戻る TOPへ

ベ ル サ イ ユ の ば ら

第1話「オスカル!バラの運命(さだめ)」


フランス、パリのとある屋敷
昼過ぎから降りだした雨は、やむ気配もなく、
庭の白い彫刻を洗い流すほどの激しさで降り続いた。
やがて日の暮れかかった頃には、雷も轟き始め、
屋敷の窓辺でうつむく紳士の顔を、
雨粒の叩きつけるガラスに、時折映し出していた。
「オギャァ…オギャァ…オギャァ…」
「ん……、オオォ!!」
赤ん坊の産声に顔を上げ、急いで階段を駆け下りる紳士。
階下には、4人の姫と、
生まれたばかりの赤ん坊を抱いた老乳母が
その紳士の勢いに、驚いたような表情で立っていた。
「男だ!…今度こそ男だな!!??」
雷をもつんざく様な大声で尋ねる紳士に、
老乳母はゆっくりと首を横に振った。
「そ…!そんなバカな!!」
「いいえ…、このとおり、お美しいお姫さまでございます。」
真っ白なレースの産着の中で、天使のごとき微笑を浮かべる姫を、
老乳母は、慈しむようにみつめた。
「ううむ…、王家をお守りし、軍を指揮する将軍の家に、
女など要らぬわ!!」
紳士はそう吐き捨て、部屋を出て行こうとしたが、
2〜3歩進んだところで足を止め、…ニヤッと笑い、
そして、老乳母の元へ取って返すと、
その手から赤ん坊を無理やり取り上げた。
「な、何をなさいます?」
「オギャァ、オギャァ、オギャァ!」
泣く姫を高々と持ち上げると、紳士はこう叫んだ。
「よし、決めた!おまえは男だ!!
おまえの名はオスカル!!
私の息子だ!!」


― 1769年 オスカルが生まれて14年の歳月が流れた。
ここベルサイユ宮殿では、民衆の貧しい生活をよそに、
今日も、華やかな舞踏会が繰り広げられていた。
20年後に、あの『フランス革命』が起ころうとも知らずに… ―


ベルサイユ宮殿 舞踏会

きらびやかな飾りの施された燭台に、無数のろうそくが惜しみなく灯り、
壁面いっぱいの装飾品や、貴婦人たちのドレスをより美しく照らし出す。
羽扇に髪飾り…上着の縁取りにいたるまで、優雅さを競うように、
男も女も、誰しもが自分を飾り立てていた。
「まぁ珍しい!ジャルジェ将軍だわ!!」
「えぇ?まぁ、本当!!」
貴婦人たちが、オスカルの父ジャルジェ将軍の周りを囲んだ。
困惑するジャルジェ将軍。
「ねえ、ジャルジェ将軍、今宵こそオスカル様を
お連れいただけたのでしょうねぇ?」
「それはもうお美しいと評判のオスカル様…
今宵こそはお目にかかれると、楽しみして参りましたのよ。」
「は、はあ、それが…」


ジャルジェ家 庭園

「そうら、そら、どうしたい?」
剣を交える2人の少年…??
1人は、黒髪のアンドレ。
ジャルジェ家に仕える、あの老乳母の孫だ。
そしてもう1人は…美しいブロンドの髪の、
そう…、あの夜、男として育つことを定められた姫、
オスカルだった。
2人は歳が近いこともあり、
幼い頃から兄弟のように育ってきたのだ。
「オスカル、ベルサイユへ行かなくていいのか?」
アンドレが尋ねた。
「誰があんなところへ!!」
オスカルの剣が、アンドレのベストの横っ腹を切り裂いた。
「はっ!!…やぁ!!はっ!」
ムキになって剣を繰り出すアンドレ。
カキーン!!
しかし、アンドレの剣は、オスカルのしなやかな剣によって
空高く跳ね上げられ、やがてオスカルの剣の上に落ちた。
柄の輪の部分が、オスカルの剣先に拾われた形で、
くるくると螺旋を描きながら、
オスカルに手元に滑り落ちるアンドレの剣。
「アンドレ、腕が落ちたな。」
逆にアンドレに向かって剣を滑らせるオスカル。
…彼女は男として、しかし、輝くように美しく成長していた。
再び剣を交える2人。
オスカルの剣をアンドレが受け止め、
そして、アンドレの剣をオスカルが受け止める…。
「お嬢様!それにアンドレ!!いつまでそんな危ないもの
振り回してるんです?」
窓から、アンドレの祖母でもあるオスカルの乳母が、
2人に声を掛けた。
「いっけねー、おばあちゃんだ、オスカル。」
アンドレの言葉に…
「こぉらっ!オスカル様とおっしゃい!オスカル様と!」
窓から、小さい体を乗り出すような勢いで怒る乳母。
「いいじゃないか、ばあや。」
オスカルは、美しいブルーの瞳をチラッと乳母に向けた。
「いいえっ!けじめはけじめです!
アンドレ!おまえは召使の身なんで…
あ〜〜っっ!!危ないっ!!」
オスカルの目の前に、アンドレの剣先が!
しかしオスカルは、それを難なく剣で跳ね上げた。
アンドレが、オスカルの顔に傷を付けるようなことなど、
間違ってもするわけはないのだが…。
乳母の心配をよそに、2人は剣を止めることなく、
互いを攻め、そして受け合った。
乳母は、ピンク色のドレスを撫ぜながら目を伏せる。
「本来なら、このドレスをお召しになって、
社交界にデビューなさるお歳なのに…
いいえっ!諦めるもんですか!
私はきっと、このドレスをオスカル様に着せてみせますとも!!」
庭のオスカルをみつめ、ドレスを握りしめる乳母。


