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**雪 の 女 王**


* 第1話 ゲルダとカイ *



北ヨーロッパ
19世紀なかば…

〜 北の国の短い夏の日、
ゲルダとカイが木靴を鳴らして
丘を駆け巡ったその日…
その日から
この物語を始めよう。 〜


丘の草原を走る少女ゲルダと少年カイ。
「こっち、こっちよ!
こっちでさっき見つけたの。」
ゲルダは、瞳をキラキラ輝かせ、
夢中でカイを誘った。
心地よい風が丘を吹き抜け、
空では、鳶がゆったりと円を描いている。
丘の端、岩でゴツゴツした高台から下をのぞくと、
そこには、赤や白の野バラが、
夏の日差しをいっぱい浴びて、
まるで敷きつめられたじゅうたんのように群生している。
「うわぁ!」
驚くカイ。
「ね!こんなにいっぱい野バラが。」
二人は、岩のデコボコに手足をかけながら、
ゆっくり下へ降りて行く。
「この丘には何度も遊びに来てるけど、
今まで気が付かなかったなぁ。」
下へ降りると、カイは野バラのじゅうたんをぐるりと見渡した。
ゲルダは、赤いバラを一輪手に取り、
目を閉じて、そのバラの香りを吸い込んだ。
「私は赤いバラが好き。」
「どうして?」
「うん…だって…」
「だって?」
「…だって………」
理由に困るゲルダ。
すると、カイはニコッと笑ってこう言った。
「フフッ!だって、ゲルダみたいだもんね!」
「えっ?」
「元気で明るくて、いつも大声で歌を歌って。」
「いつも歌ってなんかないっ。」
ちょっとふくれるゲルダ。
「でも、時々…」
「あ、うん…時々は…」
「ほら!時々ってことは、いつもってことさ!」
「時々は、時々ですっ!」
「じゃぁ、まっ、そういうことだということで。」
雲の切れ間から差し込んだ光は、
ゲルダとカイと野バラたちに惜しみなく降り注ぎ、
丘から吹き降ろす風は、丘の上よりちょっと勢いを増して、
ゲルダの髪と、カイの帽子を揺らす。
カイは、白いバラの前に立ち、
その淡雪のような花々を見下ろした。
「ボクは、赤も大好きだけど、白もいいなって思ってる。」
「なぜ?」
今度はゲルダが尋ねた。
「だって…」
「だって?」
「白は雪の色だ。
真っ白で…
何もかもがその白から始まってるような気がするんだ。
新雪が降った冬の朝なんて、
特にそんな気がするんだ。」
「ウフッ…カイらしい。」
ゲルダが微笑んでそう言うと、
カイはちょっと慌てたように
「いやっ、ボクはちょっと…」
そう言いかけたが、
「いいの!じゃあ、カイは白いバラ。
私は赤いバラね!」
と、ゲルダは腰を下ろして、
赤いバラの周りの土を、丁寧に掘り始めた。
「え?…あ…」
「持って帰って鉢植えにしましょ。
さ、カイも。」
その時、丘の上から
「ゲルダー!カーイ!
そろそろお昼にするよー。」
と、二人を呼ぶ声が。
「おばあちゃんだ。」
ゲルダは、ハンカチで、
土の付いた赤いバラの根を丁寧に包み、立ち上がる。
「そろそろ戻らないと。」
「うん。」
カイは、かぶっていた帽子に白いバラの苗を入れ、うなずいた。

〜 少女はゲルダ、11歳
少年はカイ、12歳。
まるで、兄妹のように育った
幼なじみの二人だった。 〜

ゲルダとカイがバラを抱えて丘に戻ると、
そこはもうお祭り騒ぎ。
軽快なヴァイオリンにあわせ、
村人達は、楽しそうに手拍子足拍子。
踊ったり歌ったり…。
ゲルダとカイ、二人の家族のテーブルにはたくさんのごちそうが並び、
ゲルダのおばあちゃん(マティルデ)、カイのお父さん(カール)お母さん(ニナ)、
そして、カイの妹(ヨハンネ)が、
二人が戻るのを待っていた。
「さあさあ、じゃあ始めましょう。
今日は特製のオープンサンドウィッチを
たっぷりとご用意しましたわ。
心置きなく召し上がれ!」
カイのお母さんがそう言うと、
ヨハンネは、待ちきれなかったように
「いただきま〜す!」
と、真っ先においしそうなハムにかぶりついた。
ヴァイオリンの音は絶え間なく続き、
みんな踊っては食べて飲み、
食べて飲んではまた踊り…。
ゲルダとカイも、もちろん
手をつないで一緒に踊った。

