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花ざかりの君たちへ

第一話


ここはアメリカ…
シャキン…シャキン…自分で髪を切る少女。
「瑞稀、本当に一人で日本に帰るの?
高校なら別にアメリカ(ここ)でも…」
「だめよ、ジュリア!パパ達説得するの大変だったのよ。
もう手続きだって済んでるし、あとは行動あるのみ!」
ジャキ…シャキン…ジョキ…
「ああ…例のハイジャンプの彼ね、あなたのスターの。」
「そっ、やっと学校が判ったの♪」
「……ねえ、一つ聞いてもいい?」
「なあに?」
「なんで、髪まで切る必要があるの?」
ギクッ!!
…鏡に映ったその顔は、まるで少年のよう。


そして、ここは日本…
私立桜咲学園
ばたばたばたばたばた…
(信じらんない、転校早々遅刻するなんて!)
あたふたと駆け込んでくる芦屋 瑞稀。
廊下の曲がり角で…ドンッ!誰かと衝突!
「きゃ…っ。」
しりもちをついた瑞稀の腕を持って、ひょいと引っ張りあげる
その、ぶつかった誰か。
「…あ…どうも、すみません…っ。」
「女みてー。」
その誰かが、ボソッと言った。
ハッとする瑞稀…「い…急ぐのでさよなら!」
その人の顔も見ずに走ってゆく瑞稀。
「あ、おい…っ!」

― ヤ…ヤバかった だって ここは 男子校 ―

1−C
ガラガラ ピシャーンッ!
「転入生の芦屋瑞稀ですッ!
飛行機が遅れてしまいました…っ!!」
瑞稀は教室に飛び込み、荒い息の中、一気にそう言った。
がく然とする先生…生徒達… 教室中し〜ん…
「しょ、紹介しよう、転校生の芦屋瑞稀君だ……ん?
芦屋君、学生カバンはどうした?」
「え?」 そういえば、瑞稀は何も持ってない。
ばこっ!その時、瑞稀の頭頂部に…
「おい、忘れモン。」
瑞稀が振り向くと…そこには背の高い生徒が!
しかも、クールな美形っ!
(さ…っ、佐野 泉だぁぁ!!
じゃあ、さっきぶつかったのって…!)
「佐野っ、遅刻だぞ…っ。」
「スイマセンでした。」
(…え、このクラスなの!?ツイてる!ツイてるわ!!
同じクラスなんてっ!!)
カバンを頭に乗せたまま、神に感謝する瑞稀。
「じゃ、それ返したぞ、チビ助。」
瑞稀は、席に着く佐野泉を、ただ感激の眼差しでみつめていた。

― なにを隠そう あたし 芦屋瑞稀が
身を偽って男子校に転校したのも
すべて 彼に会うため
憧れの元中学生 高跳びチャンプの
佐野泉に――!!
3年前 帰国した先のローカルテレビで
初めて彼を知った
人が跳ぶ姿をきれいだと思ったのは
それが初めてだった
それから…

テレビ局に問い合わせては彼のプロフィールを訊き日本の陸上関連の雑誌は
ローカルなものまで個人輸入しその代金を払うためにバイトに明け暮れ
これまたローカル誌で彼を見つけてはスクラップしまくり単身帰国をシブるパパ達を
説得したカイがあったってモンよ!!男子校ってのはヒミツさッ(イッキ!)

落ち込んだ時には いつも
雑誌の小さな記事にあった彼の言葉を思い返してた
『努力はきっと報われる
後は自分の力を信じるだけ』

その彼が こんな間近に!
きっと誠実な人なんだ… ―

瑞稀は、喜びを隠し切れないニコニコ顔で、
佐野泉の席に近づいた。
「佐野くん、好きです。お友達になってください。」
瑞稀は…ものごとは、
すっきりさっぱりストレートがモットーの国で育った女だった…
ガクッ!コケる佐野泉とクラスメート達。
佐野泉は、立ち上がると、
「…悪いけど、俺…そーゆー趣味ないんだけど…」
と、瑞稀に、冷ややかな視線を浴びせた。
(ガーン!ゲイと間違われた…)
瑞稀、ボー然!
「いっ…いや、そうじゃなくて…」
瑞稀を無視して、教室を出て行く佐野泉。
「あ…っ、おい、どこ行くんだ、佐野。」
「フケる。」

