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モンスター 第1章「ヘルDr.テンマ」



OPERATIONSSAAL 1
そう書かれた部屋のプレートの明かりが消えた。
するとすぐにそこから男達が出てきた。手術が終わったのだった。
「見事だったなあ」
「ああ、相変わらずの腕だ」
「あんなむずかしい部位の脳動脈瘤をあの速さでクリッピングするなんて!!」
「頭蓋骨の削り方も手際よく、見事の一言だった!!」
「素晴らしいオペだったよ、ヘルDr.テンマ。ケンゾー・テンマは天才だということを改めて確認したよ」
一人がテンマに手を差し出した。握手を求めたようだった。
「ありがとうございます」
テンマは差し出された手を握った。
「脳神経外科と救急外科、両方かけもちで疲れきっているところを、よくがんばってくれた!」
「いえ、皆さんのおかげです。ダンケシェーン、ありがとうございます」
病院の廊下、その窓から高く上った太陽が、テンマを照らしつけた。
「う……」
あまりの眩しさにテンマは手で光をさえぎった。


  そして私は、海から一匹の野獣がやって来るのを見た。
  それは、10の角と7つの頭を持ち、それぞれの角には冠が、それぞれの頭には神を侮辱する名前があった。
  (中略)竜がその権力を野獣に与えたため、すべての人々は竜を崇拝した。
  人々はその野獣までをも崇拝し、そして言った。
  「誰がこの野獣のようになれるのか。誰が野獣に逆らって戦うことができるのか」
                   <ヨハネの黙示録 第十三章一-四>


「もうこんなに日が高くなっていたのか……」
「ああ、なんたって真夜中から6時間ぶっつづけのオペだったもんな
 今日は外来もないし、ゆっくり休め」
「はい」
テンマはフラフラとした足取りで病院の廊下を歩いていった。
「う……う……」
テンマがふと横を見ると、そこには廊下においてある長いすにかけた女性が目に入った。
その隣には男性が座り、周りには一人の小さな子供がいた。
女性は泣いているようだった。
「あ……そういえば、同じ頃もう一件、トルコ人の労働者がかつぎこまれたね」
「ええ……Dr.ベッカーが執刀されました」
テンマは隣を歩いていた看護師に尋ねた。
「結果は?」
看護師は静かに首を横に振った。
「……そう。残念だったね………」

「う…う……」
女性はまだ泣いていた。
「ねえ、父ちゃんは?」
小さな男の子は母に尋ねた。
「ねえ、父ちゃんどうしたの?」
「うああああ!!」
女性は大声で泣いた。