〜 北の国の人々は、
その短い夏を惜しむかのように、
丘に登り…
歌を歌い…
踊り…
そして、日の光を浴びる。 〜

♪ カーンコーン、カーンコーン… ♪

踊りを見ていたゲルダの耳に、
風に乗って、どこからか鐘の音が聞こえてきた。
「はっ…」
椅子から立ち上がり、耳を澄ますゲルダ。
「この鐘の音、私たちの町の教会の鐘の音じゃない。
もっと遠くからのような…
いえ、もっと近くで…
そう、心のおくが震えるような近さで…
とてもいい音…
不思議に懐かしくて…やさしくて…」
ゲルダは目を閉じ、その鐘の音を聞いていた。
「ありゃな、ずっと西の村の外れの、
『不思議の森』から聞こえてくるんや。」
「まーた、いい加減なことを。」
「『不思議の森』の奥によぉ、
そりゃでっかい教会があってよぉ、
そこの鐘が鳴っとるんだや。」
「おお、そんな噂聞いたわ、俺も。」
「へっ、話になんねーな。」
村人たちのそんな話を、ゲルダとカイはじっと聞いていた。

夕方になり、ゲルダたちは町に戻ってきた。
ゲルダとカイは、胸にしっかりバラの苗を抱えて、
石畳の道を、カイのお父さんが荷車を引く。
「おい!カール!日光浴か?今日はみんなで。」
二階の窓から聞こえてきた声に、
カイのお父さんは荷車を止め、そちらを見上げて答えた。
「おーう、見晴台へ行ったよ。
夏も、じき終わりだ。
今のうちに、お日様浴びとかんとと思ってな。」
「ハッハッハッハ、俺んとこは来週行くつもりだ。」
「ほぅ、じゃ。」
「じゃあな、カール。」
声をかけてきたその人は、赤ちゃんを抱いていた。
きっと赤ちゃんにも、
たっぷりお日様の光を浴びさせてやるのだろう。
再び荷車を出すカイのお父さん。
石の橋を渡ったところで、
ゲルダは足を止め、カイの方を見た。
「じゃ、カイ。」
「えっ…?」
「どっちが早いか、家までよ!」
そして、ゲルダは走り出した。
「あ、ゲルダ…、待て!ゲルダ!」
慌てて後を追うカイ。
「コラ!走るな!転んでも知らんぞ!!」
そんなカイのお父さんの声も聞かず、
街の中を走ってゆく二人。
「こう見えても、ボクは足は速いんだぞ!」
「私はもっと速いわ!」
「くそぅ!」
建物の間の路地を、教会の前の広場を、
ゲルダとカイは
バラを抱えて夢中で走った。
やがて、ゲルダを追っていたカイの足が、
ゲルダと並び…
カイの家の玄関前にゴール!
「はぁはぁはぁ…ボクが一番!!」
玄関の階段にもたれかかってカイがそう言えば、
地べたに座り込んだゲルダがこう言う。
「はぁはぁ…違うわ!ほとんど同時よ!」
「そうかなぁ?」
「そうだわっ!」
「じゃ、まっ、そういうことでもいいけど。」
するとゲルダは立ち上がり、
スカートの汚れをポンポンして落とし…
すっかり余裕を見せているカイに、
「でも、本当の勝負はここからよ。
じゃあね、カイ!」
そう言い残して再び走り出した。
「ああっ!」
不意を突かれたカイ!
だが、
「じゃあね、ゲルダ。」
もう、とっくに姿は見えなくなっていたのだが、
カイは一応ゲルダにあいさつを返し、
ドアを開けて、一目散に二階へ駆け上がった。
ゲルダとカイの家はお隣同士。
ゲルダの家は、ちょうどカイの家の裏手にあたる。
ゲルダは急いで家に戻ると、
やはり階段を駆け上がり、
そして、二階の部屋の窓をパッと開け放った。
ちょっと遅れて、向かい側のカイの家の窓が開き、
カイが笑って顔を出した。
「ハハハ…!こんばんは、ゲルダ!」
「こんばんは、カイ!」
ゲルダの部屋の窓とカイの部屋の窓には、
とても頑丈そうな板が渡してあり、
お隣同士とはいっても、
二階のその部屋だけ空中でつながっているのだ。
ちょうど、二人の心のように…。
そして二人は、各々持ってきたバラを植木鉢へ植える。
ゲルダの赤いバラと、カイの白いバラ…
どちらも夕日を浴びてオレンジ色に輝いていた。