(て…っ転校初日にして なんという事態…!)
机に両手をビタッとついて悔やむ瑞稀…
しかし、すぐキッと顔を上げ、
(でも…! くじけないッ)
「フフフ…」 不気味に笑い…
(なんせあたしは 海を越えてきた女…)
「フフフフ…」
そんな瑞稀を見ていたクラスメートは、
「お…っ、おい、誰か止めろよ。」
「やだよ、オレ…っ。」
「なんか気妙なのが、転校してきたな。」
違った意味で、瑞稀を怪しいヤツと思い始めている。
(かならず仲良しになってやる―!!)
瑞稀が、硬くコブシを握りしめてそう誓った時、
「お前、オモロイやっちゃなぁーっ」
そう言いながら、瑞稀に近づく生徒が一人。
(うわっ金髪『ヤンキー』…っ)
見るからにヤンチャな香り漂う男だった。
「なんや、メッチャ気に入ったわ!オレ、中津秀一ゆーねん。
桜咲学園一の俊足っ、サッカー部の『燃える若獅子』とは、
オレのこっちゃ、ヨロシュー。」
「?はぁ…、ヨロシク…」
あっけにとられ、瑞稀はボソッとあいさつを返す。
「あかんッあかん!ええ若いモンが、声小そーてどないすんねん!」
瑞稀の背中をバンバンたたく中津。
「オレ、サッカーの特待で入ったんやけど、
お前もなんかやってたんか?」
「え…?陸上を少し…でも特待じゃないよ。」

― ここ桜咲学園は 全寮制で文武に秀で
一芸入学も設けられている ―

「そーいえば、泉も通常入学やったなァ。」
(え…?)
そんなハズは…と、瑞稀が思った時、
中津がいきなり、瑞稀の肩にガシッと手を掛け、
「ところでなあ転校生!きくトコロによると、
お前、帰国子女ッつー奴らしいケド…」
自分の方へグッと瑞稀を引き寄せて、耳打ち…
「やっぱ、アメリカ(あっち)ってススんでんの?」
瑞稀…汗!
「…いっっ…さぁ…っ、そーゆーのは個人差がある…
と思う…よ…?(女の子にそんなこと聞くな〜)」
「ん!…そーか、お前もまだか…ッ!
いやぁ〜やっぱさあ、同い年の男としてそーゆーアルナシって
重要じゃん?男のコカンにかかわるってゆーかさーっ」
「それを言うなら沽券だ!バカモノ!!」
突然、中津の頭を後から蹴っ飛ばす白衣の男。
「なにすんねん!このサド校医っ!!」
ニヤリ…と笑ったこの校医は、ただの通りすがりだった。

寮の玄関
中津に案内されてやって来た瑞稀。
部屋割り表に『205号 佐野泉 芦屋瑞稀』の文字
「あいつ今まで二人部屋一人でつこうとってな。
急に相部屋になったもんやからスネとんねん。」
「……(同室でうれしーんだけど…なんかイメージ狂うなァ…)」
瑞稀は複雑な心境で、中津の後に続いて寮の中へ入っていった。
「あっ、こらっ、裕次郎っっ!」
その声に二人が立ち止まると、
いきなりでっかい犬が、瑞稀目掛けて体当たり!
「でえええっ!」
そして、そのまま押し倒された瑞稀をぺろぺろ…!
「なっなに、この犬…っ」
すると、中津が不思議そうに言った。
「うーわっ、珍しいこともあるんやなァ。
そいつ裕次郎ゆうて、ここの寮で飼うとる犬なんやけど、
にしか懐かんヤツでなー?」
そこへ、慌ててやって来た管理人さん。
「いやー、スマンね、ケガなかったかい?ぼーや。」
管理人さんは、瑞稀に未練たらたらの裕次郎の首輪を引っ張り、
ずるずる引きずってゆく。
「はあ…またね、ゆーじろー…」
ボー然とする瑞稀。
「お前、見かけは女ゆーても充分通じる顔してるからなァ。」
ギクッ!…ばくばくっ… (バ…バレた…!?)
「ま、ホンマにお前に胸あったら、シャレんならんけどなッ!」
中津は、瑞稀の胸をバフバフッと…
「〜〜〜〜〜〜っ!」
でも…、中津は、大笑いしながら歩き出した。
ドキドキドキドキ… (バ…バレなかった…っ)
ホッとする瑞稀…そして、
(…でも、なんかフクザツ…)

