何が何でも仲間を一人助けたい!!」
すると、一人の男が、すぐに前に進み出た。
「私はグラビディリ地区の開業医だ。けが人を診よう。」
そしてもう一人、
「私も力になろう!外科は専門だ!」

― 2人だけではなかった。民衆の中からアンドレのために、
10人を越える医者が名乗り出た。
だが… ―

夕陽の沈みかけた空に、教会の鐘が鳴り響き、
真っ白なハトの群れが、家路を急ぐかのように飛んでいく。
担架に乗せられ、協会の近くの仮設ベッドに運ばれたアンドレは、
空をじっと見ていた。
「日が…日が沈むのか…オスカル…」
「うん、今日の戦いは終わった…。
もう銃声ひとつしないだろ…?」
オスカルは、やさしく、そしてささやくように答えた。
「ハトが…ネグラに帰ってゆく…音がする…」
おおきくうなずいてみせるオスカル。
ベルナールが、アンドレを診た医者にそっと尋ねた。
「どうですか?アンドレのケガは…」
「弾は心臓を真っ直ぐに貫いている…まだ息があるのが
不思議なくらいです…残念ですが、もはや手の施しようが…」
医者は、そう言ってうなだれた。
ベッドの横にひざまづくオスカルの方へ、
アンドレが、ゆっくりと手を伸ばした。
その手を、しっかりと握りしめるオスカルの目から、
大粒の涙がこぼれた。
「…どうした、オスカル…。何を泣いている…?」
「アンドレ…、式を挙げて欲しい。
この戦いが終わったら、私を連れて地方へ行って、
どこか田舎の小さな教会をみつけて…
そして、結婚式を挙げて欲しい…。
そして神の前で、私を妻にすると、誓って欲しい…」
オスカルは、もはや軍人ではなく、ひとりの…
男を愛するただの女になっていた。
握ったアンドレの手を、涙で濡れた自分の頬に押し付け、
オスカルは目を閉じた。
「もちろんだ…そうするつもりだよ、オスカル…
そうするつもりさ…
でも、オスカル…何を泣く?なぜ泣くんだ…
オレはもう…ダメなのか……?」
ハッとするオスカル…、黙って見守る民衆や衛兵たち。
「…何をバカなことを!アンドレ!!」
オスカルの強い言葉に、
アンドレは少し安心したように微笑んだ。
「そうだね…そうだ…そんなはずはない…
すべては、これから始まるんだから…
オレと…おまえの愛も…
新しい時代の夜明けも…
すべてが…これからなんだもの…
こんな時に、オレが死ねるはずがない…
……死んで……たまるか…………」
アンドレの目から、一筋の涙が流れ落ちた。
「いつかアラスへ行った時、2人で日の出を見た。
あの日の出を、もう一度見よう、アンドレ。
あの素晴らしかった朝日を…2人で。
2人で、生まれてきて…、出会って…、そして生きて、
本当によかったと思いながら…」
オスカルはそう言って、
もう一度アンドレの手を、自分の頬に押しつけた。
しかし…
「……!!…アンドレ……アンドレ!」
…アンドレの唇は、
もう二度とオスカルの名を呼ぶことはなかった。
ぼう然と立ち上がり、アンドレを見つめるオスカル。
ベルナールの胸に泣きくずれるロザリー。
帽子をとって頭を垂れるアラン。
すっかり日の暮れた教会の広場で、
そこにいた人々すべてが、深い悲しみにくれた。
紫色の空に、星がひとつ、ふたつ…尾を引いて流れる…
悲しい沈黙が、広場全体を覆っていた。
やがて、強い風がアンドレに掛けられていた毛布を
巻き上げるほどに揺らした時、
オスカルの体の中から、
堪えていたものが一気に外へ噴き出した。
「アンドレーーーーーーーっ!!
私を、置いていくのかーーーーーっ!!
ああああ…ああああああ…」
人目をはばからず、オスカルは泣き叫んだ。
「あああ…アンドレーーー、ああああ…」