〜 赤いバラと白いバラは
ゲルダとカイの
この短い夏の
 一番の思い出となった。 〜


学校
木板に問題を書く先生。
「はい、誰か答えのわかる人?」
「はい!」「はーい!」「はいっ!!」
元気に手を挙げたみんなの中から、
「はい、じゃあキミ!答えて。」
指されたのはゲルダ。
「はい。『水は摂氏0度で氷になり、100度で沸騰します。』」
ゲルダの答えに、先生は目を丸くした。
「すごいわね、ゲルダ!
これは最上級生の問題よ。」
「はい。だって、ついこの間、
カイに教えてもらったんです。」
そう言ってゲルダは、隣に座っているカイを見てにっこり。
ちょっぴり頬を赤くするカイ。
すると、一番後ろの席の体の大きな男の子が
「はーい!二人はいつも一緒でーす!」
と、ゲルダとカイをひやかした。
「キャハハ!」「アハハハ…!」
大笑いするみんな。

落ち葉の舞い散る校庭に、
子供たちの輪ができている。
その真ん中で、取っ組み合いのケンカをしてるのは…
ゲルダとさっきの体の大きな男の子だ。
「あんなことばっかり言って…!
カイに謝りなさいよ!」
仰向けのゲルダは、
上に乗っていた男の子を、足でボイン!と蹴っとばした。
「やめなよ、ゲルダ!」
カイが止めるのも聞かず、
今度はその男の子に馬乗りになるゲルダ。
そして、その子をボンボン殴りながら
「よくないわ!いつも私たちのことひやかして!」
しかし、その子には全然効いてないのか、
「ヘッヘッヘー!お前の方が年下なのに、
カイの方がまるで弟みたいだなー!」
と、ヘラヘラ笑っている。
「まだ言ってんの!?」
ますます怒ったゲルダは、
その子の大きなお腹の上で、
ボヨンボヨンお尻ジャンプ攻撃!
その時、騒ぎを聞きつけた先生が飛び出してきた。
「こらっ!!何してんの、キミたち!!」

教室で、腕組みをした先生の前に並ぶ
ゲルダとカイと大きな男の子。
「ごめんなさい。」
と、ゲルダ。
「ごめんなさい。」
と、カイ。
そして、大きな男の子も
「ごめんなさい。」
先生は言った。
「学校にいる時くらい、仲良くしなければダメでしょ!?
だって、もうすぐ落ち穂拾いが始まるし…。
キミたち、お家の手伝いで学校来られなくなるんだから。」
「はーい…」
反省する三人。

〜 夏はとうに過ぎて、
秋も終わりに近づいていた。
鉢植えのバラにも一度霜が降り、
花びらが土に還ろうとしていた。
そして…
ゲルダとカイ、
二人はまだ知らない。
今度迎える冬が、
どんな運命をこの二人に与えるのか。 〜


オーロラの中にたたずむ
美しい雪の女王と
赤トロル、青トロル。
トロルとは、
小鬼のような…魔物のような…妖精のような…。
青トロルが言った。
「かの国は、そろそろ秋も過ぎようとしております。」
雪の女王の体が、オーロラの中にすぅーと浮かびあがる。
赤トロルが言った。
「へっ…たく、じりじり待つのもいい加減に!
で、ござんしょう?
どすか?今年は一気に早めの冬ってことにしたら。」
「いいえ、秋が過ぎるのをわたくしは待ちます。」
雪の女王の言葉に、
赤トロルは、青トロルの頭をゴチン!とやって、
「バカヤロウ!そうおっしゃってるってことよ!」
…漫才師のようなトロルたち。
雪の女王は、オーロラの中に浮かびながら、
いったい何を見つめているのか…
そして、ここはいったいどこなのだろう…?


