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Blue

星が、輝いていた。
浜辺に、一人の少女が佇んでいる。
波打ち際で、風に吹かれながら、その少女は今にも消えてしまいそうだった。
その瞳に、涙が光る。
「・・・さん」
呟く名は、異国の傭兵、聖騎士の名を受けるほどの働きをしながらも
異国人である故に国外に追い出された男の名。

ドルファンの町で、ある噂が広まっていた。
波打ち際で、一人佇む少女が、急に消えてしまうという・・・。
見かける人はいるのだが、誰も近づくものはいなかった。
その雰囲気が、何とも近寄りがたかったのである。
そして、時にはひどく悲しげな歌声が響いた。誰もが、心打たれる歌を・・・

「お嬢さん、どうかしたかのぅ?」
ある晩、そんな少女の元に、一人の老人が近づいていった。
「いつも泣いているようなんで、ちと気になってな」
アンは、ゆっくりと声のする方へ振り返った。
青い髪が風に揺れる。
すぐ後ろに、白髪の老人が立っているのに気がついて、ゆっくりと体をそちらの方向に向けた。
「何か・・・ご用ですか?」
足下で、砂の擦れる音がする。
老人はアンが振り返るのをみると、その場にゆっくりと腰を下ろした。
不思議そうに首を傾げるアンをみて、老人はゆっくりと口を開く。
「いや、おなごの泣く姿を見るのは苦手でな」
手元の砂をすくい、ゆっくりと落とす。風に砂が舞う。
「この老いぼれでよければ、話てくれんかの?」
にっと笑って、老人はアンに言う。
アンはただでさえ困ったような顔をしていたが、その表情がさらに曇る。
それでも美しい顔立ちに変わりはないのだが・・・
「それとも、儂では役不足かの?」
急にすねたような態度をとる老人の態度にアンは答えず、再び海の方を、いや、海の彼方を見つめる。
しばらくの間、あたりに波の音だけが響く。
「止まった時が動き始め・・・」
アンはゆっくりと口を開き、独白するかのように話し始めた。

「再び、止まりました。
止まっていた間はとても長かった・・・
あの人に会えて、とても嬉しかった。
彼が、再び私に会いに来てくれたのかと思いました。
でもあの人は彼じゃありませんでした、あの人は、あの人です。
いつも、わたしの側で笑っていてくれました。
あの人は、私の元へ、帰ってきてくれると約束してくれました。
彼を失ってから凍ってしまっていた時が溶けだすのを感じました。
そう、あの人は優しく私を包んでくれて、暖かかったです。
あの人がこの国を離れると聞いたとき、勇気を出してよかった。
私の想いを、あの人は受け止めてくれました」

近くの灯台の明かりが寂しげに揺れる。
アンは溢れてくる感情を抑えられずに、涙を流しながら話し続ける。

「あの人と、同じ時を過ごしたかった。
私は、人と同じ時を過ごすことはできないのに・・・
なのに、人を愛するなんて。
馬鹿ですよね、どうして愛してしまったんでしょう・・・
私は止まった時の中でしか存在することができないのに。
どうして神様は、人としての命を与えてくれなかったんでしょうね」

夜風が優しくアンの髪をなでる。
ほとんど叫ぶように、しかし大声ではなく、アンは語る。
「あの人と同じ時を過ごしたい、ずっと一緒にいたい。
このまま終わるのは、このまま消えるのはイヤ!
やっと想いが通じたのに・・・
愛し合えると思ったのに・・・
・・・・・・あの人に想いが通じたとき、凍った時が完全に溶けました。
時が動き始めたら、もう私は存在できない・・・」

ふっと力が抜けたかのように、アンの声が小さくなった。
震える方が痛ましい。流れ落ちた涙が、星とともに輝いて消えた。
流星が、空のかなたを流れ落ちる。
消えてしまいそうな声が、後に続いた。

「あの人がくれたペンダントを持っていくこともできず、
私は、あの人の前から消えました。
・・・・・・皮肉ですよね。
あの人がいなくなって、再び時が止まりました。
そして、私は再び存在しています。
永遠に、結ばれることはないんでしょうか?
私は・・・私は・・・嫌・・・」

そこまで言うと、アンはがくっと膝を落とす。
潮が満ちてきていた。服の裾が濡れようとも気にせずにアンはそのままの姿で泣いていた。
老人も、最初に座ったところからは動いていない。
やがて、老人が口を開いた。
「信じて、いないのかね?」
力強い声で、ゆっくりとアンに語りかける。
「彼を思い、再び存在しているのなら、彼と共に存在することもできるのではないかね?」
老人はゆっくりと立ち上がると、アンの横に移動する。
水をかき分ける音が、静かに響く。
「・・・できませんでした、あの人と、同じ時を刻む、ことは」
消え入るような声で、アンは答えた。
「信じるがいい」
強く、しかし優しく、老人はアンに話す。
「その人は帰ってこよう。お前さんも、その人と同じ時を刻める」
アンは答えず、ずっと肩を震わせている。
「その人を、信じられないのかね?」
「あの人のことは今でも信じています。でも、同じ時を過ごすことは・・・
・・・信じたいです、でも、信じても、苦しいだけ・・・」
「でも、信じるがいい」
老人はゆっくりと腰を下ろす。腰から下が水に濡れようとも気にとめる様子はない。
「信じることだ、自分を、その人を」
「信じても、なにも変わりません・・・」
アンはゆっくりと顔を上げ、老人の方に向き直って答えた。涙は止まっていない。
「もう、私には・・・・なにもありません・・・」
「奇跡は・・・」
老人は、驚くほど力のある声で話し出した。
「奇跡は、信じているものにしか起こらん。信じなければ、起きることはない」
ゆっくりとした仕草で、老人はアンの流れる涙を指で拭く。
あの人は、国を追い出され、傭兵としては二度とこの地を踏むことはない。
異国の者で、今この地を踏めるのは商人のみ。
「それでも・・・信じたいです。
あの人と、同じ時が過ごせることを・・・
私は、あの人を愛しているから・・・」
「それでいい、強く信じなさい」
老人はアンに呟くと、ゆっくりと腰を上げ、そのまま何処かへと消えた。
アンは、そのままずっと海の彼方を眺めていた。海の向こうにいる人を思いながら・・・