― アンドレの遺体は、昼間の戦闘で死んだ衛兵隊員や市民の遺体と共に、
広場の近くにある小さな教会の中に安置された。 ―

教会の入り口の階段に、一人座るオスカル。

夜もふけた頃、衛兵隊員たちは、カードに興じていた。
「そう言やあアンドレのやつ、オレたちとは、
ついに一度もカードはしなかった。」
「ああ…、どこか、こう…変わってたな。」
「よう、アラン、やらねえか?どうも今日はのらねえんだ。」
中の一人が、黙って目を閉じているアランに声を掛けた。
「…またにしとくよ。」
静まり返った夜空に、カードを切る音だけが響く。
「隊長はどうした?まだ教会の前か?」
「…ああ。」
細い木の枝をくわえて、ゆっくりと立ち上がるアラン。

オスカルは、じっと、アンドレが眠る教会の前に座っていた。
「冷えるぜ、今夜は。」
アランがやってきて、オスカルの肩にコートを掛ける。
「隊長、安っぽい慰めは言いたかねぇが、アンドレは幸せモンだよ。
あんたへの想いが、一応は通じたんだからよ…。
元気出せや…。」
かつて、オスカルを愛したことのあるアラン…。
それだけ言って、立ち去ろうとしたが、
「アラン、待ってくれ…」
それを、オスカルが引き止めた。
「明日からの我が隊の指揮は、おまえに頼む。
私は…私はもう、みんなを引っぱっていけそうもない。」
弱気なオスカルの言葉に、
アランは背中を向けたまま、ちょっと声を荒げた。
「やめなよ、オスカル!そんなこと言い出したらキリがねえ。
あんたの深い苦しみとは、比べようもねぇだろうが、
ヤツが逝っちまって傷ついてるのは…
あんただけじゃねぇ。」
いつも強気のアランの目から、涙が溢れた。
気持ちを吹っ切るかのように、くわえていた木の枝を
プッと地面に吹き捨てるアラン。
「朝までには、みんなの前に顔を出してくれや。
すべてはこれからなんだからよ。」
アランは、オスカルの方は振り向かず、そのまま立ち去っていった。
その時…
「うっ…!!」
激しく咳込み、階段から転げ落ちるオスカル。
倒れたオスカルの手に握られた真っ白なハンカチが、
血で真っ赤に染まっている。
起き上がり、よろよろと歩き出すオスカルだったが、
何度も咳込み、そしてそのたび血を吐いた。
…この時、オスカルはすでに胸の病に侵されていたのだ。
壁にもたれて苦しむオスカルの目の前に、
愛馬が姿を現した。
真っ白な体を震わせて、まるでオスカルに
「お乗りなさい」とでも言うように…。

オスカルの脳裏に、
水辺を白馬に乗って走る自分の姿が浮かんだ。
キラキラと光を乱反射する水しぶき…
そのとなりには、あの栗毛の馬に乗ったアンドレが
いつの間にか走っている…
やさしい笑顔で、オスカルを見つめるアンドレ。
やがてオスカルは、アンドレに抱かれて一緒に白馬に乗り、
手綱を握るアンドレの胸にそっともたれかかる…。
オスカルの頭の上に、愛しそうに自分の頬を重ねるアンドレ…

白馬をみつめるオスカルの目から、とめどなく涙が溢れた。
オスカルはふらふら白馬に近づき、背中に乗ると、
思い出をいっぱい抱きしめて馬を走らせた。
走りながらオスカルは、
まるでアンドレに包まれているように…
安らかで幸せな…
そんな気持ちになっていった。
次々と目に浮かぶアンドレとの思い出。
こうして馬を飛ばしていれば、それが永遠のものになる…
オスカルには、そんな風に思えた。
橋の上には、国王軍の見張りが数人立っていたが、
まるで、そんなものは目に入っていなかのように、
構わず走り続けるオスカル。
見張りは、慌てて発砲!
その弾は、オスカルの愛馬に命中した…。
体をくねらせて倒れる白馬…投げ出されるオスカルの体。
目を閉じ、動かなくなった愛馬を見た瞬間、
オスカルの、あのアンドレとの美しい思い出が、
音を立てて崩れていくようだった。
頭の中に広がっていた情景は、
一瞬にして、消えて無くなった。
「謀反を起こした衛兵隊の女隊長だ!」
「捕らえろー」
国王軍の兵士たちが、あっという間にオスカルを取り囲んだ。
しかし、慌てる様子もなく、
そっと腰の剣を抜いて構えるオスカル。
オスカルは、襲い掛かる敵を身をよけてかわす。
何人一度に掛かってきても、
オスカルに傷を負わせることは出来なかった。
「お、おい…、こいつ泣いてやがる…」
一人の敵兵が、オスカルの涙に気がついた。
ちょっと驚いて足を止める敵兵たちの真ん中で、
オスカルは、思い切り叫んだ!
「わぁーーーーーーーーーっ!!」
その気迫に押され、敵兵たちは思わず後ずさる。
泣きながら敵に向かっていくオスカル。

