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ヒカルの碁

コミック @

― 第1局  棋聖降臨 ―


古い蔵の中、進藤ヒカルと、友だちのあかりが、お宝探しをしている。
「うーん、どれもこれもパッとしないなぁ。」
大きな箱の中から、あれこれ引っ張り出しては、散らかすヒカル。
「ねぇ、もう出ようよ、ヒカル。気味悪いよ。」
「うだうだ言ってないで、あかりも何か探せよ。」
そして、ヒカルは、大きな四角い物を持ち上げ
「お!?これなんか、イイんじゃないか?」
と、あかりの前に置いた。
「あ…これ知ってる。五目ならべする台でしょ?」
「バーカ、囲碁だよ。碁盤とかいうヤツだ。かなり古そうだな。
じーちゃんが昔使ってたヤツかな?今は、お宝ブーム、こりゃ高値で売れるぞ。」
うれしそうに、碁盤を磨き始めるヒカル。
「いいの?勝手にそんなことして…」
「いーのいーの!こないだ、社会のテストで、8点しかとれなくてさ、
こづかい止められてんだ。」
「8点…もう…」 あきれる あかり。
「それにしても、全然落ちないぞ、この汚れ…」
ヒカルが、ごしごし盤上をこするのを覗き込むあかり。
「? 汚れてなんかないよ、キレイじゃない。」
「えー!?汚ねーよ。見ろよ、ここに血のアトみたいに点々と…」
「どこ?」「ここ」「どこぉ!?」「ここだってば!」
ヒカルの指差すシミが、あかりには、見えないようだ。
その時…
『見えるのですか?』
「だから、さっきから、そう言って…」
『私の声が、聞こえるのですか?』
「へ?」
『私の声が、聞こえるのですね。』
「………」
どこからともなく聞こえる不思議な声に、ぼーぜんとするヒカル。
「あかり、この蔵の中に誰かいるぞ…。誰だ?じーちゃんか?
かくれてないで、出て来い!」
「やだぁ!何よヒカル、変なこと言わないでよ。わ…私、帰る!」
あかりは、気味悪がって、出てゆく。
『いた…いた…あまねく神よ、感謝します』
碁盤の方から、その声は聞こえるようだ。
ヒカルは、ごくっ!とつばを飲み込むと、恐る恐る碁盤の方を振り向いた!
するとそこに、社会の教科書で見たような、平安貴族の装束を身にまとった
美しい男が一人、扇を持って立っているではないか!
「出っ!!」 驚いて、声もでないヒカル。
その男は、舞いでも舞うように、ゆっくりヒカルに近づいて来る。
『私は今一度…今一度…現世に戻る――』
「!!!」
がたぁぁん…
何かの倒れる音を聞いて、あかりが戻ってきた。
「ヒカル?どうしたの、ヒカル?」
碁盤の脇に、倒れているヒカル。
「キャ――!ヒカルが倒れてる!おじーちゃん、ヒカルが大変だよ―!!」
ヒカルは、心の中で、今現れた不思議な男と会話をしていた。
(誰だおまえ…、今…オレの中に…)
『はい、あなたの意識の中に…』
(い…意識…)