「なぜ、わざわざドルファンまで出向かれたのです?」
大層な服を身にまとった男が、従者らしき男と歩いている。 どうやら、勝手に出かけていた自分の主人を非難しているらしい。
豪華な服をまとった男は、やや皮肉っぽい笑みを浮かべて答えた。
「昔の気まぐれが産み落とした結果を見にな・・・
中緒半端な魔法が、まさか完全に変化していようとは。
出会いとは、あるいは儂すらも手におえんほどの奇跡なのかもしれんな」
「そうですか、私にはよく分かりませんが・・・
 そもそも、龍神様は勝手に自己完結することが多いんですよ。
 いつも迷惑するのは私なんですからね」
 ごり、という音と共に龍神と呼ばれた男の拳が従者の頭にあたる。
「一ついい言葉を教えてやろう。口は災いの元だそうだ」
「ふぁい、よく分かりまひた・・・」
答える従者を無視し、男は遠くを見つめる仕草をした。
その目にはいっそうの大きな商船が写っていた。
「よい。ふふ、奇跡は起きた、か」

次の日も、アンは昼間から浜辺に立っていた。
日が高く昇り、海辺には人がちらちら見える。
人々が側を通り過ぎる中、アンはやはり海の彼方を見つめていた。
「おい、今度きた商船見たか?」
「あぁ、でかいな。なんでも以前この国においていった女を連れに、わざわざ来たそうだぜ」
「へぇ、それで珊瑚のペンダントを持っていたわけか」
「そうみたいだな、噂じゃ、その商船の主は昔傭兵でこの国にもいたらしいぜ」
2人の男が後ろを通り過ぎる。
『珊瑚のペンダント?あの人が、私にくれたのも・・・』
アンは慌ててその2人を追った。
「す、すいません。その船はどこに?」
「ん?あぁ、港に行って一番目立つ船が・・・」
振り返りながら答える男の言葉を最後まで聞かずに、アンは走り始めた。
『信じるから、奇跡は起こる』
老人の言っていたことを思い出す、もしかしたら、今度こそは・・・
期待と焦り、あるいは不安なのか、うまく走ることができない。
途中で人にぶつかってしまった。
「あ、す、すいません・・・」
謝ってまた駆け出そうとするが、後ろからいきなり腕を捕まれてしまう。
「おい、いてーよー、お嬢ちゃん。腕が折れたかも」
3人の男たちである。一番がたいのいい男が右手をぶらぶらさせていた。
「ジャック、大丈夫か?」
「おぉ、サム、大丈夫じゃないかも。ビリー、お前もやばいと思うよな」
「こりゃ病院行きかもな」
にやにやとしながら3人はアンを取り囲む。
逃げようとしても、アンの力ではどうしようもなかった。
「さて、お詫びにつきあってもらえないかな?」
「かわいいよなぁ・・・」
「やっ、やめてください・・・」
アンの必死の抵抗は、しかし何の力もなかった。
「あら?」
急にサムが間の抜けた声を出す。
一瞬サムの体が宙に浮いたかと思うと・・・
「うわぁぁぁ」
そのまま地面にたたきつけられてのびてしまった。
アンが、大きく目を見開く。大粒の涙が流れ落ちる。
悲しみのではなく、歓喜の涙。
「あ、きっ、貴様はいつかの!」
叫ぶビリーも一撃の下に吹き飛び、こちらものびてしまった。
1人の東洋人が拳を握っていた。
「貴様ぁ〜」
ジャックは思い切り右腕を振り上げるが・・・
「聖騎士の名は伊達じゃないんだよ!」
強力な一撃を顎にもらい、振り上げた腕をおろすまもなく地面に倒れた。
倒れた3人を無視して、その東洋人はゆっくりとアンの方に歩み寄る。
「信じてたよ、また会えるって。君と、同じ時を過ごしたいから」
ゆっくりとした動作で懐からペンダントを取り出す。
クリスマスの時に送ったもの、今度はおもちゃではなく、本物の・・・
「・・・・・・」
アンは、涙で前がよく見えなかった。
時が溶け出すのを感じる。
でも不思議と、自分が消えるという感情を持たなかった。
時は・・・動き出したというのに・・・

そして、もう、時は凍り付くことはなかった・・・

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