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百 鬼 夜 行 抄
(ひゃっきやこうしょう)

   

第一話(番外編)

精進おとしの客


―― 祖父は小説家だった。
闇に目を凝らして見えないモノを見ようとするような
独特の幻想文学の世界を築いたのだ。――


飯嶋家
二十畳はあろうかと思われる広い座敷に、
七人分のお膳が並べてある。
「座敷の支度はできてる?」
「はい、ちゃんと七人分のお酒の用意を…」
「お客様は、いったいどういう方達なの?」
「さあ私はなにも…案内状もお父さんが
自分で出したみたいよ。」
喪服を着た女達が、
お客を迎える準備に余念がない。
話の内容からすると、どうやら皆、
これから始まろうとしている会について、
あまり詳しく知らされていない様子だ。
「律の支度はどう?」
律とは、この家の五歳になる子供だ。
「あら、かわいらしい。」
皆喪服の中、律は一人真っ赤な振袖を着せられている。
長い髪には大きなリボン…
さながら城の姫君のように、愛らしくあでやかであった。
「初七日にこんな事するなんて、聞いたこともない。」
「仕方ないわよ、お父さんの最後のわがままなんだから。」
線香の煙の立ちのぼる祭壇に、律の祖父の遺影。
「なにしろ、生きているうちから、
自分で自分の通夜から葬儀から全部手配した人だもの。
遺言状に、段取り手順、こと細かく指図してあって…
まあ、その細かいこと細かいこと!」
「まあまあ、今夜の『精進おとし』が済めば全部終わりだから。」
互いに着物の帯を直し合い、女達は祭壇に線香を手向ける。
少しして、すっかり支度の出来上がった律を、
父親が抱き上げ、外へ連れ出した。
「あら!?律ちゃんはどこへ行くの…」
「律は蔵へ行くのよ。」
「それも遺言なの?」
父親に抱かれ出てゆく律を、不思議そうに見ている皆。

律は、母屋から少し離れた蔵へと連れてこられた。
時代を感じさせる大きくて立派な白壁の蔵には、
由緒ありそうな調度品が、所狭しと並べられている。
「…律は、おじいちゃんにかわいがってもらったもんな。
少しの間、がまんできるよな。
夜の十二時に会が終わってお客は帰る。
扉に鍵はかけるけど、それまで一人でいられるね?」
律を、やさしくみつめながら父親が言った。
「お父さん、おじいちゃんは自分がいつ死ぬか、
知ってたのかな?
だからいろいろ準備ができたの?」
律は不思議な子だ。
自分が、一人蔵に置いていかれることなど、
別に何とも思っていない様子で、
それよりも、祖父がなぜ自分の死後のことを、
あれこれ決めて逝ったのかが知りたかった。
「さあね…でも、おじいちゃんは、他人にはない、
不思議な力を持った人だったから。
小説を書くために妖魔と取り引きしてるなんて、
噂されたくらいだった…
何か感じるものがあったのかもしれないね。
…さあ、閉めるよ。」
ガチャリ…
外から大きな錠がかけられる重い音が、蔵の中に響いた。

―― 赤い着物は魔を除ける…
祖父の残した奇妙な遺言に従い…
今夜の精進おとしの会の間、
自分は一人で蔵に閉じ込められるのだ

招待客が来たようだ… ――

格子の窓から、外を覗いてみる律。すると…?!

―― おや… ――

提灯を下げてやって来たお客達は、
紋付袴を身に纏った妖魔であった。
遠くからではあったが、
全員、人間とは異なるモノだということが、
律には、はっきりとわかった。

―― なんて変なお客だろう…
あんなモノを家にあげるのかしら… ――


「いらっしゃいませ。お待ちしておりました。
さ、どうぞ奥へ。」
玄関で客達を迎える年老いた女。
その女には、どの客も普通の人間に見えているようだ。
いつの間にか蔵を抜け出して、律は母屋へ戻っていた。
律は、じっと隠れてお客達を見ていたが、
このことを誰かに言わなくては…と、
父母を捜しに廊下を歩き出した。

―― 困ったなぁ…
どうしよう、お父さんもお母さんもどこに行ったんだろう…
おじいちゃんがいなくなったとたんに、
あんなモノが入ってくるなんて… ――

律が台所へ行くと、座敷に通された客とはまたちょっと違う、
紋の入った黒い着物を、まるで着流しのように着た、
耳のとがった男が、鍋から煮物をつまんで食べていた。
男はやがて、台所の入り口に立っていた律に気づき、
細い目を一層細めて、こう言った。
「お嬢ちゃん!かわいいねえ、ここの家の子かい?」
「…おじさん、誰?」
「蝸牛(かぎゅう)に招待されたんだがねえ…」
そう言いながら、男の腹がぐぅと音を立てた。
「精進おとしのお客さんなら、座敷はあっちだよ。」
律は、男を座敷の方へ案内した。