宮殿 ルイ16世の間

「陛下、ジャルジェ様でございます。」
ルイ16世の元へ通されるジャルジェ将軍。
「おお、久しぶりだなジャルジェ、こっちへ来なさい。」
「はっ。」
ジャルジェ将軍は、かしこまってルイ16世の前に進み出た。
「かねてより、おまえから申し出のあった
近衛隊(このえたい)隊長の件だが、
それについては、ジェローデル伯爵の息子も候補にのぼっているのは
存じておろう。素晴らしい剣の使い手だそうだ。」
ルイ16世はそう言いながら、テーブルの上に山と積まれた果物の中から
輝くように赤いリンゴをひとつ手に取った。
「はい。しかし剣ならば、
私の息子オスカルも決して引けはとりません。」
「…息子と言ったな。」
「し、失礼いたしました。実は…」
「ハッハッハ、構わん。男子に恵まれぬおまえが、
いかに苦労して育て上げたか、噂には聞いておる。」
オスカルが女であるということは、特別秘密にされていたわけではなく、
知っている者も少なくなかったのだ。
男をもしのぐ女、つまり、女ということをバカにできないほど立派な人物にと、
ジャルジェ将軍は、オスカルをそう育ててきたのである。
ルイ16世もまた、信頼するジャルジェ将軍の子であるオスカルを、
女というだけで頭から否定するほど、器の小さい人間ではなかった。
「どうだ?ジェローデルと一太刀交わして、勝ったらということでは?」
「はいっ!」
「ハッハッハ、実は、余もオスカル隊長の実現を期待しとる。
できるだけ華やかに、優雅に護衛してやりたいのだ。
マリー・アントワネットをな…」
その言葉に、ルイ16世のマリーに対する愛の深さと、
人間としての器の大きさを感じるジャルジェ将軍。


― 18世紀、ヨーロッパは絶え間ない戦乱に明け暮れていた。
ことに、強大な軍事力を持つフランスとオーストリアは、
事あるごとに衝突を繰り返していた。
しかし、それが他の諸国を喜ばせるだけだと悟った
オーストリアの女帝マリア・テレジアは、両国の和平を提案、
ここに、歴史的な同盟が結ばれることになったのである。
その確かな証として、テレジアの末娘マリー・アントワネットと
フランス王太子の婚約が決められた。 ―


ジャルジェ家

椅子の背もたれに掛けられた真っ白な軍服を、
オスカルはじっとみつめていた。
「どうだ、オスカル?誉あるフランス近衛隊にとっても、
今度ほど重要な任務はない。
マリー様は、おまえがお守りするのだ。
もっとも、ジェローデルと試合をせねばならんが…
それについては、何も心配はしておらん。
このために私は、おまえに14年間も剣を教えたのだからな。」
ジャルジェ将軍はそう言って、金の刺繍のあでやかな、
白い軍服を取って、オスカルに差し出した。
「さあ、袖を通してみろ。」
しかしオスカルは、それをすぐに受け取ろうとはしなかった。
「…ん?どうした…?」
「私は…女のお守などしたくありません。」
「えっ?!」
思いもかけぬオスカルの言葉に驚くジャルジェ将軍。