学校からの帰り道、
ゲルダとカイが歩いていると…

♪ カーンコーン、カーンコーン… ♪

夏の丘で聞いた、あの鐘の音が聞こえてきた。
「あ…」
立ち止まるゲルダ。
「またあの鐘の音だ。」
二人は耳を澄まし、音のする方角を確かめた。
「うん、
確かにあの『不思議の森』の方から聞こえてくる。」
カイの言葉に、
遠くに見える『不思議の森』を
じっと見つめるゲルダ。

ゲルダが家に戻ると、
おばあちゃんはいつものように機を織っていた。
「お帰り、ゲルダ。」
「ただいま、おばあちゃん。」
「遅かったねぇ、何かあったのかい?学校で。」

一方、こちらはカイの家。
靴職人のカイのお父さんは、
靴に鋲を打ちながらカイに尋ねた。
「どうしたい?カイ。」
「えっ」
「どこで道草した?
それとも、ケンカでもしたか?」
「え…あ…、ゲルダと遠回りして、川沿いに…」

再びゲルダとおばあちゃん。
「カイと川沿いの道、遠回りして…」
「まあ、そうかい…、ふぅん。」
ゲルダは、傍らのベッドに座る。
「そしたらね…そしたら、また聞いちゃった。
あの森の教会の鐘。
とっても好き…、あの鐘の音。
なんか心にすーっと沈み込んでくるような…」
すると、おばあちゃんは機織の手を休めて
ゲルダの方を見た。
「気に入ったんだね、あの鐘の音。」

カイのお父さんは、驚いたようにカイを見た。
「何だって?行ってみたい?
『不思議の森』の教会を探しに?」
「ボ、ボクじゃないさ!
ゲルダが…、うん、ゲルダ。
ゲルダが、あんなステキな鐘の音なら、
きっと見たこともないような、すごい大きい教会があるに違いないって。
…いっしょに行かないか…って。」
「やめとけ!あの森は奥が深い。
今まで、何人もあの森に入って遭難した。
まして、森の教会を見た者なんか、
今まで誰一人としていない。」

ゲルダのおばあちゃんは、ゆっくりと腰を上げ、
「あれは、洗濯場にいたときだったよ。
あの日も空気が澄みわたってきれいな日だった。」
そう言いながら、壁に掛けてある写真を手に取り、
老眼鏡を掛けた。
軍服姿の勇ましいゲルダのお父さんと
その横で、まだ赤ちゃんのゲルダを抱いたお母さんが
笑って椅子に座っている写真。
その写真をやさしく撫ぜて、
おばあちゃんは続けた。
「そして、あの鐘の音が聞こえた。
そしたら、郵便やさんが手紙を届けてくれてねぇ。
…お前のお父さんの戦死の知らせだった。」
「え…」
「それからしばらくは、あの鐘の音は聞きたくなかった。
でも、何度かあの音を聞いているうちに、
不思議なもんだねぇ…
とても気持ちが安らぐようになって、
私も好きになったんだよ、お前みたいに。」
おばあちゃんの目から、涙がポロポロこぼれた。
ゲルダは立ち上がり、
「どうしても…どうしても私、
森の教会に行ってみたい!!」
小さな手を、胸の前でギュッと握りしめた。


麦畑
落ち穂拾いををしているゲルダたち。

〜 麦を刈り取った後、
集めきれずに、実のついたまま放置された穂を
『落ち穂』と言う。
その落ち穂を、畑の持ち主から許されて拾うことを
『落ち穂拾い』と言う。
落ち穂もたくさん集めて、その実を粉にすれば、
ちゃんとしたパンになる。
当時、落ち穂拾いは、
貧しい人々にとっては、
かなりの恵みとなる行事であった。 〜