次の日、ヒカルの小学校、6年1組の教室
「先日の社会のテストは、皆さん、あまり成績がよくありませんでした。
…ので!今日も、テストを行います。」
先生の言葉に、ざわつく教室。
そんな中、「う〜〜〜…」と、頭を抑えているヒカル、心配そうにヒカルを見ているあかり。
テスト用紙が配られる。
(頭が重てー、やっぱこれは昨日の…テストなんて受けられる状態じゃないっつーの)
『ほう、歴史の問題ですか』
突然聞こえてきた、昨日の男の声に、驚くヒカル。
「出てくんなって、言ったろ―っ!!」
思わず叫んでしまう。
「は?何ですか、進藤クン…」 先生も、クラスのみんなも、唖然としている。
「せ、先生…ヒカルは…ヒカルくんは、昨日突然倒れて…救急車まで来たんです。
だから今朝も、まだ気持ちが落ち着かなくて…」
あかりの言葉に、騒ぎ出すみんな。
「マジかよ、ヒカル!」「すげーっ」「救急車に乗ったのか?いいなーっ!」
(おまえのせいだぞコラ!いいか、オレが話し掛けるまでは、絶対出てくるな!
オレの心はオレのもんだ、お前なんかに渡さないからな!)
心の中で、自分の中にいる男に、話しかけるヒカル。
『そんな…私はただ…』 (返事!) 『…ハイ』
(で?お前の名前、なんつったっけ?) 『藤原佐為』 (さい…変な名前、何者だ?)
テスト用紙に向かいながら、ヒカルは、佐為と、心の中で話し続けた。
『平安の都で、大君に囲碁を教えておりました。』 (平安…?囲碁…!?)
『毎日、囲碁を打っていた私はとても幸せでした。私以外にもう一人、大君の
囲碁指南役がおりました。ある日、彼が、大君に進言したのです。
《大君、囲碁指南役は一人で十分、対局にて雌雄を決し、勝者のみをお召しくだされ》』
(へぇ…それで?やったんだろ、どっちが勝ったのさ)
『盤面互角で対局は進み…皆の視線が注がれる中、私だけがそれを目にしたのは、
本当に偶然でした。彼の碁笥[碁石を入れる容器]の中に白石がひとつまじっていたのです。
滅多にないことではありますが、まれに対局者の石が、紛れ込んでいることがございます。
当然それは勝負には関係ないのですから、《石が混じっていました》と告げ、相手の碁笥に
戻すだけの話です。それをあの者は…一瞬のスキをついて――
自分のアゲハマ[試合中に囲んで取った相手の石]にしたのです』
(ズルしたんだ…)
『私が《そなた、今―》と、声をあげかけた時、《!おいキサマ、今、碁笥に混じっていた黒石を
自分のアゲハマにしたな!!》《なっ?!》《見ていたぞ、皆の目が盤上に注がれているのを
よいことに、碁笥に混じっていた私の石を、アゲハマにしたではないか!》
《な、何を言う!それは今、そなたがやったことではないか!》《ハッ!これはなんと、
つまらぬ言い訳》すると、大君が《見苦しい、静まれ、そのような下卑た行為が、
余の前で行われたなどと、考えたくもない。続けるがよい!》……心の動揺を
抑えきれぬまま…私は負けました―…さかしいごまかしをしたという汚名までついて
都を追い出された私に、生きる術はありません。二日後に入水したのです。私の魂が、
成仏などできましょうか、私はもっと…もっと碁が打ちたかった…』
(…じゃ、おまえは幽霊みたいなモンか)
『成仏できぬ私の魂は、その碁盤に宿り、はるかな年を経て、一人の子供の声を聞きます
《この碁盤のシミが、他の誰にも見えぬという。だれぞの流した涙のようなこのシミが、
なぜに私にだけ見えるのだろう》《子よ子よ、私の流した悔し涙が見えるのならば、
そなたの心の片隅に、私の心を住まわせておくれ》子供は碁打ちをめざしていたので、
喜んで私に身をゆだねました。そして私は、私自身の望むまま、囲碁を打つことが
できたのです。御城碁を打つ第一人者となった彼は、不幸にも、34歳の若さで
はやり病にかかり…彼の名前は 本因坊秀策…いい人でした…』
(ほんいんぼーしゅーさく…?ふーん…誰だか知らねーが、オレが見た碁盤の血は
そいつのものだったわけか…で?オレにまた乗り移ったのは、まだ碁を打ちたいわけ?)
『ハイ…なぜなら私はまだ…神の一手を極めていない!』
(神の一手…?) 『ハイ』 (そんなに碁が好き?) 『ハイ!』
(ふ〜ん、そう…でも悪いな、オレ碁なんてぜーんぜんやる気ないから…)
そう心でつぶやいたヒカルを、突然、すごい吐き気が襲った。あわてて、口を押さえて、
水道にかけて行くヒカル。
「ヒカル!大丈夫?」
あかりや先生たちが、心配そうに、ヒカルのところにやってきた。
「何をした?テメーッ!!」
涙目で、空中に怒鳴るヒカルを見て、驚くあかりたち。
『な、何もしてません…碁を打てないという私の悲しみが、あなたの意識を包んだだけです』
「新藤クン大丈夫?保健室行った方がいいわね」
と、言いながら、ヒカルの背中をさする先生。
(…ったく、千年におよぶオマエの情熱には、舌を巻くぜ。でも、あいにくだな、
オレにはオレの、人生設計ってモンが…)
そこまで言って、再び、吐きまくるヒカル。よける皆。
すっかり、げっそりとしてしまったヒカルは、傍らに姿を見せた佐為をギロン!と、
睨みつけ、ガバッ!と噛み付きそうな表情になる。
それを見た佐為が、着物の袖で顔を覆って泣くと、ヒカルにまた吐き気が…。
ヒカルは、ついにあきらめて
「わかったよ、囲碁でも何でもやるから…」
と、がっくりうなだれた。
『えっ?』 泣きやむ佐為。
(ま…たまに打つだけならな…こんな怨霊にとり殺されちゃ、シャレにならねぇ。
ひとつ言っておくが、オレの心はオレのもんだからな!) 『ハイ!』
(勝手に話しかけてこないこと、オレが話しかけたら返事すること) 『ハイ♪』
佐為がニコニコしだすと、ヒカルの吐き気は、嘘のように治ってしまった。
ヒカルは、先生やあかりに囲まれて、教室に戻って行った。
(待てよ、コイツの力、何かに利用できねーかな…そうだ、じーちゃん!
じーちゃんと囲碁の勝負をして、それで…よしっ!)
『じーちゃん?強いですか?』
「勝手に、話しかけるなっつーの!!」