205号室
(なんだか…疲れたわ…)
うつむき加減に部屋に入った瑞稀…
と、二段ベッドに腰掛けて雑誌を見ていた佐野泉が、
チラッと瑞稀を見た。
(そーだった、誤解を解かなければ…)
佐野泉に近づく瑞稀。
「だから!今朝のは単なる言葉のアヤなんだ。
でも、友達になりたいのは本当。
だって、おれ、高跳びやってる佐野くんに憧れて、
ここに来たんだ。でも、佐野くん、通常入学なんだって?
おれ、てっきり特待で入ったもんだと思ってた!」
すると、佐野泉はあっさりこう答えた。
「ああ、だって俺、やめたから、高跳び。」
「え、ええ…っっ、な、なんでっ!!」
思わず、瑞稀は佐野泉の両肩をつかんだ。
「やめんのに、イチイチお前の許可がいんのかよ。」
冷たく瑞稀をにらむ佐野泉。
ピシッ!瑞稀の心の中の『理想』の文字に亀裂が入る…
(なんか性格悪い――…)
「いいかげん、手ェはなせよ。」
いつの間にか、佐野泉の襟首をつかんでいた瑞稀…
(う…うそでしょ…こんなのってあんまりよ―ッ!!)

瑞稀が、パーカーと半ズボンに着替えて、廊下へ出ると、
「おっと!」
ちょうど中へ入ろうとしていた長髪の男がいた。
「君が芦屋瑞稀クン?」
「はい?」
「オレ、ここの寮長やってる2年の難波 南っての。
今、君んとこに案内の説明兼諸注意を教えに行くところだったんだ。」
…イイ男!の難波は、瑞稀をじーっとながめ…
「…うわさには聞いてたけど、君、かわいいねえ。
よく、そう言われない?」
そう言いながら、難波の顔が、瑞稀の至近距離に…
ふるふるっ、と首を横に振る瑞稀。
「食堂行くとこだったんだろ?じゃあ一緒に行こう。
行きしなにでも教えるから。」
瑞稀は、難波と一緒に食堂へ向かった。
「ユニットバスは、各部屋ごとだけど12時以降は禁止。
夕食も6時から9時まで食堂使えるけど、早めに行かないと
食いっぱぐれの恐れ有。
まァだいたい学校案内のパンフにのってる通りかな。」
「はい。」
…と、ドンッ!すれ違い様、瑞稀にぶつかり、
目にいっぱい涙を浮かべて、瑞稀をキッと睨んだヤツがいた。
瑞稀にちょっと似た、可愛らしい男の子だ。
そして、一言…
「きみなんかに、学園アイドルの座は
譲らないからねっっ!!」
うわあああん…!!バタバタバタ…
カタまる瑞稀… 「なんですか、アレ…」
「アレだろ。」 難波が指差したその先で!!
『新アイドル 芦屋瑞稀 写真一枚500円』
隠し撮りしたらしい瑞稀の写真が、生徒の手によって売られている…
逆さまにしたみかん箱の上にのせられて。
その隣に、小さく『中央千里』の写真…
さっきぶつかってきた、あの可愛らしい男の子のらしい。
(ひえええッ!ひょっとして、とんでもないところへ来たのでわッ…)
一人、蒼くなる瑞稀。
「ま、あいつら悪気はねえんだし、ここ娯楽少ないからさ。
あれくらいは大目にみてやってくれよ、なッ。」
「はぁ… (でも、少し気をつけなきゃ…)」
そこへやって来た中津。
「瑞稀ぃーっ!どこ行っとってんな。
晩メシ誘おう思たら、自分いてへんし!」
それを見て、難波は、瑞稀の肩を軽く叩き、
「じゃ。」 瑞稀のそばを離れた。
「あ…っ、どうもありがとうございましたっ!」
慌ててあいさつする瑞稀。
「おうおう、早よ去ね…!難波となに話しとってん?」
中津は難波のことが、嫌いらしい…
「え…別に、規則とか…」
「ふーん、お前みたいなん、あいつと話しただけでニンシンすんで。」
(…しっかり聞こえてるぜ、中津よ…!)
中指立てて、ブチッ…!しかし、大人の難波先輩は、
黙って去って行ったのだった。

