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巨 人 の 星


第1話 めざせ 栄光の星




街灯の裸電球の光が、ぼんやりとかすむ雪の夜、
路地の片隅で、キャッチボールをしている父親と幼い息子。
「はぁ、はぁ、はぁ…、えぃっ。」
肩を揺らしながら白い息を吐く少年の額から、
滝のような汗が流れては落ちる。
少年は、サウスポー。
しゃがんだ父親のミットめがけて、ひたすらボールを投げ込んでいる。
パシーン!
「291!どうした!そのくらいのことでへたばるとは情けないぞ!」
父親は、座ったまま思い切りボールを投げ返す。
「全身で投げるんだ!全身で!」
少年は、父親をぐっとにらむように力を込めると、
「くそぅ!」
思い切りボールを投げた。
バシーン!!
「よぉし!あと8球!」
父親が、高めに投げ返したボールを受けた拍子に、
少年は、バランスを崩して雪の上に倒れた。
「何をしている!!立て!飛馬(ひゅうま)!!」
鬼のような形相で、怒鳴る父。
顔を上げた少年 飛馬の目から涙があふれた。
「投げろ!投げとおせ!
星 一徹(ほし いってつ)の子ならば、断じて負けることは許さん!」
(く、くそぉ…!!)
少年は歯を食いしばり、再びボールを投げるのだった。


アナウンサー 『長嶋、8号のホームラン!六大学リーグ初の8号ホームラン!
立教大学、春秋二連覇のヒーロー、長嶋三塁手!
優勝旗を手にして、長嶋うれしそう。』

長嶋選手の元へ駆けつける報道陣。
「長嶋さん!プロ球団はどこを選ばれますか?!」
「教えてください、長嶋さん!」

テレビのインタビュー番組
巨人軍の川上監督に尋ねるアナウンサー。
「川上さん、立教の長嶋君についてどう思いますか?」

街角では、女の子たちが雑誌を手に、
長嶋談義に夢中。
「わぁ、ステキ!」 「長嶋ってイカスわねえ!」

― 昭和32年暮れ、六大学リーグの花形選手、長嶋三塁手は、
ついに巨人軍入団に決定した。
新しき巨人軍のスター、黄金のルーキー長嶋。
そして、至上最高の名三塁手誕生と、
大人も子供も、男も女も長嶋の噂、長嶋の評判に沸き立ち、
長嶋の人気は、いやが上にも盛り上がっていた。 
しかし、それらの話題に耳も傾けもしない、
ただ一人の少年がいた。 ―

隅田川小学校 5年2組
友だちの話を、顔をしかめて聞いている飛馬。
「わっはっはっは!バカだなぁ。
長嶋がそんなことするわけねーだろ?
堂々と一発ホームラン!決まってんじゃんかよ!」
「そうだよな!黄金のルーキー長嶋だもんな!」
「でもよ、相手はベテラン金田だぜ?そう易々と…」
「バカ言え〜!誰がなんと言おうと長嶋だっ!長嶋だよ!」
「え〜、何と申しましょうか、この対決はですね、
やってみなけりゃわからんというのが本当のところじゃないでしょうかぁ。」
「わっはっはっは…、ウマいなぁ!」
みんなが腹を抱えて大笑いした、その時だった。
飛馬が突然、友だちの乗った机を倒して立ち上がった!
「うるさ〜い!長嶋の話はいい加減にしろ!」
机と一緒に倒れた友だちは、すぐ起き上がって、
飛馬の襟首をつかんで言った。
「このやろ〜!ふざけやがって!
長嶋の話をして、何が悪いんだよ!」
すると、クラスの子供たち全員が、その子に加勢し始めた。
「そうだ、そうだ!!てめーが野球嫌いだからって、
人の話の邪魔すんなよ!」
「言論の自由だぜ!」
「長嶋ばんざい!長嶋ばんざい!」
今度は、そう歌い踊りだした友だちに食って掛かる飛馬。
「長嶋の話はよせと言ったろ!」
それを見た、さっき机ごと倒された子が、
飛馬を背中からつかみ、壁に向かって飛馬を投げつけた。
一回転して、壁にぶつかる飛馬。
「あっはっはっは…!!」
友だちは、みんな大笑い。
「くっそ〜!」
その友だちに飛びつく飛馬。
それから2人の大ゲンカが始まった。
上になったり下になったり、教室中転げまわる2人。
「やっちゃえ、やっちゃえ〜!」
他の友だちも加わり、とうとう飛馬は床に押さえつけられてしまった。
涙を流しながら、それでも飛馬はキュっと唇をかみ締める。
(長嶋がなんでぃ…、名三塁手がなんでぃ…!
オレの父ちゃんだって…、ホントは…、ホントは…)