ヨハンネも、少しずつ落ち穂を拾っては、
お母さんの袋に運んでお手伝い。
「ありがとう、ヨハンネ。」
目を細めるカイのお母さん。
ゲルダは、落ち穂を入れる大きな布袋を肩から提げ、
周りをキョロキョロ見渡した。
「あら…?あらら?」
どうやら、カイの姿を探しているらしかった。
やっと見つけたカイは、
高く積まれた麦の穂の山の後ろで、
麦を一本口にくわえて、のんびり座っていた。
「ちょっとカイ!
ダメでしょ?こんなところでサボってちゃ。」
「サボっちゃいないさ、計算してたんだ。」
「計算?なんの?」
カイの隣に座るゲルダ。
「落ち穂の計算さ!いいかい?
落ち穂一本に付いている実の数は、ほぼ20粒。
パンを一斤作るのには、280グラムの粉が必要だから、
一本の穂から取れる粉の量を0.5グラムとすると、
一斤分の粉を作るには…、う〜ん…
560本の落ち穂が必要となる!
どぉ?560本拾うと思うだけで疲れない?」
ゲルダは、途中ちょっと納得させられそうになったが…
「ダメっ!やっぱりサボってる!」
「そうかなぁ…」
その時だった…
夕日で黄金に染まった空に
またあの鐘の音が…

♪ カーンコーン、カーンコーン… ♪

遠く…近く…、
それはみんなの耳に響き渡った。
「あの鐘だ…」
「うん。」
森の中を抜けてくる鐘の音を
じっと聞いているゲルダとカイ。

その夜、
ゲルダとカイ家の間で、落ち穂を入れた袋を前に、
ゲルダたちが話をしている。
「家とお宅で集めた落ち穂、
袋にして7つになったわ。
家が4つ、お宅が3つということにしましょう。」
カイのお母さんがそう言うと、
ゲルダのおばあちゃんは
「いいえ、私とゲルダが拾った分は、せいぜい2つ。
それ以上はもらえないよ。
地主さんとも、そういう約束になってるしさ。
いつもよくしてもらってるからね。
これ以上甘えるわけにはいかないよ。」
と、それを拒んだ。
すると、カイのお父さんが冗談交じりにこう言った。
「もっと甘えてもらってかまいませんよ。
家も、もっと甘えたい。」
「カール…」
「はははっ…、お宅が3つ、
それでいいですね?」
「ありがとう…、ホントにいつも。」

二階の窓から、
そう、つながった窓から顔を出すゲルダとカイ。
そこには、すっかり茶色くなってしまったバラの鉢がふたつ
仲良く並べてあった。
「大丈夫。花びらはもう落ちちゃったけど、
二つともしっかり根付いたみたいだから。」
ゲルダがそう言うと、
カイは、その窓に渡してある板の上に乗って、
鉢のすぐそばにあぐらをかいた。
「と言うことは、また春が来れば、つぼみができて…」
「うん、まぶしいくらいに花を咲かせる。」
「待ち遠しいな〜。」
「フフッ!だーめ!カイったら気が短いんだから。
まだ、やっと秋の終わり。
これから長〜い冬を越さなければならないんだから。」
「わかってるよ〜だっ。」
冷たくなり始めた夜の空気に、
街の明かりがひときわ冴えて見える…
そんな夜だった。

