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街 〜運命の交差点〜 のエンディング (高峰隆士)


俺はフロントでキーを受け取り、チェックアウトを頼むと、荷物をまとめるために部屋へ戻った。

もう争いごとに加わる気はない。
もうよそう。あんなことは。
一度血の海の外に出ると、その色と臭いの異常さは、吐き気のするほどにわかるものだ。
この街を出て、南へ向かうのだ。
そして、仕事を見つけて……気が向いたら、もっと南に行ってもいい。

(なんなら、アフリカにだって)

その思いつきは、俺を嬉しくさせた。

俺は一人で声をたてて笑い、バッグを手に持った。
窓から見る限りでは、追っ手の姿は見当たらない。
トラブルを避けるためには、直接駅へ向かうのを避けてタクシーで逆方向へ向かうべきだろうか。

レジョンにいるときとは違って、街での喧嘩はリスクが大きすぎる。
出て行くのを決めたとたんに面倒なことに関わるのはご免だった。
俺はフロントに電話してタクシーを呼んでもらった。

俺はフロントに金を払い、ロビーの椅子に腰を下ろした。

(この街には、二度と戻らないだろう)

俺は昂ぶった気持ちと時間を持て余し、ポケットから煙草の箱を取り出した。
くしゃくしゃの箱にあったのは、最後の一本だった。
火をつけ、黒酸っぱい味のその煙を胸一杯に吸い込む。
青く平らなジタンの箱の画は、揺らぐ紫煙の中で踊る女だ。
漂泊の民族、ジプシーの女だ。
そしてそれは、つい今しがたまでの俺の姿だった。

(もう終わりにしよう)

心の声が静かに呟いた。
途端、今まで失ってきたものが目の前に現れ、流れて消える。

いつも口うるさかった姉……。
いつも悲しそうな目をしていた母……。
勝手で、傲慢で、冷たかった父……。

父は、いつも何かに怯えているように見えた。
成長してからの俺を見る目には、いつも畏れと戸惑いが見えた。

(もしかしたら)

唐突に、俺の心に突拍子もない考えが浮かんだ

(もしかしたら、俺は父を愛していたのだろうか?)
(母や、姉や、誰よりも、ずっと……)

その考えは、少なからず俺を慌てさせた。
だが、もうどうでもいいことだ。
俺は家族の思い出を消した。

友人……。
高校時代、そして現在まで一番、あるいは唯一の友人だった奴は、井端しかいない。
彼とも恐らくもう会うことはあるまい。

俺は煙草をもみ消した。
このジタンはいつも、なかなか消えようとはしない。
今もまたもみ消したはずの吸殻から、細い煙が立ちのぼりはじめる。
俺はもう一度灰皿に擦りつけた。
そしてもう一度。
何度も何度も擦りつけた吸い殻は灰皿の中で、粉々の残骸になった。

《末永の連絡先の書かれた名刺を見つめる》

末永……。
末永晶子。
今ならわかる気がする。
俺は彼女のことが好きだったのだ。
だが俺が求めているものと、彼女が望むものは両立しえなかった。
あの時は、そう思っていた。
そして俺は、逃げ出した。
話し合いも、説明も、何一つ無しに。
末永のいうように、俺は逃げ出し、逃げ回り、逃げ帰ってきたのだ。
そして……。
今、俺は逃げ出そうとしている。
急に彼女に謝りたくなった。
……今なら、わかる。
今なら、わかる……。


「高峰様、お車が参りました」

俺は頷くと、名刺を灰皿に捨て、立ち上がった。
不思議と後悔は何もなかった。

“アレ(行こう)”

心の声はいった

“アレウ(どこへ)?”

その答えは、今では確かなものになりつつある。

東南アジア人と思われる運転手が俺のバッグをトランクに積み込む。

「タイレーン?」
「NO、インド人です」

運転手は白い歯を見せて、ハキハキした日本語で答えた。

「日本には、法律の勉強に来ています。これは学費をかせぐためのバイト……卒業したら、国へ帰って弁護士になります」
「いいことだ」

この運転手には、あとでチップをはずもう。
希望。
前進。
実行。
いいことだ。

「どちらまで?」

ドアを開けながら運転手が訊いた。
アフリカ。
俺は心の中で答えた。
俺は〈国〉へ帰りたいんだ。
だが口に出しては別のことをいった。

「厚木……米軍基地」

そこから貨物機が出る。

「お客さん、日本人ではないね?」

運転手は車の前を回り込みながら笑った。

「なぜ?」
「匂い、するね……多分、フランスの匂い。軍人さん?」
「ああ、そんなところだ」

俺は苦笑し、後部座席へ歩き出した。


《渋谷の夜空に花火が上がる。ドーン、ドーンという爆音の最中、隆士が胸を押さえ、もんどりうって倒れる》


「お客さん、花火が上がったね」

運転手は空を見上げている。
確かに、空には季節はずれの花火が……
胸が熱い。
畜生、やけつきそうだ。

《隆士の脳裏に末永の顔が浮かぶ》

「行けないわよ、あなたは」

末永……何も、こんなときに。
せめて、いまだけは黙っていてくれ。

「ううん……あなたはどこにも行けないの」
「ふふっ……よしてくれ」


《地面に仰向けに倒れた隆士。左胸に銃創》


「お客さん! どしたの! お客さん!」

ああ……もう、いいんだ。
俺にはわかる。

「ambulance! きゅ、救急車!」

運転手が慌てて叫んでいる。


もう……いいんだ。
俺は、南へ……南へ……アフリカへ。
俺は目を閉じ、アフリカへと、走るゾウの大群へと、夕日を背にしたキリンの姿へと、想いをはせた。


迷える外人部隊


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