「何をぼんやりしてるんだ!?、飛馬!」
学校での、そんな出来事を思い出していた飛馬は、
そう父に怒鳴られてハッとした。
今は、夜のキャッチボールの真っ最中だったのだ。
「さあ、あと20球だ、来い!!」
ミットを構える父。
「えぃっ!」
スパーン…
「なんだ、この球は?まるで力が入ってないぞ!
ピッチャーというものは、一瞬も気を抜いてはならん!
常に全力投球でぶつかるんだ!
聞いてるのか!コラ、飛馬!!」
(父ちゃん、何だってそうオレをしごくんだ…?
野球ってそんなに値打ちのあるもんかい?
オレは…オレはもう、父ちゃんの二の舞はやだぜ。)
ぼんやり考えている飛馬の目の前に、
見知らぬ男が二人やってきた。
「こりゃまた驚いたね〜!こんな夜中にキャッチボールか。」
「へっ、珍しい親子もいるもんだ、なぁ、おい!」
「へっへっへ、いやぁ、それそれ!長嶋みてぇによ、
野球選手に育てて、がっぽがっぽ儲けようって魂胆だな?こりゃ。」
「へっ、こんな貧乏長屋の親子と一緒にされちゃ、
長嶋が怒らーな!はっはっはっは…」
「へっへっへっへ…!」
風呂桶を抱えて、路地を曲がってゆく二人。
「くそ〜!」
追いかけようとする飛馬だったが、
「飛馬!!」
首を横に振って、それを止める父。
しかし飛馬は…
「ちきしょーっ!!」
と、思い切りボールを投げた。
その球は、父のミットをかすめ、路地を曲がった2人を追いかけるように
大きなカーブを描いて路地を曲がってゆく!
そして、慌ててよけた二人を通り過ぎ、積んであった一斗缶の山を崩した。
ガンガラガラガラ…!!
一斗缶の下敷きになる二人。
その大きな音に、近所中の人たちが玄関から顔を出す。
「ザマあみろ!」
うれしそうに笑った飛馬の首根っこをつかんで、
ずるずると引きずっていく父。
そして、家の玄関を開けると、土間に飛馬を放り込んだ。
「なにすんだよ!」
「バカもん!あの球は悪魔の球と言われた魔送球!
絶対に使うなと言ったはずだぞ!!」
父は、烈火のごとく怒り出した。
奥から、心配そうに見ている飛馬の姉。
「だって…、だってしゃくに障るじゃないか!」
「そんなことは理由にならん。手をついて謝れ!
そしてもう二度といたしませんと誓え!」
「やだっ!」
「なに!?」
いつも素直に父に従ってきた飛馬の、思いがけぬ返答に、
父の怒りのボルテージが上がる。
「お父さん!」
今にも殴りかかりそうな父を止める姉。
「父ちゃんだって…父ちゃんだって悔しいはずだぜ。
知らないとでも思ってんのかい。
至上最高の名三塁手、長嶋の話を耳にするたびに、
苦い顔をして父ちゃんがヤケ酒をあおって…」
バシーンッ!
泣きながら訴える飛馬の頬に、父の平手が炸裂!
玄関のガラス戸に、ぶち当たる飛馬。
「お父さん!乱暴はやめて!!」
必死に父を止める姉と…
そして、父の目からも涙が止め処なくあふれている。
「ホントなら、父ちゃんが10年も先に、その名三塁手になってたはずだ!」
「やめろ!その話はやめろ!!!」
「いや、言ってやる!言ってやるとも!!
それが、あの魔送球が使えなかったばっかりに…
父ちゃんは…父ちゃんは…ううう…」
「…黙れ!黙らんか!」
姉の手を払いのけ、父は飛馬に近づくと、
もう一度飛馬の頬を張り飛ばす。
「お父さん!!やめて!やめてよ!!」
再び振り上げた父のこぶしを抑える姉。
「自分の果たせなかった夢を、
子供のオレに果たさせようなんて勝手だよ!
勝手すぎるよ!!」
外へ出る飛馬。
「よくも…、よくも言ったな!」
追いかけようとする父。
しかしその足を、畳に倒れながらもつかんで離さない姉。
「やめて!お父さん!!飛馬!飛馬も早く逃げて!!」
「父ちゃんのバカっ!父ちゃんの弱虫!!」
泣きながら走り去る飛馬。