1986年、デュッセルドルフ・アイスラー記念病院でのことだった。


「クカ―――」
テンマは寝ていた。テレビをつけっぱなしにしているようだった。
『……の問題に対し、政府は前向きに検討したいと述べています』
「ンゴ―――」
『では、次のニュースです』
「こら、起きろ!」
女性の声だった。
「ンゴ…」
「起きなさい、Dr.天馬!」
女性は寝ているテンマの頬にキスをした。
「ん……」
「役柄が逆でしょ。キスで目覚めるのは、あたしみたいなお姫様のはずよ」
「ん……あ、来てたのか、エヴァ……」
テンマは眠たい目をこすりながら言った。
「デートの約束、忘れてたでしょ、賢三」
「あ…いや……忘れてないよ」
『先日、東ドイツから西側へ亡命した東独貿易局顧問のリーベルト氏が、昨日、マスコミの前に姿を現わしました』
テレビには一組の夫婦とその子供らしい少年と少女が映っていた。
『リーベルト負債は疲れた様子もなく、二卵性双生児の娘さんと息子さんと共に明るい表情を見せていました。
 一家は当分の間、デュッセルドルフに…』
「う――ん、寝た気がしない………………」
テンマはまた眠り始めた。
「コラッ、ダメよ、起きて!! あなたのニュースよ!!」
「ん……ん?」
「ほら、テレビ見て!!」
『昨日くも膜下出血で倒れ、重態が伝えられたオペラ歌手ローゼンバッハさんですが……
 術後の容態は順調のようです。デュッセルドルフ・アイスラー記念病院のハイネマン院長が
 先程、記者会見を行いました。その模様をご覧下さい』
テレビの映像が切り替わり、白衣を着た男性の姿が映った。
『ローゼンバッハさんの診断名は、破裂脳動脈瘤、くも膜下出血です。
 手術自体は予定通り、クリッピングもうまくいきました。
 問題は、今後予想される脳浮腫、脳血管れん縮による脳虚血、二次性水頭症ですが、
 これらの予防は万全の態勢で行うつもりです』
『多くのファンを持つローゼンバッハさんですが、復帰の可能性は?』
『また彼の歌声を聞くことができるんでしょうか?』
『ええ、彼の歌声をよみがえらせるために、全力を尽くします』
『これまでも数多くの困難な手術を成功させてきたハイネマン医師のチームは、
 今回の手術でまたわが国の医療界での地位をゆるぎないものにしたといえるでしょう。
 次のニュースです』
「すごいわ、ケンゾー!」
「僕のニュースじゃなく、君のパパのニュースだよ」
「それはそうだけど」
エヴァは立ち上がり、テレビの方に歩み寄った。
「あなたがチームの一員として完璧な手術をしてくれたからよ。」
エヴァはテンマの方を振り返った。
「おかげでアイスラー記念病院の名声はあがるし……きっと父もあなたにかんしゃしているわ」
「感謝するのは僕のほうだよ。日本人の僕が今こうしてドイツでやっていけるのも、
 君のお父さんのおかげだからね」
エヴァはテンマの隣に腰掛けた。
「この調子でがんばるのよ、ケンゾー。父についてゆけば絶対に大丈夫。
 父が理事長になるのも時間の問題なんだし……
 そうしたらあなたもすぐに外科部長、ゆくゆくは院長に……」
テンマの顔に笑みが浮かんでいた。
「そしたら私は院長夫人!」
エヴァはテンマに抱きついた。
「ん!!」
「幸せにしてよ。あたしに苦労は似合わないんだから」
ベッドの上に倒れたテンマの上に馬乗りになると、エヴァはテンマにキスをした。
「あ、そうそう、あなたの論文、父がとっても感心していたわ」
「ホントかい?」
「ええ。父の名で学会で発表したらかなりの反響は間違いないわ」
テンマは不思議そうな顔でエヴァを見上げた。
「父のために書いた……そうでしょ?」
「あ…ああ……」
テンマはエヴァから目をそらした。
「あの論文は君のお父さんの依頼で書いたんだ。使ってもらえてうれしいよ」
エヴァは再びテンマにキスした。
「どうする?」
「どうするって?」
「デート……外に出かける?それとも……このまま………?」
エヴァはテンマにのしかかった。
『次のニュースです……』



――手術室
「血圧、128/64」
「脳ベラ」「マイクロせん刀」
「これからピラミスをけずるぞ」


「いや――――相変わらず見事なオペだった。上手いのはオペだけじゃないがね」
「は?」
テンマは何を言われているのか分からず、振り返った。
「手術脳では天下一品。その若さでチーフの座にすわり、院長も外科部長も大のお気に入りだ」
「な…何が言いたいんですか、Dr.ベッカー?」
「いや、何も悪い意味で言ってるんじゃないさ。病院は政治の世界だからな。
 上手に世渡りしていかなきゃ、いつまでたってもうだつがあがらない…それが病院ってもんだ」
「Dr.ベッカー……」
「院長の娘のハート、ガッチリつかんどけよ」
「え……」
「隠したって無駄さ。みんなご存知だよ。まったく、そっちのほうも腕がたけてるとはねえ」
「そ、そんな!」
「いや、ホント悪く言ってるんじゃないんだ。
 君だって、院長にうまく利用されてるってことはわかってるんだろ」
ベッカーが振り向きざまにそう言った。テンマは図星をつかれたような顔をした。
「君が成功させたオペを、さも自分がやったようにテレビで記者会見、だもんな」
ベッカーは再び歩き出した。
「そりゃ一流オペラ歌手の命を救えば、病院の名もあがる。
 君は院長のために、あのオペを絶対に成功させなゃならなかったし、
 期待にこたえて見事成功させてのけた。
 しかしな、ただ利用されてるばっかりじゃなく………………
 そっちも徹底的に利用してやれってことさ。娘でもなんでも使ってな」
「………」
テンマは何も言うことが出来なかった。
「まっ、言われなくてもわかってるか。利用されるってことは、実力があるってことだもんなあ。
 俺なんか利用して欲しくても、実力がないもんなあ……
 君が出世したら俺のこともよろしく頼むよ。
 今度一杯おごるからさ。うまいリンゴ酒飲ませる店知ってるんだ」
テンマはため息をつき、ベッカーの後姿を見送った。
「Dr.テンマ」
「え……」
看護師だった。
「ICU(集中治療室)のケストナーさんなんですけど、血圧が70まで下がっています」
「わかった。イノバンを3ガンマ上げてくれ。あとベンチレーターの酸素濃度を50%に上げて……」
ふと、テンマが看護師から目を離すと、そこには先日のトルコ人の女性が立っていた。
「あんた、Dr.テンマ?」
「はい、何か?……あなた、たしか先日ケガで運び込まれたトルコの……
 あ……君、先に行っててくれたまえ。僕もすぐ行く」
「はい」
テンマは看護師を先に行かせた。
「亭主を返してよ」
「はい?」
「ウチの人返してよ!!」
「あ…あの、病院としては全力を尽くして……」
「うそだ!!」
女性はテンマの胸倉をつかんだ。
「え?」
「あの時、ウチの人のほうが、はやくかつぎこまれたんだ!!
 あんなオペラ歌手なんかより先に運び込まれてたんだ!!なのに後回しにしたんだ――――!!」
「え……」
「あんた、この病院で一番腕のたつ医者だそうじゃないか!!
 なんで先に運び込まれたウチの亭主を、あんたが手術しなかったんだよ!!」
(あ……あの時……)
テンマはその日のことを思い出していた。
(あの夜、たしか僕はアパートで寝ているところをポケベルで呼び出され、
 工事現場で事故にあったトルコ人のオペにあたるところだった……)