冬支度が始まった。
カイのお父さんは薪を割り、
カイのお母さんとゲルダのおばあちゃんは、
パンを焼くのに大忙し。
「ニナ、カイのやつどこだ?」
カイのお父さんが、お母さんに尋ねた。
「カイ?…あら、どこかしら?
さっきまでその辺に…」
「薪の束を手伝って欲しかったんだが。」
すると、ゲルダのおばあちゃんが
「ゲルダと外へ出かけたようだよ。
ヨハンネもいっしょに。」
と、焼きあがったばかりのパンの湯気の中から言った。
「ヨハンネも!?困った子達ね。
冬に備えて、することがたくさんあるのに…。」
どこの家の煙突からもモクモクと煙が立ち昇り、
街は冬支度一色だと言うのに、
その頃、子供たちは、ある場所へ向かって走っていた。
目指すのは、ゲルダとカイがいるはずの、
森の入り口だ。
森の入り口にいたゲルダは、
学校の友達が、息を切らして走ってくるのを見て
ちょっと驚いた様子だった。
「あ、カイ…言っちゃったのね?みんなに。」
ゲルダは、ヨハンネを連れたカイに尋ねた。
「あ、…うん、ごめん。いけなかったかなぁ?」
「ううん、別にいいんだけど…」
「そしたらみんな、おもしろそうだーって言って…」
カイはちょっと申し訳なさそうな顔をした。
先頭を切って走ってきたのは、
いつかゲルダと取っ組み合いのケンカをした、
あの、体の大きな男の子だった。
「やっ!ゲルダ!」
右手を挙げて、にっこり笑う大きな男の子。
「最初に言っておくけど、この『不思議の森』は奥が深くて、
入ったら危険だって、大人たちが言ってるのよ。」
「ハハハハー、怖くなんかないもんねー、俺。」
「オレだって。」
「私、一度来てみたかったの!」
ゲルダの忠告にも、みんな臆する様子もなく、
ヨハンネまで、カイの腕をつかんで
「アタシも全然平気よ!お兄ちゃん!」
と、にっこり。
「だってよ、ゲルダ。
お前、教会を探すって…?」
体の大きな男の子が、ゲルダに近づいて聞いた。
「そうよ。」
「仲直りのしるしにさ…、手伝うよ、俺も。ヘヘヘ…」
そう言って、大きな男の子は照れくさそうに笑った。
「こーんな森、みんなで歌いながら歩けば、
どーってことはないっ!!」
拳を突き挙げるもう一人の男の子。

みんなは、歌を歌いながら森へ入っていった。
♪ アヒルが歩くよ、ガーガーガーガー
ヤギさんも歩くよ、メーメーメーメー…♪
森の中は、まだ日が高いせいか、
木々の間から光がいっぱい差し込んで、
さほど怖いという感じはしなかったし、
小川の水も透き通り、
その上には、しっかりとした石のアーチ型の橋が
ちゃんとかかっているし、
不安になる材料など何もなかったので、
子供たちは、どんどん中へと進んだ。
「ゲルダ、何してるんだ?」
途中、
木の根元に小石を積んでいるゲルダに気付いた大きな男の子が
尋ねると、
「こうしておけば、帰り道がわかるわ。」
賢いゲルダは、目印をところどころに残してきたのだった。
なおも子供たちはずんずん森の奥へと入って行った。
途中、木の枝を走るリスや
いきなり飛び出したみみずくに驚かされたりしながら…。


「変だねぇ、広場の方にもいないよ。」
ゲルダたちを探しに行っていたおばあちゃんが、
心配そうな顔つきで戻ってきた。
薪をくくっていたカイのお父さんは、縛った薪の束をポンと投げると、
おばあちゃんと入れ替わるようにして
庭先を出て行った。
「あなた…?」
声を掛けたお母さんの方を振り向きもせず、
「探してくる。」
とだけ短く答えて。
残りの薪を束ねるおばあちゃんとカイのお母さん。
「困った子達だねぇ、この忙しいのに。」
「遊び盛りだから…」