「さぁさ、みんな手伝っておくれ。」
たくさんの花をテーブルに広げて、乳母がメイドたちを呼んだ。
「うわあ、きれい!!」
「こんなにたくさん!!」
若いメイドたちが、目を丸くするほど美しい花が、
テーブルが埋もれてしまうくらいたくさん積まれている。
「オスカル様のお部屋を、きれいに飾るんです!」
一厘の花をやさしく撫ぜる乳母の後ろに、そっと近づいて
「おばあちゃん、オスカル知らない?」
と、声を掛けるアンドレ。
ビックリする乳母。
「オスカル様とおっしゃい!
アンドレ、おまえはあくまで召使の子なんだから…」
小言が始まりだしたその時だった。
「バカモノ!!」
階段の上から聞こえてきたジャルジェ将軍の怒鳴り声!
皆が驚いて階上を見上げると、
ジャルジェ将軍がオスカルの胸倉をつかみ、
「頭を冷やせ!!」
と、階段に突き飛ばした。
階段を転げ落ちるオスカル。
しばしの静寂の後、オスカルはすっと立ち上がり、
「失礼します。」
それだけ言い残すと、ゆっくり階段を降りていった。
「オスカル!試合は明日の正午だ。
国王陛下がおみえになる意味をよく考えろ!」
父の言葉に振り向きもせず、
アンドレと乳母の前を通って外へ出て行くオスカル。
「オスカル様…?」
心配そうな乳母と、
ちょっと驚いたように、言葉もなく見送るアンドレ。


次の日

ベルサイユの一角にある決闘場は、
大勢の貴族たちで埋め尽くされていた。
宮殿内の婦人たちは総出で、オスカルが現れるのを
今や遅しと待ちかねている。
その中で、1人眉をしかめて青くなっている人物がいた。
ジャルジェ将軍である。
ルイ16世の真っ白な馬車が到着したのにも気づかず、
下をうつむいたまま…。
「ジャルジェ殿、陛下です。」
後ろにいた将軍に声を掛けられ、
やっと立ち上がるジャルジェ将軍。
「ジャルジェ殿、試合まで30分もありませんが、
ご子息は、来るのでしょうな?」
「来ると思います…いえ、必ず来ます。」
ジャルジェ将軍は、馬車から降りるルイ16世を見ながら、
(こんな大ごとになるとは…、オスカル!早く、早く来んかっ!)
…心の焦りを隠せなかった。


