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決意<レゾリューション>

「・・・・・・」
今日になって3度目の電話をかけながら、晶はむすっとする。
「またいない・・・」
受話器の向こうでは、機会の声が虚しく留守電であることを告げている。
前にかけた二回とも、留守電になった時点で切ってしまっていた。
「どういてあいつはいないのよ、もぅ」
強気そうな口調とは裏腹に、細く長い指先は電話のディスプレイを愛おしそうになでている。
ピーッという音の後には、何も聞こえない。
せめて、声が聴きたかったのに・・・
「・・・・・・」
何を言ってやろうか、少し思案する。
今まで何度か留守電を入れたものの、少年からの連絡はない。
今度も無駄なんだろうかと思ったそのとき、電話の向こうで音がした。
「はい、もしもし?」
少年の声だった。聴きたかったもの。
嬉しい心とは裏腹に、晶の口からは相手を責めるような言葉がでる。
「あ、やっといた。何やってるのよ?」
「え、晶?久しぶりだね」
晶の気持ちも知らずに、少年はゆっくりとした口調で答えてくる。
「久しぶり、じゃないわよ。今までどうしてたのよ?
 留守電入れても返事はないし・・・」
「あ、それは・・・」
「もう2ヶ月も長崎に来てくれてないじゃない」
一通り騒いだ後、晶は手渡せなかったチョコレートの入っている引き出しに目をやる。
今年は、手作りのものを渡そうと思っていたのに・・・知らずと口がとんがってくる。
しばらくの沈黙の後、少年は本当にすまなさそうに答えてきた。
「えと、忙しくて・・・ごめん」
またしばしの沈黙、晶が先に口を開く。
「本当にどうしたの?」
しかしその問いに、少年は答えてこなかった。
沈黙を前に、晶の頭の中を悪い予感が走る。
東京と長崎は遠い、東京にいい娘がいたら・・・
あいつに限って・・・晶はそんな考えを慌てて振り払う。
それに、わたしよりいい娘なんてそうそういないわよ、と心の中で付け加える。
「ごめん、えっと、卒業式が7日で、8日から休みなんだ。
 それで、8日に長崎に行けたらと思っ・・・」
「本当に?」
うれしさのあまり、晶は受話器を両手で握りしめた。
知らず知らず、顔がゆるんでしまう。
「うん、8日の14時に空港に着く予定なんだけど、晶の予定は・・・」
「え、あ、ちょっと待ってて」
本当は、どんな予定が入っていても空港に行くつもりだった。
ただ、待たされたんだから少しくらいはあいつをじらしたい、
晶は少年の声を聴いているうちに、いつもの余裕を取り戻していた。
「あら、予定が入ってるわね」
わざと、ためらうような口調で答える。
「え・・・そ、そう、突然だからね。いいよ、迎えは・・・」
明らかにがっかりしている少年の声に、晶はくすりと笑みをこぼす。
「う・そ・よ、嘘。空港で待っててあげるわよ」
「本当に?よかったぁ」
本当に嬉しそうな少年に、晶は先ほどの疑念を振り払った。
少年は、今までと変わらずに会いに来てくれる。
今までと同じように、自分の側にいてくれる。
「ごめん、晶。この後も予定が入ってるんだ。もう電話切るよ・・・」
「えっ、もう?」
自然と受話器を握る手に力が入る。
「長崎に着いたらいっぱい話せるから、ごめん。
 それじゃ、8日の14時に空港のいつもの場所でね」
「あ、ねぇ、ちょっと・・・」
無情にも電話は一方的に切れ、つーつーという音だけが聞こえてくる。
「馬鹿・・・」
そっと呟いて、ゆっくりと受話器をおろす。
「やっと・・・逢えるわね・・・」
結局、会いたいなんてセリフは言えなかったけど・・・晶は心の中で苦笑する。
出来るだけ綺麗な格好で、迎えに行ってあげよう。
東京から来てくれる、あいつのために。
「ずっと長崎に来てなかったことを後悔させてあげるんだから」
そして言おう、ウィーンへの留学は無しよ、って。
あなたがいてくれれば、わたしは日本でも上手くなれる、って。
晶はそっと髪に手櫛を通し、クローゼットの方に歩いていった。

8日、晶は予想以上に早く空港に着いてしまった。
昨晩はうれしさのあまり寝ることもできなかったのだ。
そんな子供みたいな自分に、晶はちょっと苦笑する、でも、そんな自分を可愛く思う。
普段からあか抜けた感のある晶だが、着飾ることでより周りとは違った雰囲気を持っていた。
よく待ち合わせに使われる空港の一角で、晶は少年を待つ。

しかし、少年は約束の時間に来なかった。
いや、その日にすら・・・

深い悲しみと怒りの中で、晶は家に着いた。
空港から何度電話しても、家には誰もいなかった。
今度こそ、と電話をする晶の耳には、いつも同じセリフが返ってくるだけ。
「ただ今留守にしております。ご用の方は・・・」
来てくれなかった事に対する怒りよりも、何かあったのではと言う焦燥感だけが晶を襲う。
いても立ってもいられず、晶は東京への航空切符を買いに走っていた。
「きっとあいつ、他に女の子がいるのよ、それで来なかったのよ。
 違う、事故なんかじゃないよね、浮気したこと、怒ってやるんだから・・・」
弱い言葉は、タクシーの運転手の耳までも届いていなかった。