ゲルダたちは、森の中を進んでいた。
途中、石の目印を残しながら。
枯葉が舞い落ち、倒木が行く手を阻んだりしたが、
それでも、教会を探そうと歩き続けた。
さっきまで響きわたっていた歌声も、
みんな疲れてきたせいか聞こえない。
「おい、ゲルダ。いったいどこまで行くつもりだよ。」
体の大きな男の子が、ゲルダに尋ねると、
ゲルダは当たり前のように、にっこり笑って答えた。
「森の教会よ。」
みんなは少し弱気になってきたらしく、
「もう一時間は歩き続けだぜ?」
「やっぱり、そんなものないんじゃないかな…」
そんな声も飛び交い始めていた。
それでもゲルダは、真ん中あたりにブクブク泡が立つ湖のほとりを
「こっちよ。」
と、先頭に立って歩き続ける。
「…え、ホントかなぁ?」
ますます弱気になるみんな。
「ワオーーーン…ウォンウォン…」
どこからか聞こえた遠吠えが、
少し暗くなり始めた空を、一層不気味に感じさせた。
「っわ!な、なんだよ、今の!?」
体の大きな男の子が、
ヨハンネをおぶったカイにしがみついてきた。
「オオカミ…かなぁ。」
平然と答えるカイ。
「へ?オオカミっ!?」
「うん、この森ならオオカミがいてもおかしくないよ。」
すると、カイの背中でヨハンネが
「うわ〜ん…お家に帰りたい〜!!」
と、大粒の涙をポロポロこぼして泣き出してしまった。
それを見た大きな男の子が、
もう強がっている場合ではないとばかりに、
「お、俺たちもさ、もう…帰ろうぜ!」
と、みんなに言うと、みんなは、
「うん、帰ろう!」
「帰りましょう…。
まだ夕方までは間があるし今のうちよ。」
「そ、そうだな…目印たどれば帰れるもんな。」
次々、不安そうな顔でその意見に賛成した。
「おい、ゲルダ、お前どーすんだよ?」
大きな男の子の問いに、
「私…私は…」
ゲルダが答えかけた時、
「ワオーーーーン…!」
さっきの10倍くらい恐ろしい遠吠えが!!
「うわ〜〜〜〜〜っ!!!!!」
みんなは、猛ダッシュで今来た道を走って行ってしまった。
その場には、ゲルダとヨハンネをおぶったカイだけが残った。
「カイ…私は…私は行くわ。」
ゲルダの言葉に、
カイは何も言わず、
背中で泣きじゃくるヨハンネをしっかりおさえ、
みんなの後を追って走って行ってしまった。
一人、その場にたたずむゲルダ…。
けれど、ここで帰るわけには行かない!
気の強いゲルダは、顔を上げ、
再び森の奥へ走り出した。
…と、少し行ったところで、後ろから足音が…?
カイだ!
息を切らして、夢中でゲルダを追ってきたカイだった。
「はぁはぁ…ヨハンネをね、はぁはぁはぁ…
ヨハンネを、家まで送ってくれるように…
みんなに頼んできたんだ。」

川のわき、大きな木の根元、
ゴツゴツした岩場…
ゲルダとカイは、ひたすら歩いた。
きっとあるはずの、森の教会を目指して。
「ああっ!」
突然、カイが足を滑らせて転んでしまった。
「大丈夫?カイ。」
心配そうにカイを見るゲルダ。
「イテテ…。ねえ、ゲルダ。」
「なぁに?」
「本当に教会なんてあるのかな…」
「えっ?」
「もし…なかったら?」
カイはやっと立ち上がり、
おしりのあたりをぽんぽんとたたいた。
「あるわ、きっと。」
「こんなに苦労して、ぜーんぶムダになるんだよ!」
カイは、ちょっと怒ったような強い口調になっている。
ゲルダも負けてはいない。
カイをちょっとにらむようにして、
「あるってば!」
と、言い放つ。
「大人たちだって、誰も教会を見つけられなかったって…」
「だったら…だったらさっき…
みんなといっしょに帰ればよかったのに!!」
「バカっ!!だってボクは、
ゲルダが心配だから戻ってきたんじゃないか!!」
「バカとはなによっ!バカっ!!」
「言ったなぁ!!」
「そっちが先に言ったんでしょ!!」
「もう知らないぞ!!」
「知らないなんて知らないもん!!」
「帰る!!」
「帰れば!!」
売り言葉に買い言葉…
…とうとうケンカになってしまった。
くるっときびすを返し、走り去るカイ。
ゲルダは、その後姿をじっとにらんだまま…。

しばらくして、運の悪いとこに雨が降り出した。
おまけに雷まで鳴り出し、
ゲルダは一人、薄暗い森の道をしょんぼり歩いていた。
たっぷり雨水を含んだ落ち葉の道は、
ゲルダの足取りを一層重くした。
…と、足を滑らせたゲルダ!
なんと、そのまま深い穴に落ちてしまった!!
しばらく、穴の底に仰向けに倒れたままだったゲルダ。
しかしすぐに、なんとかこの穴から出ようと、
穴の壁面を登り始めた。
…だが、絶壁な上、雨で滑りやすくなっていて、
数メートルも上がらないうち落ちてしまう。
さすがのゲルダも心細くなり、
泥だらけになってしまった自分の手を見つめ、
「カイ…私……カイ……」
そうつぶやいた…その時!!
ゲルダの足元にロープがっ!
穴の上を見上げるゲルダ。
そこには…
「ひょっとしてボクのこと、呼んだりしたかい?」
ロープをしっかり体に巻きつけ、
にっこり笑うカイが!
ゲルダはうれしそうに微笑んでロープの端を握り、
それでも
「覚えてない、そんなこと。」
そんな強がりを言うのだった。