ベルサイユに向かう森の道

二頭の馬がゆっくりと歩を進めている。
乗っているのは、ジェローデルとその召使だ。
まさに、オスカルとの試合に臨むべく、
決闘場へ向かう途中だった。
空色の軍服を身にまとい、背筋を伸ばして手綱を握るその姿は、
伯爵の子息らしい気品と誇りに満ちあふれている。
「ジェローデル様、時間が迫っておりますが。」
「慌てるな、ここまで来ればすぐだ。」
「お気持ちが進まぬようですね…」
「当たり前だ。女に勝っても自慢にはならん。
こんな形で、隊長の地位を得ねばならんとは…」
口惜しそうに目を伏せるジェローデル。
そんな2人の前に、見事なピンク色の花が満開の木が見える。
…と、その根元に誰かがもたれかかっている。
ジェローデルは、そこに、なにげなく馬をとめた。
「待っていました、ジェローデル大尉。
私は、オスカル・フランソワ・ド・ジャルジェ。」
彼を待っていたのは、オスカルだった。
オスカルは、ブロンドの前髪の下から、
輝くブルーの瞳でジェローデルを見上げた。
「ほぉ…、噂には聞いていたが、これはお美しい。
では、急ぎましょう。俗物どもが、
あなたのお顔を一目見たいと、首を長くしている。」
ジェローデルはそう言って、馬を出した。…が、
「ジェローデル大尉。」
オスカルの声に、再び馬をとめた。
「私は、近衛兵の隊長になりたいとは思っていない。」
「ほぉ〜、そうだったんですか。それは賢明だ。
フッハッハ…、では、伝えておきましょう。
オスカル殿は、辞退したとね。」
「しかし、私は、あなたが怖くて逃げるわけではない。
そのことを、せめてあなただけにも証明しておきたい。」
「フフフ…、では、ここで勝負を…?………
アッハッハッハッハ!!聞いたか?!」
馬の背中で大笑いするジェローデル。
「ハハハ…、およしなさい、マドモアゼル・オスカル。」
召使も、オスカルをバカにしたように苦笑してみせた。
「おわかりにならぬなら、もう一つ付け加えよう。
私は、大勢の前であなたに恥をかかせたくない。」
オスカルのその言葉に、揺れていたジェローデルの背中が、
ピタッと止まった。
「それとも怖いのか?女に負けることが…」
なおもオスカルは、挑発した。
ジェローデルは、右手で腰の剣を押さえながら、
静かに馬を降りた。
「望むなら、相手になってやってもいい。
しかし…そのお美しい顔に剣を向けることなどとても…
おっっ!!」
冷静なジェローデルの目の前に、突然、剣を突きつけるオスカル。
ヒヒィーン!ジェローデルの馬が、危険を感じて走り出す。
「ご主人に何をする!?」
召使が、驚く馬の手綱をさばきながら叫んだ。
だが、オスカルはジェローデルをじっとみつめたまま、
剣を戻す気配はない。
「お願いだ…女といえども武人。
こうするしか、名誉を守る方法はない!」
剣の向こうで、曇りなく輝くオスカルの瞳を見たジェローデルは、
「わかった、相手になろう。」
意を決して剣を抜いた。
正々堂々と勝負を始める合図、
2人は剣の先をそっと合わせる。
そして、オスカルとジェローデルの名誉をかけた戦いが始まった。
激しく剣を交える2人。
ジェローデルの鋭い剣を、まるで舞うようにかわすオスカル。
「女だけあって身が軽いな…」
さらに力を込めて剣を振るうジェローデルだったが…
ほんの一瞬をついたオスカルの剣が、
ジェローデルの空色の軍服の胸のあたりを切り裂いた!
そんなバカな…と、信じられない表情のジェローデル。
オスカルの剣先に下がった空色の軍服の切れ端は、
ジェローデルのプライドそのものだったに違いない。
「…ありがとう。私はこれで満足です。」
立ち去ろうとするオスカルの言葉が、
ジェローデルの奥底に眠る闘争心に火をつけた。
「ま、待て!勝負はこれからだ!!」
再び戦い始める二人。
激しく強く、男としてのプライドを込めて剣を出すジェローデルだったが、
終いには、ジェローデルの剣ははじき飛ばされ、
屈辱にも、宙を舞って地面に突き刺さってしまった。


一方、決闘場

ルイ16世はじめ、皆が、オスカルとジェローデルの到着を
痺れを切らして待っている。
「オスカルとジェローデルはまだか!!」
立ち上がり、怒りをあらわにするルイ16世。
「ジャルジェ将軍、ご子息はどうなっているんですか?!」
「は、はい…、申し訳ございません。」
ジャルジェ将軍は、皆の注目を浴び、額から滝のような汗を滴らせた。
そこへ、一頭の馬が、ものすごい勢いで走り込んで来た。
乗っていたのは、ジェローデルの召使だ。
「大変です!決闘です!
オスカル様がご主人を待ちうけ、挑まれたのです!」
馬から転げ落ちるようにして、必死に訴える召使。
「な、なに…?!オスカルめ…」
ぼう然と立ち尽くす、ジャルジェ将軍。


ジャルジェ家 馬小屋

ジャルジェ将軍が、鬼のような形相でやってきて、
中にいたオスカルの頬を、ひとつ、ふたつ…
思いきりはり飛ばした。
オスカルの体が、草の上に吹っ飛ぶほどに…。
驚きいななく馬と、それをなだめるアンドレ。
「何が気に入らん?!おまえは、この父の気持ちがわからんのか?
よいか、今日ベルサイユで陛下がどんな御裁断を下されようとも、
反逆罪を犯したおまえに、弁明の余地はない!!
覚悟しておけ!!」
小屋から出てゆくジャルジェ将軍。
何も言い返さず、じっと父の背中を見ているオスカル。