―― 蝸牛は祖父のペンネームだ ――

障子の隙間から、精進おとしの座敷を覗き込む二人。
「…なんだ、席がいっぱいじゃないか。」
男は、ちらっと見ただけで中へ入ろうともせず、
今来た廊下を戻り始めた。

―― 本当だ …じゃあ、この客は? ――

「仕方がないな。また台所で何か捜すか…」
男の腹が、一層大きな空腹の音を鳴らした。

―― 今夜の招待客は七人… ――

座敷では、七人の…いや、七匹の妖魔が、
人間の姿をして、酒盛りをしていた。
『蝸牛も最後に、気の利いた事を。』
『しかし、腹が減ったな。どうして酒しか出ないのだ。』
『つまり、食べ物はかってに捜せという事かな…』
『そういえば、青嵐(あおあらし)はどうした?
招ばれていないのか?』

―― 初七日に七人の客…
意味ありげでいて、なにか半ぱな数だ… ――

律の脳裏に蘇る、ありし日の祖父の姿…

「律、じっとしておいで。動くんじゃないよ。」
庭で出会った「動く木」に戸惑う三歳くらいの律に、
祖父は、やさしく言った。
「…すぐに行ってしまうからね。
声を出してはいけないよ。」
祖父の言葉に従い、ゆらゆらとすぐ横を通り過ぎる「木」を
身動き一つせず見送る律。
やがて、その「木」が行ってしまうと、
律は祖父に抱きついて尋ねた。
「あれはなに?おじいちゃん。」
「たいした悪さはしないよ…形の無いモノが、
他のモノの姿を借りて、動き回っているだけさ。
こちらが気がつかなければ、むこうもこちらに気がつかない。
だけど、ああいうモノを感じてしまう人間は、
悪い影響を受ける事もある。
逆に利用することもできるんだ。
困ったねえ、おまえはおじいちゃんに似たらしいね。
おじいちゃんの側にいれば大丈夫だよ。
でも、おじいちゃんがいなくなったら、
どうしたらいいかねえ…」
愛しそうに律の頭を撫でる祖父…


律が、台所へ戻ってみると、先ほどの男が、
釜から直接しゃもじでご飯をむさぼり食べているところだった。
「ああ…腹が減ってたまらん。」
律は、座敷の七つの膳がいっぱいだった事が気にかかり、
祖父亡きあと、この家を守るのは自分とばかり、
臆する様子もなく、男に単刀直入に尋ねた。
「おじさんは、本当に呼ばれたの?」
「蝸牛が特別にごちそうしてくれるというから来たんだよ。
私は、蝸牛の一番の気に入りだったんだぞ。」
「おじさんの名前は?」
「お嬢ちゃんが名前を教えてくれたら教えてあげよう。」
「教えないよ。…じゃあ、こうしよう。
おじさんが私の名を当たられたら、私はおじさんの言う事を
何でも聞くから、その代わり、私が先に当てたら、
おじさんは私の言う事をきくんだよ。」
「よしよし、おもしろい事を言う子だね。」
男は、律とのやりとりを楽しむかのように、
少しおどけて着物の袖に指まで隠し、
ニヤニヤ笑いながら廊下を歩き出した。
「ところで、お嬢ちゃんには兄弟はいないのかい?
この家には、あと誰々がいるんだい?」
「…そんなこと、名無しの人には教えられないよ。」