食後…
廊下を歩く、瑞稀と中津。
「うーん、満腹満腹、これでデザートなんかもあればええなーっ。」
ふと、瑞稀は窓の外を見て、立ち止まった。
(…あれ?あの中庭にいるのって…)
「ごめん中津、先行ってて!」
瑞稀は、中津にそう言うと、気になる人影を見つけた中庭へと向かった。

中庭
そっと、その人に近づき、顔を覗き込む瑞稀。
(やっぱり…っ、佐野泉…!うわーっ、寝ちゃってるよ…)
芝の上に座った状態で眠っている佐野泉。
(気持ちよさそうに眠っちゃって…)
「わんっ!」
横にいた裕次郎が、瑞稀を見て嬉しそうに一吠え!
「シーッ、シーッ!!」
おとなしく言うことを聞く裕次郎…
瑞稀は、佐野泉の左側にちょこんと座った。
一応、風よけのつもりらしい…
しばらく黙って、佐野泉の横顔を見ていた瑞稀。
「本当に好きだったんだぞ!君の跳ぶ姿…、ばか。」
ほっぺたをツン…!
グラッ!倒れそうになる佐野泉!
裕次郎もビックリ!
瑞稀は慌てて、はっし!と佐野泉の体を支えた。
(…セーフッ…)
すると、今度は…すーっと佐野泉の頭が、瑞稀の肩に…!
肩に、憧れの人の重みを感じながら、
瑞稀は、思わず女の子の顔に戻って頬を赤く染めた。
いいカンジ…だったのに!
佐野泉の背中に、裕次郎がジャレ付いたものだから、
支えきれなくなって、佐野泉を抱えたまま芝生の上にドサッ!
「い…った…ッ…」
頭を押さえる瑞稀。
「―――…ん…」
目を覚ました佐野泉は、この瑞稀と折り重なった状況にギョッとし、
素早く、自分の身を起こした。
「…裕次郎が乗っかってきたんだよ。」
瑞稀が事情を説明する。
「――で?なんで、お前がここにいるんだ?」
「…え!?…別に放っておいても良かったんだけどさぁ、
君がカゼひいても、迷惑すんのはおれだし…っ。
起こそうかと思ったんだけど、あんまり気持ち良さげに
グースカ寝てるもんだからさ、
でも、風よけぐらいにはなるだろ…っ。」
妙にムキになって答える瑞稀、少し驚いた様子で聞いていた佐野泉。
「…で、なってたってか?くっくっ…変な奴。」
佐野泉が、初めて見せた笑顔に、瑞稀の顔もちょっとほころぶ。
「…でもっ、倒れてきたのはそっちだぞっ!」
「え…」 頬を赤くする佐野泉…
(おや、赤くなった…なんだ、カワイイとこあるじゃない!)
「フッフッフッ、まだまだあるぜ、歯ギシリしてたし、
半目開けて寝言言ってた。」
「うそつけ。」
ビョオオ…冷たい風が、二人きりの時間を邪魔しようとしている。
「そろそろ戻るか、このままじゃ、マジで風邪ひいちまう。」
立ち上がる佐野泉を、座ったまま見上げる瑞稀。
(…なんで高跳びやめちゃったんだろう…)
「さ…」
佐野くん…そう言いかけて言葉を止める瑞稀。
額に軽く手を当てて、髪を押さえるように風を感じるその表情は、
あの、高跳びをしていた頃と変わっていなかったから…。
「強ェ風ぇッ…。なんだ、ボーッとして。」
「え…ううん、なんでもない…」
瑞稀は、顔を背けてうつむいた。