橋の上
飛馬が、ぼんやり川を見ている。
(オレは、父ちゃんをあんな[〜音声が消されている〜]野球が憎い。
川上が…長嶋が憎い!)
流れてきた『明日、長嶋巨人入団 祝賀パーティー』の見出しのスポーツ新聞に
思い切り石を投げつける飛馬。


次の日
長嶋の巨人入団パーティー会場は、
たくさんの報道陣であふれかえっていた。
記者会見場には、真ん中に学生服を着た長嶋。
その横には、監督の川上。
「え〜、それでは、テレビをご覧の皆様、お待たせしました。
ただ今より、長嶋選手のインタビューを行います。
いかがですが、ご感想は?」
長嶋にマイクを向けるレポーター。
「は、伝統ある巨人軍に入団した以上は、
輝ける巨人軍の名を汚すことの無いように、
一生懸命に頑張りたいと思います。」
きっぱり、はっきり答える長嶋。
「え、ではここで、巨人軍の偉大な先輩、千葉元二塁手から、
栄光の背番号3が譲られます。」
沸き起こる拍手。
「しっかりやりたまえよ。」
「はい!」
フラッシュの嵐の中、千葉が長嶋の肩に、
背番号3のユニフォームをかける。
バックには、巨人軍球団歌『闘魂こめて』が流れている。
記者の一人が、川上監督に声を掛けた。
「ねえ、川上さん。一塁のあなた、二塁の千葉さん、
日本プロ野球史上最大の一、二塁手は、みんな巨人軍から生まれてますねえ。」
すると、突然、球団社長が…
「その通り!!ゥオッホンッ!!
そして、長嶋君を迎えた今、至上最大の三塁手も、
巨人軍から生まれる可能性が大きくなった。
いや、間違いない!長嶋君!頑張ってくれたまえ!」
と、言って、長嶋の肩をポン!とたたいた。
それを背中で聞きながら、そっと窓の方へ行く川上。
(至上最大の三塁手か…。戦争さえなかったら、たぶん…、
それはすでにもう生まれていたかもしれないんだ。
星一徹…幻の名三塁手、星君。
…君は今、どこにいるんだ、そして何をしている。)

その頃、うす汚い一杯飲み屋の店先で、
コップ酒に、過去の自分の姿を映しては飲み干す男…
飛馬の父、星一徹。
「ふっ、幻の名三塁手か…、くそう!」
(あいつ…俺に逆らいやがった…だが俺は…)
そんな一徹の耳に、別の客の話が聞こえてきた。
「なあ、オヤジ、そう思うだろ?」
「へへへ…」
「決まってんじゃねーかよな、長嶋の勝ちよ。」
「そおよ!それに決まってら〜!」
それを聞いて、コップに残っていた酒を、壁にぶちまける一徹。
そして、コップも投げつけようとして…思いとどまり、
その代わりに一徹は、思い切りこぶしを握り締めた。
「だがなあ、誰が何と言おうと、あの飛馬のヤツだけは、
大物にしてやるぞ!!」
「はぁ?」
怪訝そうな顔で、一徹を見るこの店のオヤジ…。
「大物ピッチャーにしてやるんだ!!」
一徹の腕が当たり、コップが床に落ちる…
パリーン!