東京の少年の家を訪れた晶を迎えたのは、少年の笑顔だった。
晶がよく知っている、いや、一番大切な笑顔。
しかし、色がない。もはやぴくりとも動くことのない、写真の少年。

少年は空港に向かう途中、事故に巻き込まれて大けがをし、病院に運ばれたらしい。
かすれゆく意識の中で、ずっと晶という名を呟いていたという。
「あの子がね、最後まで大事そうに抱いていたんだよ。あなた宛の・・・」
少年の母は、連絡先が分からなかったからと謝りながら、晶に小包を手渡した。
少年は、学校がある日も、学校が休みの時もずっとバイトをしていたという。
今の私くらい窶れてたんじゃないかしら?と少年の母は力無く笑った。
「あなたのような綺麗な彼女を置いて先に逝くなんて・・・」
晶の耳に、もう母親の声は入ってこなかった。
涙すら、晶の目から流れることはなかった。
すべては、止まっていた。

ほとんど無意識のうちに、綺麗に包装された小箱を開く。
中には明らかに本物と分かる金のネックレスと、一枚の手紙。
『晶へ
 ウィーン留学、おめでとう!
 一年も逢えないのは辛いけど、晶の夢だからね、応援してる。
 ウィーンで他の男を見つけないように(笑)僕からのプレゼント。
 ずっと身につけていて欲しいから、ちょっと高めだったけどバイトを頑張って買ったよ。
 でも晶から電話を貰って、本当はもっと話とか色々して、想い出を作った方が
 よかったんじゃないかなって、今更遅いけどね、ごめん。
 帰ってくるまで、ずっと晶だけを待ってるから・・・』

あなたがいたから、わたしはヴァイオリンを弾く楽しさを知った。
あなたがいたから、わたしはヴァイオリンを弾き続けられた。
あなたに会って、私は変わった。
あなたが笑う、わたしも笑った。
あなたが悲しむ、私も悲しんだ。
あなたがいる、わたしがわたしでいられた。
あなたが死んだ、わたしは・・・わたしは・・・

わたしも・・・

わたしも?

わたしは、それでいいの?
 わたしは、それで構わない・・・
あいつは、それでいいの?
 あいつ?あいつは、あいつは・・・
あいつは、わたしに何をくれたの?
 勇気・・・
 ヴァイオリンを弾き続けるための・・・
それだけ?
 違う、わたしがわたしである為の・・・
 素直なわたしでいることを・・・
 あいつは、わたしを包んでくれた・・・
今は、もう包まれていない?
 今は、もう・・・
あいつは、いない?
 いない?いない・・・
あいつを、否定するの?
 何故・・・
あいつがいないのなら、否定と同じじゃない?
 違う、わたしは・・・
あいつにわたし、約束したわよね?
 どんなに寂しいときでも、強く生きるって・・・
 振り向かないって・・・
その約束を捨てるんでしょ?結局同じ事よ?
 わたしは、わたしは・・・
あいつとの約束を破って、あいつの後を追うの?
 わたしは・・・
ひどい矛盾ね、わ・た・し?
 わたしは、わたしは・・・わたしは・・・

わたしの愛したあなたは、私に強く生きる事を、
振り向かないことを教えてくれた・・・
わたしは、あなたと約束した。
振り向かないこと、強く生きること・・・

初めて、晶の瞳から、涙がこぼれ落ちた。
せきを切ったように、次々と悲しみがあふれ出してくる。
「ごめんなさ、わたし、わたし・・・ひっく」
人前にも関わらず、晶は大声で泣いていた。
「約束・・・したのにね・・・わたし・・・」
泣きじゃくる晶の背中に、そっと触れるものがあった。少年の母親の手。
慰めるでもなく、力づけるでもなく、ただゆっくりと、晶の背中をなでている。
『ごめんね、約束したのにね、でも、もう少しだけ、もう少しだけ・・・
 ほんのの一時だけ、振り向かせて・・・弱いわたしでいさせて・・・』

「いやぁ、今回の遠藤はひと味違いますなぁ」
「そうですな、一時期姿を消したのでどうしたのかと思いましたが、
 いやぁ、どうしてなかなか・・・」
「何というか、深い悲しみが感じられますな」
「それだけではない、とても強い意志を感じますぞ」
「一回りも、二回りも大きくなったようですな。
 今回の優勝は遠藤で決まりでしょう」
都内のとあるコンサートホールで、国内最大のヴァイオリンコンクールが行われていた。
国内外からのたくさんの参加者の中に、晶の姿があった。
誰の目から見ても、晶の優勝は明らかだった。
それだけの演奏を、晶はした。
「優勝は、遠藤晶!どうぞ、ステージの中央へ・・・」
晶は、見えるはずのない空を見上げる。
『わたし、強く生きるからね、もう、振り向かないから・・・』
胸元の金のネックレスが、キラリと輝いた・・・

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