体育の授業中
「ピーーーーッ、皆、集まれーっ。
今日は、短距離のタイムをはかるぞ!」
瑞稀は、ボーっと佐野泉の姿を見つめながら、
(なんであの時、訊けなかったんだろう…)
そう自分自身に尋ねていた。
「瑞稀ィ!」
突然、背中から抱きつく中津。
「なんや、お前、顔赤いで。オレに抱きつかれて嬉しいんか?」
「あッ、赤くなんかないよ…っ。」
と、言いながら実は真っ赤な瑞稀。
「早よ、お前もタイム測ってこいやっ。
まだのヤツ、もう少ないで。」
「うん。」
そして…
「よォーい、ピッ!」
陸上部の関目が、ストップウォッチでタイムの計測をしている。
「オッケー。(へぇー、割と早いな、芦屋のヤツ…)」
そう言って、ストップウォッチに目をやった関目だったが…
一方、瑞稀は走り終わっても、佐野泉ばかり見ていた。
(もう、跳ばないつもりなのかな…
見てみたいよ…)
その時、関目が叫んだ。
「ゲー!!なんだ、芦屋のヤツ!」
「なんや、どないしてん。」
足にはちょっと自信がある中津が、関目に近づいた。
「あっ、中津、これ見ろよ…っ。これっ、芦屋の100mのタイムなんだけど、
これじゃあ、校内一のお前のタイムより上だぜっ!」
中津の顔が、厳しく変わる…

清掃時間
「おいっ、芦屋…っ、呼んでるぜ!入り口んトコ。」
耳打ちする友人の言葉に、瑞稀がふと見ると!
ドドドドド… 「芦屋瑞稀、オレの部へ入れぇぇっっ〜」
怒濤のごとく押し寄せる各運動部の面々!
柔道、サッカー、バレーボール、陸上…
「わあ!」
焦って、逃げ出す瑞稀。
「…スマン芦屋、つい先輩に口がスベって。」
無責任に懺悔する関目の後で、
窓にもたれて、じっと外を見たままの中津…

逃げて、逃げて、逃げまくる瑞稀。
(な、な、な、なんでこうなるのよ〜〜〜ッ!!)
やっと振り切って、裏口から出てきたが、もう、ヘトヘト…
(ま、まけたかな……ん?)
何気なく見た裏庭の茂みから、足が二本出ている。
そおっと回り込んでみると…
その足の持ち主は、想像通り佐野泉だった。
ガクッ… (あ、やっぱり…ホントにもう、どこでも寝るヤツ…)
その寝顔をじっと見つめる瑞稀…
やがて、自分の顔を、佐野泉の顔にそっと近づけ…そして…
「おーい、見つけたかあ!」
追手の声に、慌てて身を隠す瑞稀。
ドキン、ドキン、ドキン…
(――あたし、あたし…今、何しようとした――?)
「…うるせーな…っ。」
その時、運動部員達の声で目を覚ました佐野泉は、
茂みに隠れて震える瑞稀に、すぐに気付いた。
「!…な…」
「おーい、そこの寝てる奴ッ、小柄な一年見なかったかぁ?」
(…ダメだ…っ、見つかる…!)
瑞稀は、そう思った。
しかし…
「…え?ああ…そいつなら、向こうの校舎に入っていきましたよ。」
佐野泉は、さらっとそう嘘を言って、瑞稀をかばったのだった。
「…おい、行ったぞ。」
運動部員達が、行ってしまうのを確認して、佐野泉が
瑞稀の方を振り向くと、そこにもう瑞稀の姿はなかった。
(まともに顔が、見られない――!!) ← 瑞稀、心の叫び。