その日の帰り じーちゃんの家
「おうヒカル、体はもういいのか?ワシャびっくりしたぞ。いきなり、あかりちゃんが
とびこんできて、ヒカルが倒れた!大変だって言うもんだから、そりゃもう…」
心配そうに、ヒカルを見るじーちゃん。
「見ろよ!ホラ!元気元気!」
「今日は何の用だ?ばーさんは、今買い物でおらんが…」
「フッフッフッ…実はね、じーちゃん。オレ、碁覚えたんだ。じーちゃんに勝ったら
千円くれる?」 自信満々で、ヒカルは言った。
「碁!?おおっ!おまえ、覚えたのか?!」
じーちゃんのハゲた頭と、目が、らんらんと輝きだす。
「よ〜しっ、今持ってくるから、待ってろ、逃げるなよ!!」
喜んで、ドタドタと碁盤を取りに行くじーちゃん。
「電話借りるよー…あ、おかあさん?オレ。今、じーちゃんトコ…なんでって…
別にぃ〜…うん…遅くならないから…わかったわかった、じゃ!」
ヒカルが電話を切ると、上機嫌のじーちゃんが、碁盤を運んできた。
「そーか、おまえも碁のおもしろさに目覚めたか、さぁ、いくらでも打ってやるぞ♪」
「とりあえず、一回だけでいいんだ…」
『一回じゃなくて、一局と言うんです』
「佐為!勝手に話しかけんじゃねーって言って…」
空中に向かって話ているヒカルを、怪訝そうにじーちゃんが見ている。
慌てて、口をふさぐヒカル。
「いや、じーちゃんのことじゃないぜ!オレ、えっと…友達とケンカして、
そいつのこと思い出して…あっ、だから大丈夫!心配ないよ。さ、始めようぜ!」
ヒカルは、碁盤をはさんで、じーちゃんと向かい合った。
「勝ったら千円だぁ?フッフッ、ワシは強いぞォ。ほら、いくつでもいいから石を置け!」
「石を、置く…?」 (って、なんだよ?)
『弱い者は、石を置くことで、有利な条件で戦えるのです』
(あ、ハンデってことね…) 「でも、じーちゃん、そんなにつぇーの?」
「これを見よっ!」
じーちゃんは、ありったけの、囲碁のトロフィーと賞状を見せた。
「えーと、町内囲碁大会優勝と、それから…うそっ?こんなに強かったの?じーちゃん!!」
「能ある鷹は爪をかくすのだ!!カッカッカッ」
(勝てる?佐為…) 『よくわかりませんけど、たぶん…』
ヒカルは、賞状をポイッと放り投げて、改めてじーちゃんを見た。
「ハンデなんか、いらねーよ。とにかく打ってみなよ。きっと強いぜ、オレ!」
「何言ってるんだ、覚えたてだろ、どーせ。強いも何もあるもんか。気が強いってだけだ、
おまえのは…まーいい。石を置くのがイヤなら、ナシでいいから、ほら打て!」
「オレ、白石がいいな、白とった!」
「先に打つのは、黒に決まっとる。お前…ホントに囲碁を知っとるのか?」
「じゃぁ、じーちゃん先に打てよ!」
余裕綽々のヒカルに、ふっと、佐為が感涙にむせぶ姿が見えた。
(佐為…そんなにうれしいのか…140年ぶりじゃムリもないな。
たまには、碁打ってやってもいいかな…)
「いくぞ、ヒカル!」 パシッ!
じーちゃんの碁石を打つ音で、はっとするヒカル。 (おっと、佐為!)
『ハイ!第一手が星ですか…』 (星?) 『盤面を見てください。九つの黒い点が
あるでしょう?それが、星です。第一手が星など、秀策の時代には考えられない…
フーム、この140年に、いろいろ研究されたんでしょうね』
(!しまった!そうか、140年もたってるんだ!江戸時代に強くても、
囲碁が進歩した現代じゃ、通用しないんじゃ…あっちゃ〜〜)
「どうしたヒカル、早く打て。」
『では、右下スミ小目』 (え?なに?こもく?) 『右下の星の下です』
(下?え?どこ?どこ??ここ?) コト
やっと、親指と人差し指でつまんだまま、一手打つヒカル。
「もっとさっさと、打たんか…」 パチ
『次は、右上スミ』 (右上スミのどこ?) 『やはり小目、今度は星の上です』
(星の上…え〜っと、ここか…) コト
「さっさと打ちなさいっ」 パチッ!
『大ゲイマがかり』 (なんだよ、そりゃ〜〜っ?) 『コスミ』 (なに!?)
おたおたと、パニくっているヒカル。
(どこ!?もう!番号で言え!!) 『左から三番目の上から…』
「ひいいい〜〜っ!!」
その時、じーちゃんが、むっつりして立ち上がった。
「あ…」
「ヒカル…半年後にまた来いや―」
じーちゃんは、そう言い残すと、ふすまの向こうに消えていった…。
碁笥をかかえて、かたまるヒカル…目がテンになっている。