それから二人は、木のうろでちょっと雨宿り。
狭いうろの中でひざを抱え、じっと雨の止むのを待っていた。
少ししてゲルダは、まだカイに言っていなかった、
教会をここまでして探したい理由を話し始めた。
「あの鐘が鳴った時にね、
お父さんが死んだ知らせが届いたんだって。
「…え…」
「だからね、その教会に行ってみたいの…。」
(そっか…) そんな表情で微笑むカイ。
ゲルダは続けた。
「お父さんもお母さんも、私がうーんと小さいときに死んで、
私…なんの思い出も持ってない。
だから、あの鐘の音で私、何か…
何かがお父さんとつながったような気がして、
だから…、だから私、教会を…」
「そういうことなら、あるさ。
必ずゲルダの教会はあるはずだ!」
カイはそう言って、こぶしを握ってみせた。
「カイ…」
微笑むゲルダ。

雨が上がった。
歩き出した二人の耳に、

♪ カーンコーン、カーンコーン… ♪

あの鐘の音が…!
雨上がりの、雫でキラキラ輝く森の中を、
その音を頼りに走るゲルダとカイ。
手をつなぎ、まるで鐘の音に導かれるように…
たどり着いた湖の向こうに、
ああっ!!
夕日に照らされ、金色に光る教会が!

それは何か…とても不思議で…とても美しくて…
波立った水面のはじくオレンジの光と、
沈みかけたお日様の間に、
幻想的に浮かび上がる影絵のようで…

それは…
やがて、夕日が落ちると同時に、
暗闇に消えて見えなくなってしまった。

♪ カンコーン… ♪

鐘が鳴り止んだ。
気付くと、あたりはもうすっかり暗くなっていて、
空にはたくさんの星が瞬いていた。
もう見えなくなってしまった教会のあった方を見つめたまま、
じっと動かないゲルダの目には涙が浮かんでいる。
「やっぱりあったんだね、森の教会。」
カイもまた、教会の見えた方をじっと見続けていた。
「うん…」

森の入り口では、ヨハンネを抱いたカイのお父さんが、
少し怖い顔で、森の方を見ていた。
「あ、帰ってきた。」
ゲルダとカイが森から出てきたのを見て、
ヨハンネが言った。
二人がお父さんの前まで歩いてくると、
お父さんは左手をガッと振り上げた!
「うっ…」
殴られるのを覚悟して体を縮める二人。
しかし、その手は上に挙げたまま、
お父さんは厳しい声で言った。
「森へ入ってはいけないと言ったはずだ!」
「ごめんなさい。」
「すみません。」
頭を下げるゲルダとカイ。
「もう二度と心配を掛けるようなまねはしないと
約束しなさい!!」
「はい。」
返事をするゲルダとカイと、そしてヨハンネ。
すると、
「それで?」
と、お父さんが、先ほどまでの荒い声ではなく、
急に穏やかな声でそう言ったものだから、
「え?」
ゲルダもカイも、ちょっと驚いて顔を上げた。
「見つかったのか?教会は。」
「あ…え…」
なんと答えたものか…
ゲルダとカイが顔を見合わせているうち、
お父さんは、
「残念だったな。」
そう言って、歩き出してしまった。
今度は笑って顔を見合うゲルダとカイ。
そして、二人とも人差し指を口に当てて
「しー…」
と、ナイショの約束。
「おーい、早くしないか!
ニナとマティルネさんが、スープと新しいパンを焼いて
待ってるんだー!」
「はーい!」
お父さんの方へ走り出す二人。


〜 こうして、『不思議の森』の教会のことは、
ゲルダとカイの
新しい秘密になった。 

そして、その夜が終わる少し前から、
二人の街に…
冬が来た。 〜


* 第1話 終わり *

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