放課後
「瑞稀!…ちょお、つきおうてんか。」
珍しく真剣な表情で、瑞稀の目の前に現れた中津。
瑞稀は、中津と共に校庭のサッカーゴールのところにやって来た。
「ルールは簡単や。先にあのゴールにシュートした方が勝ちってこっちゃ。
男やったら、売られたケンカは買うんが筋やっ!!ええなっ。」
そう…
中津は、瑞稀が現れるまで校内一の俊足で、運動部の連中も、
中津には一目置いていた…
それが、瑞稀の出現で、中津はすっかり忘れられ、
瑞稀ばかりが注目されるのを、黙って見過ごすわけにはいかなかったのだ。
どちらが一番か、白黒はっきりさせる…!
それは、中津の『男のプライド』に違いない。
(…良くないよ…ちっとも…
なんで中津と、こんなことしなきゃいけないのよ…っ)
しかし、真剣な中津の申し出を、断れないでいる瑞稀…
ゴール前で、激しくボールを奪い合う二人。
ちょうどその時、フェンスの横を、裕次郎の散歩中だった
佐野泉が通りかかった。
裕次郎が、瑞稀の匂いを嗅ぎつけ、しっぽを振って立ち止まる。
佐野泉も、何やってんだ?…という表情で、
瑞稀と中津を見ていた。
少しして、ムキになっていた中津が、ようやくボールを奪った!
「よ…しゃあ!」
思い切りゴール目掛けてシュートを打つ中津。
…と、中津が勢いをつけるため、メいっぱい振り下ろしたひじが、
ちょうど真後ろにいた瑞稀の額を直撃っ!!
「!!」 焦る中津。
ドッ!そのままグランドに倒れる瑞稀…
「瑞稀…っ!!」
中津は、名前を連呼しながら瑞稀の頬をペチペチ…
「瑞稀っ、瑞稀っ!」
しかし、瑞稀の意識は戻らない。
「こいつは俺が運んでくから、お前、先行って校医引き止めとけ。」
佐野泉が瑞稀に駆け寄り、中津にそう言った。
「…泉っ!…いややっ、オレが運ぶ…っ、オレのせいで…」
中津が瑞稀の腕をつかみ、運ぼうとすると、
「ばかやろう!中津、お前、足速えんだろうが。
早く学園に戻って、梅田のクサレ校医を足止めしとけっつってんだ。」
それを聞いてハッとする中津… 「――っ、わかった…!」
中津は、佐野泉に瑞稀を任せ、校舎に向かって走っていった。
瑞稀のそばで、ぴすぴす泣く裕次郎。
「大丈夫だ、心配すんな、多分脳震盪だよ。
…ったく、世話やかせやがって…っ…!!」
そう言いながら、佐野泉は瑞稀の体を抱えたが…
瑞稀の脇の下から胸に回した自分の指先に覚えた、
そのやわらかい感触に、一瞬戸惑い…
驚いたように、瑞稀の顔を見つめる佐野泉。

保健室
「ただの、脳震盪だ。」
以前、中津の頭にケリを入れた(通りすがりに)メガネの校医は、
あっさりとそう言った。
「良かった〜〜ッ、瑞稀〜〜ィ!」
瑞稀の横で、泣く中津。
「ち、たかが脳震盪ぐれーで、大騒ぎすんじゃねーよ。」
校医は、帰りがけに呼び止められたので、すこぶる機嫌が悪い。
性格は、あまり校医にふさわしくないようだが、
若くて、なかなかイイ男だ。
「…ん…」
目を覚ます瑞稀。
「瑞稀…っ、気付いたか!」
「…中津…?」
中津は、感動のご対面!と、いきたいところだったが…
「部外者は、とっとと帰ぇれ!」
再び、校医のケリをお見舞いされ、ドゴッ!
「なにすんねん、こんボケ校医ッ!」
それを聞いて、校医のメガネがキランッ!と輝く…
「ほーう、俺に逆らおうっていうのか、いー度胸だ。
顔踏んでやろーか、気持ちいーぞォ、人の顔踏むのは。」
佐野泉が、中津のTシャツのクビをつかんで引っ張った。
「いくぞ。」
「えっ、あ…っ、おい、泉ィ!?」
「そーそー、早く行けガキ共ッ、ここは待合室じゃねーんだ。
ま、外で待つのは勝手だがな。」
廊下に出る二人。
「こらっ、ちょおっ、もう、はなせって…っ。」
パッと手を離す佐野泉…
知ってしまった事実…指先に残るあの感触…
「泉…?」
不思議そうに佐野泉を見上げる中津。

ソファーに座り、身なりを整える瑞稀。
「もう意識は、はっきりしてきたか?」
校医の質問に、
(…そうだ、あの時、中津のひじが当たって、
気、失っちゃったんだ――…)
「はい。」
どうしてここにいるのか、瑞稀はやっと思い出す。
「そう、それはよかった。」
(早く保健室から出なきゃ…)
「…あの、もう全然大丈夫ですから…」
急いで立ち上がろうとする瑞稀だったが…
「じゃあ、そのはっきりした頭で、答えてもらおうかな、
どうして君みたいな『女の子』が
男子校(うち)にいるのかをね。」
校医に、もう一度ソファーに座らされ、
がく然とする瑞稀…

第一話 おわり

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