再び、パーティー会場
窓から空を見上げる川上に、記者達が声を掛けた。
「川上さん、こんなところでくすぶってないで、お願いしますよ。
あ、そうだ。ひとつ、この巨人軍旗の前で、
長嶋選手と握手してる写真を2〜3枚撮らせてもらえませんか?」
「そりゃあいい!お願いします!」
それを聞きつけて、にわかに集まってくるカメラマン達。
「そう、それじゃ。」
川上は、その要望を快く引き受け、大きく『G』の文字の入った旗の前に移動。
そして、ちょっと離れた場所にいる長嶋を呼んだ。
「さ、長嶋君!」
「はい!」
長嶋が、旗に向かって歩き出したまさにその時だった。
シューーーーン!!
どこからか、白球が!!
それは、長嶋に向かって飛んできたかと思うと、
長嶋の顔の直前で鋭くカーブを描き、
球団旗の前の川上の手の中に納まった。
しかし、それを完全に見切っていたかのように、
長嶋は、顔色ひとつ変えることはなかったが…。
「魔送球だ!」
急いであたりを見回す川上。
「星…星一徹が、まさかここに…?」
「魔送球?星?…それは何のことですか?」
「うん、それはね…」
長嶋の質問に、川上が答えようとした時、
「いたぞ!!」 「こっちだ!!」
「このやろう!ふざけやがって!」
ホテルのボーイに両脇を抱えて持ち上げられ、
足をバタバタさせながら運ばれてきた一人の少年。
飛馬だった。
「こんな子供が…」
「川上さん!」
「信じられないぞ…」
驚く川上と長嶋、そして記者達。
飛馬は、ぶら下げられたまま、キッと長嶋をにらみつけた。
「おい、君の名前は?」 「なぜ、こんなことをした!」
「黙ってたらわからんじゃないか!」
矢継ぎ早に周りから浴びせられる質問にも、
飛馬は黙って、ただ、長嶋をにらんだままだった。
「でも、とにかくこの少年が本当にあの球を投げたんだとしたら、
こりゃドえらい天才だぜ!」
「君は、自分のしたことがわかってんのか?」
「もし、長嶋君が怪我でもしたら、
君は、少年院送りになるんだぞ!」
「待ちたまえ!!」
飛馬を取り囲む記者達を割って、そばへ近づく川上。
「君は…もしかしたら君は…、星君というんじゃないのかい?」
すると飛馬は、2〜3歩後ずさり
「ちがわいっ!!」
と、手を広げた。
…その左手をつかむ川上。
「君!ちょっと手を…。」
その左手は、とても少年の手とは思えないほどの無数のタコが!
(このボールダコ、20年も野球をやってきたような、
すごいボールダコだ…)
驚いて飛馬の手を見つめる川上…。
しかし、すぐに飛馬は手を引いて叫んだ。
「長嶋がなんだ!川上がなんだ!!野球がなんだー!!!」
そして、人垣を蹴散らすようにして走り去った。
「あ、星君!待ちたまえ!!」
川上の止めるのも聞かず、外へ飛び出す飛馬。
追いかける川上と長嶋。
「ちきしょう!」
飛馬は、ホテルの出口で一度振り返ると、悔しさを振り払うかのように、
がむしゃらに町の中を走っていった。
「恐ろしい。あの若さで魔送球を投げられるなんて…。
長嶋君!後のことは頼んだよ。」
「あ!どこへ行くんです?」
「どうしても気になる。とにかく後をつけてみるよ。」
その場に長嶋を残し、飛馬の後を追う川上。

