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「わたしの名は、喪黒 福造(もぐろ ふくぞう)…
人呼んで『笑ゥせぇるすまん』
ただのせぇるすまんじゃございません。
わたしの取り扱う品物は『ココロ』
人間のココロでございます。
ぅおーっふぉっふぉっふぉっふぉっ…」



藤子不二雄Aの
ゥ せ ぇ る す ま ん



「この世は、老いも若きも男も女も、
ココロのさびしい人ばかり。
そんな皆さんの心のスキマをお埋めいたします。
いえ、お金は一銭もいただきません。
お客様が満足されたら、
それが何よりの報酬でございます。

さて、今日のお客様は…」

夕暮れの繁華街を歩く、一人のサラリーマン。
いかにも、頼れる上司といったタイプ…

「おーっほっほっほっほっ…」


― 第1話 たのもしい顔 ―


「あら!」 「まぁ、ステキっ!」
「シビレちゃう〜!」
通り過ぎるその男を見た女たちの視線は、
その男に釘付けになる。
そんなことはおかまいナシに、
平然と歩き続ける男。
「頼母部長〜!」
後ろから、その男(頼母[たのも])の部下が2人追いかけてきた。
「ねぇねぇ部長!部長は、どうしてそんなにモテモテなんですか?」
「ふん、そんなこと、私は知らん。」
そっけなく答える頼母。
すると…
「あ〜ん、そのハードな横顔がシビレちゃうわぁ…」
「部長〜、ボクにも甘えさせてぇ〜」
頼母の足や腕にまとわりつく部下2人(男)。
「こらこら!」

バーのカウンターで、ウィスキーを飲みながら
ダンディーに煙草をくゆらせる頼母。
「ねぇねぇ、部長ったら、いったい何考えてるんですか?」
頼母の左隣に座っていた部下Aがそう尋ねると、
右に座っていたこの店のおねーさんが言った。
「うんっもう…。きっと奥さんのことでしょ?
んっ、憎らしい!ツネツネしちゃうからっ!」
そう言っておねーさんは、
頼母の向こう側に座っている部下Aの背中をキュ〜。
「ぎゃ〜、なんでボクが…!」
いすから転げ落ちる部下A。
「いくら憎くても頼母さんをつねるなんて…
アタシにはできないわ…」
ぽ〜っと頼母の横顔を見つめるおねーさん。
「いっひっひっひっひ…」
ひっくり返った部下を見て笑う、もう一人の部下B。
「ちきしょ〜う!」
今度は、その部下Bのほっぺたを思いっきりつねる部下A。
「頼母さんの奥さんがうらやましいわ…」
そう言って、頼母の腕にからみ付くおねーさんを振り払うかのように、
「さて、私はこれで失敬する。」
グラスのウィスキーを一気に飲み干すと、
頼母はスッと立ち上がった。
「え〜、もう?」
さびしそうなおねーさん。
「え?部長?もう少しいいじゃないですか。」
部下たちも、頼母を引きとめようとしたが、
「君たちは、ゆっくりしていきたまえ。」
と、頼母はさっさと出口へ向かった。
そして、後をついてきたおねーさんに、
「じゃ。見送りはいいよ。」
そういい残し、ドアを出てゆく頼母。
「あ、はい、お気をつけて…。
あぁ、引き際まで鮮やかだわ…」
おねーさんは胸に手を当てて、頬を赤らめた。
その手前で、キラリと光る三日月形の白い歯の男…。

さっそうと繁華街を歩いていた頼母だったが、
突然吐き気に襲われ、路地に入り込む…。
目も回る…完全に飲みすぎだ。
そこへ…
「もしもし…」
誰かが、頼母の背中から声を掛けた。
驚いて頼母が振り向くと、
そこに、見たことのない、ずんぐりむっくりで…
愛嬌があるようで、でも、どこか不気味で…
深々とかぶった帽子の下に、大きな目と三日月形の歯を、
月明かりにらんらんと輝かせた男が立っていた。
そう…、彼はさっき、あのバーにいた…。
「どうしました?」
「あ、あ、いや…、なんでもありません…」
頼母は立ち去ろうとしたが…、いかんせん体が言うことをきかない。
結局、その男の肩を借りて歩くことになった。
「かなりお飲みのご様子ですね。」
「ああ…」