ジャルジェ家 とある部屋

「まったく…ムシャクシャするわ、もう…」
グラスにワインをナミナミと注ぐ乳母。
目はうつろ、頬は真っ赤で、もうかなり酔いがまわっている様子。
乳母は、そのグラスを一気に空け、深くため息をついた。
「ふう…、旦那様も、まさかあそこまで本気だとはね…」
そして、またワインのビンに手を掛けた。
それを、さっと横から取り上げるアンドレ。
「待った!!いいかげんにしなよ、おばあちゃん。
さっきから何杯飲んでんだい、いったい?!」
「たまにゃあいいでしょ!今夜はね、飲まずにはいられないんですよぉ〜
私がオスカル様だったら、やっぱりおんなじ…
軍服なんか絶対着てやるもんですかぁ、ヒック!」
「冗談じゃないよ、反逆罪でどうなるかわからないってのに…
オスカルのヤツ…」
ガタン!! 酔って、椅子からずり落ちる乳母。
「おばあちゃん!!だから言わんこっちゃない…
しっかりして。」
アンドレは、そっと乳母を抱き起こした。
「オスカル様…これは、男と女の戦いでございます……ヒック…」
乳母の寝言を聞いて、ハッとするアンドレ。

乳母を寝かせ廊下に出ると、アンドレは乳母の言葉を思い出していた。
(男と女の戦い…そうか、きっとオスカルの心の中では…)
女でありながら男として育ってきたオスカルの、複雑な心の内を思うと、
アンドレの心もまた、かきむしられる様に痛むのだった。


オスカルの部屋

壁に掛けられた、美しい貴婦人の肖像画をじっとみつめるオスカル。
コンコン…
ノックを聞くと、オスカルは慌てて椅子に腰掛け、
本を手にとって言った。
「アンドレか?入れ。」
水差しののったトレーを手に、部屋に入るアンドレ。
「今日はいよいよ、百年戦争のくだりだったな。」
オスカルは、平静を装ってぶ厚い本のページをめくる。
「ああ、そうだよ…」
開け放たれた窓に掛かったカーテンが、
ロウソクの灯る白い燭台の脇にトレーを置いたアンドレの顔を撫ぜた。
窓の外を見る2人…。
まるで、オスカルの心中を物語るかのように、
青白く光る稲妻が、漆黒の闇を切り裂いた。
「…春の嵐か。」
ポツリとつぶやくオスカル。
一瞬のうちに雷は激しさを増し、やがて雨も降り始めた。
窓を閉めようとするアンドレだったが、
「開けておいてくれ…」
珍しく力ない口調のオスカルの言葉に、その手を止め、
そして、オスカルの方を振り返る。
「夢中で走っている時はいい…、だが、急に立ち止まって足元を見た時、
ふと、自分はどこに行こうとしているのかと…そんなことはないか?
…気になるんだろ?オレが軍服を着けないことが…」
オスカルはそこまで言って、突然、本を壁に向かって投げつけた。
「くそぅ!イヤだ!!女のお守なんてできるかっ!!」
肘掛についた手で、額を押さえうなだれるオスカル。
「それだけが理由か…?もしかして、おまえの本心は…」
アンドレがそこまで言いかけた時、
オスカルは顔を上げ、うるんだ瞳でキッとアンドレを睨んだ。
はっ…!心配するあまり、オスカルの心の中に踏み入るような言葉を
言いかけた自分に気づくアンドレ。
2人の間に吹き込んだ風が、ロウソクの炎を吹き消し、
雨音と暗闇だけが2人を包む。
「行け…行ってくれ…」
しぼり出すようにオスカルは言った。
アンドレは、何も言わずにそれに従い、ドアで一度振り向いて
(おやすみ、オスカル…)
そう、心の中でささやくと、静かに部屋を出て行った。
1人部屋に残されたオスカルの横顔を…
決して人には見せない弱い部分を…
影絵のように、稲光が映し出していた。


雨の中、一台の馬車が泥を跳ね上げながらジャルジェ家に到着。
窓から、それを見ているオスカル。

アンドレは寝付けず、1人ベッドに寝転んで、
先ほどのオスカルのことを思い出していた。
オスカルのあの目、あの声、そして本当の心の内…
そこへ、
コンコンコンコン…!!!
あわただしくドアをノックする音がする。
アンドレがドアを開けてみると、そこには、
たった今馬車を飛ばして帰ってきた、
頭から雨を滴らせたジャルジェ将軍が立っていた。
「旦那様…?」