「ちきしょう…ちきしょう…」
後から後からあふれ出る涙をぬぐいながら、
飛馬は、ひたすら走った。
川上も、歳を取っているとはいえ、元プロ野球で鍛えた肉体だ。
飛馬を見失うことなく追いかけ続ける。
(巨人軍の幻の名三塁手、星一徹。君は今、どういう生活をしているんだ…
星君、思えば、まったく君は不運な男だった。
君が巨人軍に入団したのは、太平洋戦争たけなわの昭和17年。
君は…、天才的なプレイヤーだった…。
僕は、君こそ巨人軍の未来を担う名三塁手だと信じていた。
しかし、ただの一度も公式戦に出場する間もなく、
君は兵隊に取られて、やがて戦場へ送られた。
そして君は、野球選手にとって命より大切な肩を壊して帰ってきた…)

〜 川上の回想 〜
昭和23年、君は巨人軍に復帰した。
肩を壊した者が、もはやプレーのできるはずはなかった。
だが、何たることだ!
君は、やはり恐ろしい天才だった。
そう…、あれは、シーズン開幕も近い、巨人軍紅白試合…
君は三塁を守り、僕は一塁を守った。

ボテボテのサードゴロに突っ込んでボールを取る一徹。
一塁にいた川上は(だめだ!星の肩では間に合わない!)と思ったが、
その時、一徹の投げた球は…、
ランナーの顔をかすめるように大きく曲がって、
驚く一塁の川上のミットに収まったのだった。
「ア、アウト!」
塁審も、驚きのあまり、ワンテンポ遅れてアウトのコール。
川上は思った。
(ま、まさか三塁から投げた球を、ランナーにぶつけるように見せたなんて…
不可能だ…偶然だろう…)
しかし、サードゴロのたび、普通に投げたのでは間に合わないのだが、
ランナーの顔面ギリギリで弧を描くその送球で、
ランナーがひるんだ隙にアウトにする…その球が、
何度も川上に投げられた。
(これは偶然じゃない…星の考え出した球だ。まさに天才的だ!)
しかし…。

夕暮れの公園で話をする、ユニフォーム姿の若い川上と一徹。
「さすがは川上だ、よく見抜いたな。」
「ああ、少なくとも僕だけはな。」
「壊した肩を補うために、この僕が編み出した秘法だ。」
「しかし、通用するのは一時だけだぜ。」
「そう、ぶつかると見えて魔送球は、実際に命中することは無い。
それが分かれば、ランナーは平気で一塁へ突っ込むようになる。
君は、そう言いたいんだろ?」
うなずく川上。
「ところがそうは行かない。時々わざとぶつけてやれば。」
「何?!星君!君は確かに天才だ。
魔送球は、君だからこそ生み出した奇跡だ!
しかし…、しかし、あえて君に忠告する。
星君!潔く巨人を去りたまえ!!」
「な、なんだって!」
「名誉ある伝統を汚す者は、いかなる天才といえども、
巨人軍に留まることは出来ないんだ!」
すると一徹は、川上のユニフォームの襟首をつかんだ。
「川上!!魔送球の威力が、やがてやってる無敵巨人軍の黄金時代のために、
どれほど役に立つか、
それが、それがわからんようなキサマ、ボンクラだったのか!!」
「星君…、戦死した沢村栄治が出征するとき、こう言い残していったんだよ。
『巨人軍のマウンドを守ってきた自分の誇りは、
今日まで一度もビーンボールを投げなかったことだ』とね。」
それを聞いてハッとし、川上のユニフォームを離す一徹。
(そうか…、俺の魔送球は、投手で言えばビーンボールと同じだ…)
ブランコの支柱にうなだれる一徹に、川上がそっと言った。
「星君…、運さえ悪くなかったら、
君はおそらく至上最大の三塁手になっていたに違いないよ。」
「…わかったよ、さよならだ、川上君。」
「星君!!」
振り返ることなく、公園を出てゆく一徹。

〜 回想 終わり 〜

泣きながら飛馬を追い続ける川上。
(星君……)