夜 ヒカルの部屋
ヒカルの横に、佐為が立っている。
「悪かったな、でも、ま…囲碁の基本も知らんオレにはキツイわ。
もう、打つのはカンベン――」
ヒカルがそう言いかけた時、ず―――んと佐為が落ち込んで泣き出した。
また、吐きそうになるヒカル。「いちいち、落ち込むなよ〜」
『だって…』
「そうでなくても、こっちも気がめいってるんだから。明日までに、この社会のテスト
直さなくちゃならないんだ。泣きたいのは、こっちの方なんだぜ。
…なあ佐為、おまえ天保の改革って知ってる?」
『天保の改革?水野忠邦老中の?いろいろありましたねえ、人返しの法を出したり、
物価の引き下げをしたり…私などは、一度城中で彼に…』
「わかった、それはもういい。じゃ、ぺリーって、どこに来てたんだ?」
『浦賀ですよ、軍艦4隻をひきいてですね』
「浦賀っと…へえ、佐為、おまえってけっこー使える奴だな。」
宿題のテスト用紙に、どんどん答えを書き込むヒカル。
「なあ、佐為。」 『ハイ?』
「なんで囲碁の打てないオレなんかに、引き寄せられたわけ?」
『……こっちが聞きたいです』
「ハァ…」
二人は、大きなため息をついた。
(囲碁の基本ねぇ…囲碁教室とかに行ってみるかぁ)