〜 愛していました、アンドレ…
おそらくずっと以前から…
気づくのが遅すぎたのです。
もっと早く、
あなたを愛している自分に気づいてさえいれば
2人はもっと素晴らしい日々を送れたに違いない…
あまりに静かで、あまりにやさしく、
あなたが私のそばにいたものだから、
私は…
その愛に気づかなかったのです。
アンドレ…許してほしい…
愛は、裏切ることより、愛に気づかぬ方が
もっと罪深い… 〜

後から後から溢れる涙を拭おうともせず、
敵をかわし、そして走り去るオスカル。

オスカルは、街角にたたずみ、
星空にアンドレの面影を重ね合わせた。

〜 アンドレ…答えてほしい…
もはや、
すべては終わったのだろうか… 〜


市民側衛兵隊 基地

「班長!アラン班長!!」
仮眠をとっていたアランを、けたたましく起こす衛兵。
「…なんだ?」
「オスカル隊長が消えました!教会の前はおろか、
広場の周りにも見当たりません。あのう…どうしましょう?」
「バカやろう!うろたえんな!!朝までには必ず帰ってくる。
心配するな!…そうみんなに言っておけ。」
アランは、オスカルを信じていた。
必ず、必ず帰ってくると…!
そこへ雨が降り出した。
「…あ、いっけねぇや、降り始めやがった。」


街角

アランのコートを羽織って、
壁を支えにしながら歩くオスカルにも、
容赦なく空は雨粒をたたきつけた。
「ゴホ…ゴホ…」
時々咳き込みながら、まるで夢遊病者のように、
フラフラと町をさまようオスカルの横に、
少女が、大きな男を背負って歩いてきて倒れた。
…男はもう、死んでいるようだ。
「あ、父ちゃん、ごめん。痛かった?
セーヌはすぐそこだから…
父ちゃん、いつも言ってたもんね、
死んだら、必ずセーヌへ流してくれって…。」
少女は、もう一度父親を背負うと、よろよろ歩き出す。
そして、セーヌ川のほとりへ着くと、
父親の体を、川へ流してやった。
仰向けに、ゆっくりとセーヌを下ってゆく父親に聞かせるように、
少女は、風琴を奏でながら、唄うようにつぶやいた。
「『セーヌの流れは止まりゃあしない』
…父ちゃんの口癖だった。
『それでもいつもセーヌは流れる…
悲しいこと、辛いこと、すべてを飲み込みセーヌは流れる…
ずっとずっと夜は続くが、やがて日が昇り、明るい朝になる。
涙した人はドアを開く。するとそこに…
いつものようにセーヌが、滔々とやさしく流れている…』」
黙って、少女のつぶやきを聞いていたオスカル…
人々の悲しみをたたえて流れるセーヌを、
じっとみつめていた。


市民軍 基地

「まもなく、7月14日の朝が明ける。」
ベルナールが、市民の代表者を集めて話し始めたところへ
アランがやって来た。
「アラン、待っていたよ。君にも、衛兵隊代表として話を聞いてほしい。」
「オレは代表じゃねえ。隊長が都合悪いんでな、代理で来ただけだ。」
「すまない、わざわざ呼び出して。事は急を要するんでね。
要点を言いましょう…。
我々は、夜明けとともにバスティーユ牢獄へ向かい、
これを攻撃する!」
ベルナールは、力強く語った。
「なに?バスティーユを?!」
思いがけないベルナールの言葉におどろくアラン。
「今夜半に情報が入ったんです。実は、昨日バスティーユに、
大量の火薬と爆弾が運び込まれるのを見た者がいます。
そしてその後、監視を続けたところ、この雨の中で、
バスティーユの大砲の向きが変えられたと。」
「大砲の向き?」
「そうです、いつもは外に向いている照準が、パリ市内に…
つまり、我々市民に対して向けられたんです!」
「そいつはひでえ。オレたちに大砲を打ち込む気だ。」
集まっていた人々が、口々に怒りをあらわにした。
ベルナールは続けた。
「ついに国王は、我々に戦争を仕掛ける覚悟をしたと、
解釈すべきでしょう。
今、各広場に集結している人々とも、連絡を取っています。
おそらく誰もが、同じ意見で一致するでしょう。
『バスティーユを、落とせ!』」