 「Dr.テンマ」
 テンマは声のした方を見た。
 「君はこっちじゃない。大至急、第一手術室のほうに行ってくれ。院長からのお達しだ。急いでくれ!!」
 
「………」
「あんたが手術すれば助かったんだ!!あんたがウチの亭主、後回しにしたんだ!!」
ドンドンとテンマの胸板を叩く女性の腰に、子供が抱きつき泣いていた。
「母ちゃ〜〜〜ん!母ちゃ〜〜〜ん!!」
「あの人返せ!!あの人を!!うあああ!!」
女性はテンマの胸板を叩き続けた。
テンマは何も言うことが出来なかった。


――レストラン
テンマはエヴァと食事をしていた。
「……でね、そのドレス、友達と奪い合いよ。あのサイズ一着しかないんだもん。
 でも安心して。あたしのモノにしたから……ちょっと、聞いてるの?」
「え?」
テンマは呆けていた。
「あ…ああ……」
「カルテを見たんだ……そのトルコ人のオペを執刀したのはDr.ベッカーだった」
「やだ、まだその話してるの?」
「直接の死因は脳ヘルニア……しかし、明らかに治療開始に時間がかかりすぎている。
 もっと迅速に開頭して外減圧をすれば…………」
「やめてよ、食事中にそんな話」
エヴァは露骨に嫌そうな顔をした。
「Dr.ベッカーには悪いけど、僕が執刀していたら、あのトルコ人の患者をなんとか助けることができたかもしれない。
 しかし……しかし、僕に対してあんなふうに言ったって一体どうしろっていうんだ。
 僕はただ、院長の命令通りあのオペラ歌手のオペをしただけなんだ。僕に責任はない……」
「そうよ」
苦い顔をして言うテンマに、エヴァは明るく答えた。
「そうだろ?」
「当たり前よ。人の命は平等じゃないんだもの」
「え……」
テンマは驚いた。エヴァの言葉が頭の中で響く…。

 人の命は平等じゃないんだもの

 返してよ!!
 ウチの人返してよ!!



雨が降っていた。
『103号車、現場到着!!』
『214号車到着!!』
パトカーが二台、大きな屋敷の前に停まった。
「あの屋敷か!!」
「はい、通報者は隣人です!!」
すでに屋敷の前には人だかりが出来ていた。
「はい、下がって下がって!!」
「救急車はまだか!?それとあと四人程応援頼む!!」
「銃声は何発聞こえたって!?」
「5,6発です!!」
「この家の住人の身元はわかったのか!?」
「そ…それが……先日東独から越境してきた党貿易局の顧問……リーベルト氏の住居だそうです」
「なんだってェ!? 面倒なことになるぞ、こりゃあ……」
『裏口、配備につきました!!』
「よし、ドアの横かためろ!!」
警官達は屋敷の出入り口につき、突入の合図を待った。
「3つ数えたら突入する!!」
「1!!」
「2!!」
「3!!」
屋敷の中でまず見つかったのは、リーベルト夫妻だった。
二人とも頭を銃で撃ち抜かれ、すでに絶命しているようだった。
「侵入者はすでに、逃走した模様です!!」
「ひでえ……なんてこった…………」
警官達は開いている隣の部屋のドアに気が付くと、いっせいに銃を向けた。
そこにはひとがげが二つあった。
「!!」
一つは少年のもので、頭を撃たれ、倒れていた。
もう一つは少女のもので、無傷だった。
しかし、放心しているようだった。
「少女一人生存確認!!」
「男女二人は絶命!!」
「男の子は重体ですが、脈拍あり!!」


ピーピーピー……
テンマのポケベルが鳴った。
「ん……」
寝ていたテンマはポケベルの音で目を覚ました。
「急患か………」
テンマのポケベルは鳴り続けていた。



モンスター 第1章 おわり

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