社会保険センター内 囲碁教室会場
メガネをかけた若い先生が、碁盤のボードに磁石の碁石をつけるようにして、
囲碁を教えている。
会場では、たくさんの受講生(主にお年寄り)が、熱心に話を聴いている。
「…これは、黒のサガリが好手で…白がおさえてきても、こちらからアタリに行き、
白に2子取らせ、そのあと、こちらの眼をうばえば、白は死にますね…」
一番後ろの席で、大あくびをするヒカル。
(何言ってんのか、サッパリわかんねーや)と、佐為に話しかける。
『そりゃ、ヒカルは初心者ですから…今やってるのは、カンタンな詰碁です。
教えているあの方は、どれくらいの腕なんでしょうか?』
(プロだってさ) 『プロ?』 (囲碁でお金もらって、生活してるってこと)
「では、講義はここまでにして、対局に入りましょう。」
先生の言葉を待ちかねたように、それぞれ向き合って碁盤を広げる受講者達。
すると、先生が、ヒカルのそばへやってきた。
「え―と君は、進藤君だったね、碁は初めて?」
「あ、ハイ!全然何も知りません。」
「そう…わかりました。どうして碁に興味を持ったの?」
「いや、別にキョーミなんて…ちょこっと基本を教えてもらおうと思って。
テストの点もかせげるし、こづかいだって…」
「テスト?」
「あ…いや、なんでも…(やべ、失礼だったかな…)」
「よし、では石取りゲームをしよう。」
「石取りゲーム?」
「うん、それで君の言う、ちょこっとの基本を覚えていこうか。いいかい?」

ヒカルの家 玄関
あかりがやってくる。出迎えるヒカルの母。
「あら、あかりちゃん」
「こんにちはーっ。ヒカルくんいますか?」
「それがねえ…」
「え…またヒカルくん、何か…!?」
「週一回の囲碁教室に通い始めたの。おじいちゃんの家にも、突然碁を打ちに行ったらしいし…」
「碁!?っスカ…」
「ほんと、どうしたのかしら、あの子…」
首をかしげるヒカルの母と、ボー然とするあかり。

再び 囲碁教室
先生とヒカルが、石取りゲームをしている。
「…で、僕がこう打つと…ほら、僕が石を取って僕の勝ち!」
先生は、黒石をつまみ上げてニコッと笑った。
「そうかあ…」と、関心しきりのヒカル。
「残り時間は、見学しててくれる?」
先生は、そう言って、受講者を順に回り始めた。
立ち上がって、改めて周りを見回すヒカル。
(やっぱり、子供は、いねーわな…)
すると、横のおばさん達から、ひそひそ話しが聞こえてきた。
「あそこ、阿古田さん、また弱いものイジメしてるわよ。」 「やーね。」
「弱いものイジメ?」
『あの人ですよ。たしかに、ヒドイ碁を打っています』
佐為に言われて、そちらを見ると、見るからに意地悪そーなおじさんと、
見るからに気の弱そーなおじさんが、対局している。
「は〜い!これで、六子はいただきぃ〜っ!おたく、石を取られるのが好きだねぇ」
「こ…これはもう、どうしたらいいのか…」
『今打った方が、実力は格段に勝っています。ですが、彼の打つ手に正しい手は
一つもありません。相手が弱いと見ての、ムチャな攻め、撹乱させるだけの無意味な手
…慈悲のない!』 佐為のことばに、怒りがこもっているのがわかる。
意地悪な阿古田は、相手が打つのを見て
「そんなマヌケなとこ打ってまぁ…負けたがる人ってもの、めずらしいね。」
と言って、何気なくカツラのズレを直した。
それに、気づいたヒカル。
『もう、ガマンできません。ヒカル、あの人とかわって下さい!』 (え?)
『おびえきっているあの人にかわり、私が打ちます!
強い者が弱い者をいたぶる碁なんて、私は許せません!』 (さ、佐為!?)
『私が、この男をたしなめ、大差でひと断ちにしてみせます。無慈悲な一手に
みあう苦汁を、この男に飲ませてやるのです。そして、終局の後、言ってやるのです。
これからは、私が相手だと…』 ヒカルの横で、メラメラ燃えている佐為。
(落ち着けって、佐為。囲碁を愛するおまえの怒りはわかるけど、
140年前の実力じゃ、勝てるかどうかなぁ〜)
『ヒカルは、私の力を信じていないのですか?』
(まかせろよ、そんなコトしなくたって、こらしめるなんて簡単だぜ。
それも、スッゲー笑えるヤツ!)
ヒカルは、そこにあった白石の碁笥をとり、ニカッ!と笑ったかと思うと、
「お――っと、すみません!」と、わざと、阿古田の頭に碁笥をひっくり返した。
碁笥を頭に乗せて、碁石だらけになった阿古田。もちろん、盤上にも…。
「な、何をする、この…」
「いや〜〜ちょっと手がすべっちゃって…」
「せっかくの対局が、台無しじゃないか!!」
「じゃ、今これから取りますから、失礼おば…」
そう言って、余計に碁笥を阿古田の頭に押し付けるヒカル。
騒ぎを聞きつけて、先生や、皆が集まってくる。
「バカッ!何をする、やめろ!ダメッ!あっ、やめてっ…ああ!」
ヒカルが、阿古田のカツラを、碁笥といっしょに思い切り引っ張ると、
かぽ!と、カツラがとれて、ハゲ頭が、丸出しになってしまった。
一瞬の沈黙…。
阿古田は、あわててカツラをかぶり直すと、
「キャ〜〜〜〜〜〜〜〜ッ」
と、顔を隠して、すごい勢いで、教室を出て行ってしまった。
その時、またカツラを吹っ飛ばして…。
にっ!と、ブイサインのヒカル、その後ろに、背広が肩からずり落ちて…立ちすくむ先生。