― バスティーユ牢獄…
それは、フランス王制のもう一つの悪評高い象徴であった。
なぜならば、長い王制の歴史の中で、
自由を求める人々の口を封じ、その身を閉じ込めた、
政治犯、思想犯のための獄舎であったからだ。 ―


街角

雨の中、赤く染まったハンカチで口を押さえ、
咳込みうずくまるオスカル。

― 明け方が近づき、雨はあがった。
そして、フランス革命史上不滅の日、
7月14日
バスティーユ攻撃の幕が上がろうとしていた。 ―


革命家たちの隠れ家

「なんだって?バスティーユを攻撃する?」
ベルナールたちが、革命の師の元へ、
バスティーユ攻撃の報告にやってきた。
「はい、各広場に集まる人々の一致した意見です。」
「一致した意見?…ちょっと待ちたまえ、ベルナール君。
私は、そんな指令を出した覚えはないぞ。
バスティーユ攻撃などは、私の筋書きにはない!!」
声を荒げる革命家。
しかし、ベルナールたちの決意は固かった。
「先生!お言葉を返すようですが、革命は筋書きではありません。
セーヌの流れのごとく、大衆の心のままに進み、
行われるものと、私は信じます。
一応ご報告までと思ったのですが…来なければよかった。
…失礼します。では、行きます!」
一礼し、その場を去ってゆくベルナール。
「よぅし、認めよう!君たちのバスティーユ攻撃を認めよう!
だが、忘れるな!リーダー無くして革命は成功しないぞ!
ベルナール!!!」
ベルナールは師の言葉を無視し、振り返らず去っていった。

― バスティーユ攻撃が、歴史上何より名高いのは、
それが体制側と民衆との大きな戦いというだけでなく、
それが民衆の、初めての意思統一による行為であったからだ。
つまり、このバスティーユ攻撃が、ロベスピエールなどの、
革命側のエリートたちによる先導ではなく、
心から新しい時代を求めた、名も無い市民たちの、
自然発生的な団結による行動だったことに
大きな意味があったのである。
1789年7月14日
それは、真の意味での革命が始まった日であった。 ―

宮殿になだれ込む民衆。
国王軍も、その数に戸惑うほどの大勢の市民による暴動が、
あちこちで巻き起こった。
パリ市民の怒りは、貴族の名の元にあぐらをかく、
王家と、そのまわりの取り巻きすべてに注がれた。

― 一部の市民たちは、アンバリットの武器庫を襲い、
3万6千丁の銃と12本の大砲を奪い、
その足でバスティーユへと向かった。 ―

パリの町中にあふれる、人々の怒り、悲しみ、苦しみ…
その騒ぎは、路地の奥で倒れていたオスカルの耳にも届いた。
大通りを、バスティーユ方向に進んでゆく人の波。
「…バスティーユ?」
ぼう然とその光景を見ていたオスカルの前に、
一人の男が現れた。
「…アンドレ!!」
やさしく微笑みながら、オスカルの方へと近づくアンドレ。
「オスカル、どうした?こんな所で何をしている?
誰もがバスティーユへ向かったぞ…
誰もが銃を取り、戦うためにバスティーユへ向かった。
だが、君が率いる衛兵隊の連中は、まだ広場にいる。
広場で、隊長を信じて待っている!」
そこまで言ったアンドレは…
実はアランだったことに気づくオスカル。
「隊長!あんたと共に戦おうと、みんな、あんたの帰りを待っている。」
「…アラン……」
オスカルはあらためて、アンドレはもういないこと…
そして、自分にはやらねばならない事があるということ…
心でかみしめるのだった。
オスカルは、羽織っていたコートをアランに渡す。
「ありがとう…これ。」
「いや。」
微笑んで、コートを受け取るアラン。
コートを脱いだオスカルの全身に、
パリの人々の声が、より大きく響いた。
「…いつまでも、みんなを待たせてはいけないな。」
「ああ…」
「アラン…、もう一度だけ…これで最後だ、
泣いてもいいか…?」
「…ああ、いいぜ。…思いっきりな…」