飛馬が家に帰ってみると、玄関先に人だかりが出来ている。
「あ、やめて!!危ない!!」
響く姉の声。
「ッチショー!コラッ!!バカヤロー!!」
ガッシャーン!!
激しい物音と一徹の叫び声。
そして、ガラスを破り外へ飛んでくる鍋、釜、しゃもじ、茶碗…。
少しして、姉が走り出てきて、その人だかりにびっくり!
「あっ、どうもお騒がせして皆さん、本当にすいません。」
近所の皆に頭を下げる姉。
「姉ちゃん、頼りにならないぜ。なぜ父ちゃんに酒を飲ましたんだよ!」
「まあ!ちょっと!!」
怒る飛馬の腕をつかんで、家に引っ張り込む姉。
「ご覧なさいよ!!何もかも飛馬のせいよ!!」
姉の指差すその先に…。
ボロボロに壊されたテレビ…、散らかった割れた食器…、
その向こうで、一升瓶をつかんだまま大の字になって寝ている一徹。
その惨状にあきれる飛馬。
「…派手にやっちゃったな。
でも、何だってこれがオレのせいなんだ?」
「とぼけないでよ!
何も知らない長嶋さんに、いきなり魔送球を投げつけるなんて…
お父さんが怒るのも当たり前よ!」
「み、見てたのかい?」
「ええ、テレビでは、すぐスイッチが切り替えられたから、
誰が投げたかはわからなかったけど…
お父さんにはね、すぐわかったわ。」
普段やさしい姉だったが、このときばかりは珍しく声を荒げた。
「…だからって、こんなに荒れることはないだろ!」
「バカ者!!!」
突然怒鳴る一徹。
驚いて茶の間を見ると、一徹はいつの間にかどっかりと畳に座っていた。
「落ちぶれても星一徹!あんなバカなまねをするヤツを我が子に持って、
昔の巨人軍の仲間に恥ずかしいわい!!」
一徹が、そう吐き捨てて、欠けた茶碗に酒を注いだ時、
玄関外が、にわかに騒がしくなった。
「ええ?」 「巨人軍だってよ!」
急いで飛馬は外へ飛び出し…
「えへ…、どうもお騒がせしやして。
もう騒ぎは収まりましたから、どうぞお引取りになってくださいまし。」
と、近所の野次馬に、愛想笑いを振りまいた。
そして、ピシャッ!と、玄関を閉めると…
「嘘つき!父ちゃんが荒れたのは、
オレがボールを投げつけたからじゃない!
そのボールを、父ちゃんの発明した魔送球を、
長嶋に見破られたからなんだ!!」
ただ黙って、飛馬の話を聞いている一徹。
「父ちゃんは…幻の名三塁手は、長嶋に負けたんだ!!
…負けたんだ、うううう…」
障子にすがるように、泣き崩れる飛馬。
「うわああ…」
ガシャン!!
一徹は、持っていた茶碗を、思い切り壁に投げつけ、
一升瓶に口をつけると、一気にその酒を飲み干した。
「ほら、オレが見抜いたとおりさ。」
そう言う飛馬に、あふれる涙をぬぐいもせず姉は言った。
「そう言う飛馬だって、本当は悔しいんでしょ…、悲しいんでしょ?!」
「バカぬかせ!」
飛馬は、急いで、上着の袖で涙をぬぐった。
「今頃拭いたって遅いわよ。ちゃんと顔に…書いてある…
うふふふふ…!」
わざと明るく笑う姉に、飛馬は思い切り抱きついた。
「バカバカバカ…!姉ちゃんのバカ!!アンポンタン!
おたふく!お嫁のもらい手がないぞ!!」
泣きながらポカポカ胸の辺りを殴る飛馬を、
姉はギュッと抱きしめる。
「…かわいそいに。魔送球さえ使えば…、
お父さんこそ至上最大の名三塁手だと、信じていたかったのね?」
畳に寝そべった一徹の目から、涙がつたった。