「あー苦しい、こんなに笑ったの、ひさしぶりねぇ。阿古田さんの顔見た?」
「でも、ちょっとかわいそうだったかしら…」
「阿古田さんだもの、あれくらいやられていいのよ。」
皆、笑いながら帰ってゆく。
教室では、ヒカルが先生に、お説教をくらっている。
「いいかい、進藤くん。来週、ちゃんと阿古田さんにあやまるんだよ!」
「ハイ、そりゃ、オレもちょっとやりすぎたかなと…」
「ゆるしてあげてよ先生。先生だって、あの後、笑ってたじゃない!」
受講生のおばさんにそう言われて、赤くなる先生。
「じゃあね、進藤くん、もうこんなことは…」
「そうだ、先生、あのさ、藤原佐為って、知ってる?」
「藤原…佐為…?ゴメン、知らないなぁ、その人囲碁に関係ある人?」
「ん…いいや、なんでもない、さよなら。」
帰ろうとするヒカルに、おばさんが声をかけてきた。
「ヒカルくん、6年生だっけ?おばちゃんも先月から始めたのよ。」
「へー、じゃ、おばさんとオレは、ライバルじゃん!」
「あっそーね、アハハハ!」
「じゃーねー!」
おばさんに手を振り、センターを出てゆく、ヒカル。
教室の出口では、おじいさんが先生と話している。
「先生、今日もわかりやすい御講義で…」
「あ、どうも…」
「囲碁の歴史上、一番強い人って、誰ですか?」
「そうですね…そうそう、この間、雑誌で、おもしろい記事を読みました。
ある記者が、将棋の棋士に聞いたんです。『将棋の歴史上、一番強いのは誰ですか?』
その棋士はこう言いました。『羽生さんです。10人の棋士に聞けば10人が、
こう答えますよ』 その記者は、また別の機会に、今度は囲碁の棋士に、同じ質問を
したそうです。『囲碁の歴史上、一番強いのは誰ですか?』 現在のトップは、
三冠の塔矢名人、若手ナンバーワンなら倉田四段、あるいは緒方九段ですが…
問われた棋士は、間髪をいれず、こう答えたそうです。
江戸時代の 『本因坊 秀策』―――と。」

――すでに、センターをアトにしていたヒカルは、
残念ながら、その話を聞いていなかった。

夕暮れの道、ポケットに手を突っ込んで、帰って行くヒカル。
心の中に住む、佐為といっしょに…。


― 第1局 終わり ―


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