…オスカルは泣いた。
アランの胸に顔を押し付けて…
誰にも頼らず、弱い部分を見せず、
女を捨てて生きてきたオスカル…
そして、
自分の中の「女」に気づいた直後におとずれた
悲しみ…
オスカルは泣いた…。
声を上げて…
もう一度、女を捨て去るため。
衛兵隊の隊長オスカルに戻るため!


― 午後1時、ついに戦闘は開始された ―

バスティーユ牢獄から、押し寄せる人々に向かって大砲が放たれた!
そして、窓という窓から銃弾の雨!
女も子供も、容赦なく吹っ飛ばされた。

― この時バスティーユ側は、ドローネ公爵以下114名の兵だけだったが、
その頑丈な城壁と大砲の威力が、
何万という市民を、地獄の底に落とし入れていた。 ―

ベルナールたちも、いきなりの猛攻撃を喰らい、
思うように先へ進めない状態だった。
「くそぅ…!どうした?!我々の大砲は!!」
爆風をさえぎりながら、味方の大砲のところへ走るベルナール。
「何で撃たない?我々にだって、
12本もの大砲があるじゃないか!」
すると、発砲をするはずだった市民は、
火薬のタルを抱えて、こう言った。
「それが、わからねぇんで…。
誰も、大砲の扱いを知ってるヤツがいねぇんですよ!!」
「…なんだと!?」
ぼう然とするベルナール。
「ベルナール!」
声に振り向くと、そこには衛兵隊を率いたオスカルが!
「オスカル!」
「遅くなってすまない。大砲のことは、我々が引き受けよう。」
オスカルはそう言ったかと思うと、ヒラリと大砲の上を飛び越え、
キリッとした眼差しでこちらを振り返り、
そして、言った。
「よぅし、全員配置につけ!攻撃準備!!」
「おーーーーっ!」
オスカルの命に従い、行動を開始する衛兵たち。
全員、元フランス国軍の衛兵隊だっただけに、
大砲の扱いなど手馴れたものだ。
あっという間に大砲の準備は整った。
オスカルは、バスティーユ牢獄に向き直り、
左手に鞘を持ち、右手で剣を抜き取ると、
その剣を真横に伸ばして叫んだ。
「発射角45度!狙うは、城壁上部!」
大砲の砲口が、一斉に動く。
「撃てーーーーーーっ!」
オスカルたちの放った大砲は、見事城壁上部に命中。
バスティーユの頑丈な城壁に、大きな穴をこじ開けた。
「撃てーーーーーーっ!」


バスティーユ内部

「ドローネ閣下!敵が砲撃を始めました!
しっ、しかも、かなり正確な砲撃です!!
このままでは…やられます!」
報告を受けたドローネ公爵は、ゆっくり立ち上がると、
城壁の窓から、下の様子をうかがった。

『撃てーーーーーっ!』

ドローネ伯爵の目に、剣を高く突き上げて命令する
指揮官オスカルの姿が飛び込んだ。
「…よし、狙いを、あの指揮官に絞れ!
一斉にだっ!!」
窓から銃を構える国王軍兵士たち。
その銃口はすべて、一丁残らずオスカルに向けられた。
「撃て!」

オスカルは、ふと、空を見上げた。
煙で覆われた灰色の空の一角に、
まるで、そこだけ煙を切り取ったように青空がのぞき、
そこに、真っ白なハトが一羽、
円を描いて飛んでいる。
時間が止まった…
そんな錯覚をしてしまうほどおだやかな
不思議な一瞬だった。

次の瞬間

オスカルの体を

無数の鉛の弾が貫いた…




― 最終話につづく ―


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