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最終電車のエンディング (冥界封印編 童歌の章)


【解説】
主人公・石岡哲也の乗った最終電車が、駅に停車せずに暴走を始めた。
車内で次々に起こる奇怪な超常現象。
電車の電気系統を破壊し、これで電車が停止するかと思ったそのとき、石岡に怪物が襲い掛かる……。


僕は思わず、両手を前に突き出した。
パニック状態における、反発的行動、というヤツだ。
突発的な危険に直面した時、人間は、例え冷静に考えれば防ぎきれないとわかるような物に対してさえ、それを遠くへ押しやろうとする動作をとるのだという。

仮にそれが、自分に向かって転がってくる巨大な岩だったしても、人はそれを、手で押し退けようとしてしまうのである。
その時、僕がとった行動が、まさに、それだ。
だが、なんたる幸運か。

その時。僕の右手には美由紀に言われて点火したままのライターが、そして左手にはドライバーを引き出したままのナイフが、握られていたのである。
その両方が偶然にも、襲い来る怪物の、その顔の真ん中に突き込まれたのだ。
片方の目をライターの炎が焼き、もう片方の目にドライバーが突き立った。
「じゃあぁぁあぁあぁあああぁあああぁあぁああぁあ!」

焼かれ、えぐられた目の上で、逆さまの口が悲鳴をあげる。
開いたあごの奥で、黒くただれた舌が、のたうつのが見えた。
「うわ!」
だが、怪物は空中で停止したワケではない。
飛んで来た勢いのまま、僕の上半身に、がっぷりと、しがみついたのである。
一気に体重がかかり、僕はよろめいた。

異臭を放つ肉に視界をふさがれ、前が見えない。
何かに捕まろうと、思わず手を伸ばす。
触れる物が、ない。
それどころか、手を伸ばすその方向に、僕の身体は倒れていくのだ。
「くそっ!」
もがいた瞬間、伸ばした腕の方向が、ちらり、と見えた。

何てこった!
その先にあるのは、乗降口のドアだ。
そう。
たった今、開けてしまった、あのドアなのだ!
落ちる!
外へ!
惰性で走っているとはいえ、まだかなりの速度で走っている列車の、その外へ!
固く、目を閉じた。

これまでか。
苦労して、ここまで来たのに、最後の土壇場で、このざまか。
唄が……あの唄が、聞こえたような気がした。
「いきはよいよい、かえりはこわい」
なるほど。
怖いのは、行きではなく、帰りなんだ。
あと少しで家に着く。

そう思った瞬間が、いちばん「怖い」んだ……。
だが、もう遅い。
僕は完全にバランスを崩したまま、走る列車の外へ……凄いスピードで流れていく地下トンネルの壁へ向かって、倒れていった。
いいさ。
だったら、せめて、この怪物を道連れにしてやる。

一緒に行ってやるぜ!
地獄へ!
……だが、僕は、行けなかった。

突然、がくん、というショックとともに、倒れていく僕の身体が、不安定な姿勢で止まったのである。
僕の腕を、誰かがつかんでいた。
厚みのある、大きな手。
ぐい!と引っ張られた。
御堂達彦だった。
片手で手すりをつかみ、もう片方の手で、怪物にしがみつかれた僕の腕をつかんでいる。

「蹴り落とせ!」
僕の叫びに、彼の応えは気合だった。
「ぅおりゃ!」
僕にしがみついていたゆがんだ肉体が、一瞬で引きはがされた。
御堂のブーツの分厚い靴底が、怪物を蹴り込んだのである。

その声を、僕は一生忘れないだろう。
とてもこの世で聞くことができるとは思えないような声を上げて、そいつは、落ちていった。
列車の外へ。

御堂の腕につかまれて、半ばドアの外へ乗り出すような姿勢のまま、僕が見たのは、そいつが地下トンネルの壁に激突し、跳ね返って、走り続ける車体の下へと飛ばされるところまでだった。
床の下から、かすかに振動が伝わる。
鉄輪が何かを踏み越えた、そんな感じ。
それが何を意味するのかは、そこに居合わせた全員が理解していた。

やったあ、とは、誰も言わなかったけれど。

引っ張り上げてくれた巨漢に、僕は親指を立ててみせる。
同じ合図を返す御堂は、片目をつむって不器用なウィンクを見せた。
駆け寄って来た美由紀は、たった今まで御堂がつかんでいたその腕を、両手で握る。
微笑む瞳がうるんで見えるのは、僕の欲目だろうか?

そんな僕らに意味深な笑みを投げてから、視線を交わすのは薫と智道。
誰も、何も言わない。
次第にその間隔を広めていくレールの音が、車内に聞こえる唯一の音だ。
やがて、列車は停止するだろう。
そうしたら、僕らは列車を降りる。
僕らを襲った怪奇な出来事の、その原因はなんだったのか、全ての謎を残したまま、列車を後にするのだ。

謎を解きたいなんて、誰も言わないだろう。
そうさ。
賭けてもいい。
そして、僕らは地下トンネルを歩いて行くんだ。
最も近い駅が、どちら側にあるのかは、知らない。
けれど、僕はわかっていた。

僕らは、前へは進まないだろう。
僕らは、後ろへ戻るだろう。
僕らが来た方向へ。
真っ暗なトンネルを、ライターの炎だけを頼りに歩くのだ。
けれど、少しも怖くはない。
なぜなら、その先には、待っているからだ。
僕らの家が。


冥界封印編 童歌の章
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