掘っ立て小屋同然の、ボロボロの家。
その前で、中の話を聞いていた川上。
「…そうだったのか。それにしても、あまりにひどい生活。
星君としても、このままでは昔の仲間に会いたくはあるまい。
ひとまず引き上げるか…おっ??」
ふと、壁に穴を見つけた川上が、そっと部屋の中をのぞいてみると…
飛馬が一徹の前に座り、
傍らに置いたボールを見つめながら話し始めるところだった。
「この家は、野球に呪われているんだ。
おかげでオレは赤ん坊の時から、
遊びといえば、これしか許してもらえなかった…
エーーーイ!」
傍らのボールをつかみ、壁の穴に向かって飛馬が投げると、
なんと、そのボールは!!!
ほとんどボールと同サイズの壁の穴を通り、川上の目の前を過ぎ、
外の木の、やはりボールくらいの大きさのうろに当たって跳ね返り、
再び、さっきの壁の穴を通って、飛馬の右手に戻ったのだ!!
まさに神業としか言いようが無い…。
「おお…、ま、まさか…!!こんな穴からボールが…?
これはまぐれだ…、おお!!」
驚いてシリモチをついた川上の頭の上を、
また通っては戻るボール。
「ちきしょう…、オレだってメンコやベーゴマ遊びがしたかった。
それを父ちゃんは…、これしか許してくれなかった。
…5年も、6年も…、7年も…エエィ!!」
何度やっても、寸分のズレもなく、
ボールは飛馬の手に戻るのだった。
川上は、汗びっしょりになって、
何度も目の前を通り過ぎるボールをただ見ていた。
(訓練だ…恐ろしいほどの訓練がこの奇跡を作り上げたのだ!
コントロールとスピードにわずかな狂いでもあれば、
この球は、元の方向には跳ね返らない…。
もはやこのままでは引き下がれんぞ!!)
そばに落ちていた棒切れを拾い上げ、バットに見立てて握る川上。
(バッティングの場合にも、わずかでもミートが狂えば、
ボールは思った方向には飛ばない…)
そして、バッティングフォームを作り、
「星一徹よ。君に、この天才的な素質のある子を育てる資格があるのかどうか、
かつてのプロとして、弾丸ライナーの川上がテストしてやる!」
そう言ったかと思うと、次に飛んできた球を思い切りミート!!
川上の打ち返した球は、弾丸ライナーになって見事穴を通り
家の中へ戻っていった。
「危ないっ!!」
横にいた姉をかばいながら、なんとか自分もそのライナーを避ける飛馬。
そしてその球は、奥に寝ていた一徹の方へ!
一徹は、素早くそれを察知し、飛び起きざまそのボールを難なくキャッチ!
そしてすぐファーストへ投げるしぐさを見せ、にっこり微笑んだ。
「おっと、ここは球場じゃなかったっけ。」
驚く飛馬。
(すごい…なんてすごいんだ…!!!
魔法使いみたいだ…!)
それを穴から見ていた川上…。
「さすがだ!あの球を取るなり、すぐに投球動作を起こすとは、うれしいぞ!
…星よ、今度は本当の至上最大の投手を育ててくれよ、頼むぞ。
明日の巨人軍のためにな。」
家の中では…
「飛馬、しくじったな?こんな方向にボールが跳ね返ってくるとは。」
一徹の言葉に、くってかかる飛馬。
「ち、違うよ、父ちゃん!誰かがおもてで打ち返しやがったんだ!!」
「ふんっ、バカ言え。そんなことの出来る打者がいるとすれば、
日本中でただ一人、川上哲治くらいなもんだ!…あ!!」
「あ!!!」
顔を見合わせる一徹と飛馬。
「川上…」
急いで外へ飛び出すと、背広姿の男が、今まさに路地の向こうに
去ってゆくところだった。
「やっぱり…」
「あの後姿は…」
じっとその後姿を見送る一徹と飛馬と姉。

空には、満天の星が輝いている。
星空を指差す一徹。
「見ろ、飛馬。
あの星座がプロ野球の名門、巨人軍だ。
俺もかつては、あの輝かしい星座の一員だった。
しかし、もう俺の手は届かない。
飛馬、おまえはあの星座に駆け上れ!
巨人軍という星座のど真ん中で、
ひときわ輝くでっかい明星となれ!
飛馬よ…
栄光の星を目指すのだ!」

父の果たせなかった夢、
それが、いつしか自分自身の目標になってゆく…
飛馬の『巨人の星』への長い長い戦いが、
今、始まろうとしていた。



第1話 終わり

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