―― なんとかしなくちゃ… ――

律は、男の後ろに付いて廊下を歩きながら、
この男の正体を知る方法を考えていた。

―― どうしてこんなに静かなんだろう…
みんな、どこへ行ってしまったんだろう? ――

「ああ…腹が減った、もう我慢できん。」
静まり返った廊下を座敷の方へ歩きながら、
男が、腹を押さえてつぶやいた。
律と男が、精進おとしの座敷へ差し掛かった
その時だった。
『ああ たまらん…腹が減った』
『ぼちぼちこの家の者も気がついて逃げ出すかもしれん
早いところつかまえて来て喰ってしまおう』
『待て待て 一応蝸牛の供養を済ませてからだ』
座敷から聞こえてきた声に、律と男が中を覗くと…!
先ほどまで人間の姿だった客達が、
律が蔵から見た、あの妖魔に変わっているではないか。
「……………!!」
至近距離でその姿を見た律は、さすがに言葉を失った。
口が耳まで裂けた獣…
恐ろしく長い舌を持つ蛙…
巨大な頭の鳥…などなど、
それらが紋付を着て、自分の家の座敷で酒盛りをしているところを
想像していただきたい。
…いかに不気味な光景か、おわかりになるだろう。
「よしよし…だいぶ酒が廻って来たな。」
男は、この時を待っていたとばかりに、
『もう我慢できん ちょっと行って
一人だけつかまえてこよう』
そう言いながら廊下へ出てきた一匹の妖魔を…!
長い爪を引っ掛けて背中からつかんだかと思うと、
竜に似た正体を現し、大きな口でその妖魔を
頭からがぶりとくわえ込んだ。
そして、声を上げる暇も与えず、一気に喰ってしまった。
それはまるで…地獄絵図のような出来事だった。
律の側に、喰われた妖魔の手首と血が飛んできた。
「…きゃ…」 声にならない悲鳴を上げる律。
男は、口の周りについた血を拭いながら、
再び人間に姿を戻し、そして言った。
「…蝸牛に招待された客は、
七人ではなくて、私一人なんだよ。
…座敷の残りのごちそうが逃げてしまう。
静かにしないと、おまえも喰ってしまうぞ。」
男は、うろこで覆われた腕を伸ばし、
律の小さな手をぐっとつかんで引き寄せた。
「…あ、青嵐!
…この家の人間に悪さをするな!!」
律は、震えながら精一杯の声を出した。
「…あれ、…なんだ、よく私の名前がわかったね。」
律に名を言い当てられた青嵐だったが、
昔話に出てきた、川に住む鬼のように、
体が消滅するわけもなく…
それでも、薄笑いを浮かべて律の手を離そうとはしなかった。
「座敷の話に名前が出てきた…。
おまえはきっと、あいつらの仲間だと思ったから…
おじいちゃんが言ってた…
“八”は一番神秘的で安定した数だって…」
律の目から、大粒の涙がこぼれ落ちた。
「そうさ、座敷の連中を入れて私ら八匹は、
もともと仲間だった。
蝸牛は昔、冥界から私ら八匹の妖魔を呼び出した。
自分の寿命と引き替えに私らを操ったが、
やがて邪魔になった。
自分が死んだ後、妖魔を野放しにするわけにいかないと、
最後の取り引きをしたのさ、この私と。
七匹も仲間を喰った後で、この家の人間まで喰おうとは思わんが…
約束だ。
この家の人間には、決して手を出すまい。」
青嵐の言葉に、嘘は感じられなかったし、
初めて知る祖父の秘密を、祖父の血が流れる律が受け入れるのに、
さほどの時間はかからなかった。
それで律は、張りつめていた心の糸を、
ほんの少し緩めたのかもしれない。
「…おや?」
それは、律の手をつかんでいた青嵐に、
律の心がやっと見えた瞬間でもあった。
「…なあんだ、おまえ、女の子じゃないんだね。
じゃあ私もおまえの名がわかった。
おまえは律だろう。
…先に蝸牛と取り引きしていなければ、
おまえ一人くらい丸飲みにしてやりたいところだが、
私一匹見逃す代償に、跡取りの律の身を生涯守ると
約束してしまったから仕方ない…。
その代わり…
今夜の事は、決して誰にも話してはいけないよ。
話てもいけないし、蝸牛のように字に書いてもいけない。
いいね?それが、おまえの約束だ。
わかったらもうお帰り。
さて、残りのごちそうを片付けに行くか。」
律の手を離し、座敷へと消えてゆく青嵐。

〜 見てはいけない 話してはならない
生ある身のおまえ達人間は
…破れば必ず 寿命を縮める
蝸牛のように… 〜


「律、律、律…」
蔵の中で、眠っている律。
そこへ父親達が、提灯を下げて迎えに来た。

―― …鍵のかかった蔵の中で私は眠りこみ、
夢を見たのだろう… ――

律は、母親に背負われ目をこすりながら、
夢と現実の境をさまよっているようだった。
「ねえ…お客さんは?」
「お客さん?…誰も来やしませんよ。
あれは形だけの支度なんだから。
おじいちゃんの遺言だから一応用意はしたけれど、
やっぱり誰も来なかったわ。」
そう言ってやさしく微笑む母、そして父。

―― 手伝いに来ていた大伯母が、
確かに客を七人案内したと言いはったが、
誰も取り合わなかった。

祖父は迷信深い人だった。

私は小さい頃、
魔を除けるためといって
女の子の格好をさせられていた。

そんな…
子供の頃の話である ――



精進おとしの客 おわり

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