頼母と男は、近くの公園の噴水のところに座った。
「どうです?少しは気分が良くなりましたか?」
頼母の背中をさする男。
「はぁ、とんだご迷惑をお掛けしました…。」
「いえいえ、気分の悪いときはお互い様です。
さ、もっともっともっとお吐きなさい。」
そのやさしさに心を許したのか、
頼母は、静かに話し始めた。
「…私は、どんなに飲んでも乱れない男だと思われているんです。
私も見栄を張って、ストレートをガブガブと…。
あー、酒だけじゃない。
私は、すべてのことで頼もしい男だと思われているんだ。」
「はい、はい。」
噴水の水に、自分の姿を映す頼母。
「他人には、よほど頼もしく見えるんでしょう…。
この顔のおかげで私は、子供の頃から期待されて育ってきました。
常に周囲の期待に応えるよう、懸命に頑張ってきたのです。
現在に至るまでずーっと、
家族、友人、会社の連中に頼りにされてきたのです。
だが、いつも頼りにばかりされることは、大変な負担です。
私を頼って甘えてくる連中はたくさんいるけど、
私が頼り、甘えられる人物なんて、どこにもいないのです…。」
頼母は、泣き出した。
「…わかりました。人を頼るより頼りにされるほうが、
何倍も辛いものです。
今のままでは、精神のバランスが崩れてしまうでしょうなぁ。
よろしい…
あなたが安心して甘えられる人を紹介しましょう。」
「えっ!本当ですか?」
「ええ…。紹介料はタダで結構です。
おーっほっほっほっ…」

そして、次の朝。
ダイニングで…
ゲートボール帰りの頼母の母が、
汗をぬぐいながら言った。
「いや〜、ご近所でもお前のこと、ホントに頼もしい息子さんだって、
ほめられちゃってねぇ。」
「わかった、わかった。」
読みかけの新聞を閉じる頼母。
玄関で…
頼母の肩を揺すりながら、幼い息子が言った。
「パパ〜、今度の日曜日、ぜ〜ったいディズニーランドだよ!」
「ああ…。」
靴を履きながら応える頼母。
門のところで…
見送りに出た妻が言った。
「あなた、今夜は早く帰っていらしてね。」
「ん。」
「あ、あなた、昨日の上着にこの名刺が入ってましたけど。」
そう言って妻が差し出した名刺には…
『ココロのスキマ、お埋めします
喪黒 福造(もぐろ ふくぞう) 』
と、書かれている。
「喪黒福造…、ああ、あのオヤジか。
こりゃ要らん、捨てていい。」

頼母の会社
頼母が、バリバリと仕事をこなしている。
「部長、ご面会です。」
女子社員が、頼母のデスクにやってきた。
「誰だね?」
「この方ですが…」
女子社員が見せた名刺には『喪黒 福造』の文字が…。

応接室
「おーっほっほっほ。昨日はどうも、頼母さん。」
帽子を取った喪黒は、夜より一層不気味に見えた。
「で、ご用件を簡単におっしゃってください。」
煙草に火をつける頼母。
「はぁ、昨夜お約束した件でして…。」
「昨夜の約束?」
「ええ、あなたが頼れて甘えられる人物を、
あれから早速いろいろあたりました。
やっと見つけ出してきました。」
すると、頼母は…
「君、私は忙しいんだ。つまらん用事なら帰ってくれたまえ。」
そう、怒ったように立ち上がった。
「ですが頼母さん。」
「昨日、私が何を言ったか知らんが、酔っぱらった挙句のたわ言に過ぎん。
ははん、わかったぞ。
君は私に女を世話して、それをネタに恐喝する気だな!」
「おやおや、こりゃひどい誤解だ。」
喪黒は立ち上がり、ドアへ向かった。
「仕方ありません。とりあえず帰ります…が、
もし気が変わったら、さっきの名刺の裏を見てください。
先方の連絡先が書いてありますから。」
喪黒は、ちょっと帽子をあげて挨拶すると、
それだけ言い残し、帰って行った。
その後姿を見送った頼母。
「…薄気味の悪いオヤジだ。」

デスクに戻った頼母は、
山のように詰まれた書類の処理に追われていた。
「頼母部長、奥様からお電話です。」
「何、家から?」
受話器を取る頼母。
『あ、あなた…お義母様ったらひどいのよ!』
泣きながら話す妻。
受話器の向こうでは頼母の母が、
「泉さん、告げ口かい?私の一人息子は、
あんたの味方なんかしやしないよ!ねぇ。」
と言って、孫の手を取った。
「仕事中に電話しちゃいかんと言っておいたはずだ!」
小声で怒鳴る頼母。
『だって…、あんまりなんですもの。』
「わかった!そんな話は帰ってから聞く!」
『あなた、本当に早く帰ってきてくださいね…』
「わかったったらっ!!」
頼母は、思わず叫んで受話器を投げ捨てるように電話を切った。
「いちいちくだらんことで…」
と、そこへ、一人の部下が慌てて駆け込んできた。
「部長!営業の田村が、すぐそこで会社の車ぶつけちゃって!
相手が怖いトラック野郎なんで、心細いからちょっと来てもらえませんか!!」
…見る見る頼母の顔が、恐ろしい形相に変わる。
「馬鹿!!そんなことくらい、君らで始末しろ!!
何でもかんでも俺のところに持ち込んでくるなー!!
頼りにばっかりされるのは、お断りだーーーっ!!」
ついにブチ切れた頼母と、驚いてそれを見ている社員。

その夜、いつのもバー
「もう一杯。」
カウンターで、グラスをおねーさんに差し出す頼母。
「まぁ…そんなに飲んで大丈夫ですか?」
「ス、ストレートの5杯や6杯で、酔っぱらうもんか…」
「でも、頼母さんのお体が心配で…。
だぁってぇ、お体壊したら甘えられなくなるもんっ!」
そっと寄り添うおねーさんだったが…!!
「やめろっ!!俺に寄っかかるなーー!!!」

フラフラと、千鳥足で道を歩く頼母。
「もお…、どいつも…こいつも…寄っかかってきやがって…
俺だって…寄っかかりたいんだよおおお…!」
その時、喪黒の名刺が、頼母の目の前に落ちた。
頼母の頭の中でこだまする喪黒の声…
『相手の連絡先は、私の名刺の裏に書いてありますからね…
書いてありますからね…書いてありますからね…』

頼母が、何かに引き寄せられるかのように歩き、着いた先は、
古ぼけた汚いアパートだった。
そして、その前には…、
見覚えのあるずんぐりむっくりの男、喪黒が立っていた。
「よくいらっしゃいました、頼母さん。
気分をゆったりさせて…
すばらしい女神を紹介してあげますよ。
ドーーーーーーン!
喪黒は、人差し指を頼母に向かって突き出した!
「ぎゃああああああ!」
真空波を受けたように、吹っ飛ぶ頼母。

いつの間にか、頼母の目の前に美しい朱塗りの扉がある。
どこからともなく聞こえる、喪黒の声…
「さあ、その部屋です。どうぞお入りなさい。」
頼母がゆっくりとドアを開くと…
「おおっ!!」
そこには、金色に輝く大きな観音像が!
『おいで…ぼうや、おいで…』
やさしく、暖かく、包み込むような声も聞こえる…。
ボー然と立ち尽くす頼母。
「さあ、お行きなさい。思いっきり甘えていいのですよ。」
喪黒の言葉に、頼母はふらふら観音像に近づくと、
蓮華の花の上に組まれた足の上に顔を埋めた。
ゆっくりと頼母を抱きしめる観音像の腕…。
『いい子いい子…何もかも忘れて、
私の膝の上でお眠り…』
頼母は、観音像の膝に、夢中で頬を摺り寄せる。
その顔からは、人に頼られそうなキリッとした面影は消え、
今まで、頼母が隠しに隠してきた、
母親に甘える幼子のような表情だけが残っていた。
「ああ、いい気持ちだ…、まるで雲の上にいるみたい…」

高速道路を走るタクシーに、
喪黒と、喪黒に連れられた頼母の妻と息子が乗っている。
「今、ご主人は療養されています。」
喪黒の言葉に、不思議そうな顔をする妻。
「療養?主人は別にどこも悪くないはずですが…」
「いえ、もう少しで、手の施しようもなくなるところでした。」

ボロアパートの前に立つ3人。
「幸い、私が適切な処置を施したので、もう大丈夫ですがね…。
では、私は仕事がありますので。」
妻と息子を残し、立ち去る喪黒。
怪訝そうに、アパートの2階の部屋を見上げる妻。
「こんな所に…?」

「失礼します。……ああ!」
部屋のドアを恐る恐る開けた妻と息子が目にした光景は…!!
相撲取りのように太った中年の女性に、素っ裸で抱っこし、
赤ん坊のように、その乳房に甘える夫がっ!!
「バブ…バブ…」と、繰り返しながら…。


「おーっほっほっほ…
あの光景を見て、頼母さんの本当の心を理解できるか、
嫌悪の情をもよおすか…
頼母家の幸せは、それ次第ですな…
おーっほっほっほっほっ…」


― 終わり ―

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