「まさに、夢にも思わぬことが起こった。
陛下のお怒りは大変なものだったようだが、
あの後、オスカルに負傷させられたジェローデル大尉が、
近衛隊の隊長には、オスカル以外にはないと申し出たのだ。
陛下も心を動かされ、オスカルの罪をお許しくださることになった。
そして…、近衛隊隊長に、オスカルを任命された!
もう、逃げるわけにはいかん…。陛下のご命令が下ったのだ。
アンドレ…、おまえの言うことなら聞くかもしれん。
命に代えても、オスカルに軍服を着せるのだ!!」
アンドレの部屋で向き合うジェルジェ将軍とアンドレ。
その話を、雨の中、ほんの数センチの足場をつたってやってきた、
ずぶ濡れのオスカルが、
アンドレの部屋の窓の外で、じっと聞いていた…。

翌、早朝…
馬小屋へやってくるオスカル。
そこで待っていたアンドレが、にこやかに声をかけた。
「やあ、おはよう。」
「ああ…早いな。」
「久しぶりだ、遠乗りに行かないか?」

さわやかな草原、並んで馬を走らせる2人。
オスカルの白い馬と、アンドレの栗毛色の馬。
夜明け寸前の淡いオレンジ色の空を背景に、
それは、まるで絵画のように美しい光景だった。
やがて2人は、透き通るほど清らかな湖へとやってきた。
馬に水を飲ませると、アンドレはオスカルの横に腰を下ろし、
「覚えているか?ここでおぼれそうになった…」
と、オスカルに尋ねた。
「ああ、忘れるものか。おまえが6歳、オレが5歳の時だった。」
「ああ…2人で、懸命になって泳ぎきったっけな。」
オスカルは、その頃を懐かしむかのように、草の上に寝転び目を閉じる。
アンドレは、傍らの草をむしって唇にあてがい、草笛を吹き始める。
…懐かしく、物悲しい音色が湖の水面に響きわたった。
「よせ!草笛なんか吹いてごまかすな!」
オスカルの強い口調にちょっと驚いて、草笛をやめるアンドレ。
「どうしたんだ…?」
「…オレに何か言うことはないのか?」
「…別に。」
「はっきり言ったらどうだ!軍服を着ろと!!」
アンドレは、起き上がって睨むオスカルから視線をそらし、
「着たくないものは…ムリに着るな。」
そうつぶやいた。
するとオスカルは立ち上がり、今度はアンドレを見下ろして言った。
「それがおまえの手か?着るなと言えば、あまのじゃくなオスカルは、
きっと着る…そう思ってるんだろ?!」
アンドレは思わず立ち上がり、
「貴様…!!」
と、オスカルの襟元をつかんだ。
その手を払いのけるオスカル。
次の瞬間、アンドレの左の握りこぶしが、オスカルの右頬に!
「ああっ…」
オスカルは、草の上に倒れ、頬を押さえた。
だがオスカルは、ただの女ではない。
アンドレを睨み返してサッと立ち上がり、
負けずとこぶしを突き出した。
アンドレもまた、それに応じてこぶしを出す。
一発、二発…そして三発。
今度はアンドレが、草の上に吹っ飛んだ。
なおも本気で殴りあう二人。
オスカルのこぶしがアンドレの頬を、
アンドレのこぶしがオスカルの頬を…。
やがて、手加減なしのアンドレのこぶしがオスカルの顔面をとらえ、
オスカルは、後ろに立っていた木の幹に背中からぶち当たった!
その衝撃で木の葉が舞い落ちる下、
それでも崩れ落ちず、幹に身を押しつけるようにして
オスカルは立ち続ける。
その時、夜が明け始めた…。
朝日にキラキラ輝く湖。
オスカルは、太陽の力でも得たように幹から体を離し、
そして、再びこぶしを握ってアンドレをにらみつけた。
(そうだ…その目だ、オスカル…!
殴って来い!思いっきり殴って来い!!)
アンドレの心の叫びが聞こえたように、アンドレに殴りかかるオスカル。
アンドレもまた、オスカルの攻撃に応え、本気でこぶしを出した。
2人は、まるで子供のようにお互いを殴りあった…
…そしてとうとう、
2人はほぼ同時に、草の上に倒れてしまった。
「はぁはぁはぁ…」
うつ伏せに倒れたアンドレ。
「はぁ…はぁ…はぁ…」
仰向けに倒れたオスカル。
お互い、顔を反対側を向け目を合わせようともしない。
2人の荒い呼吸だけが、朝日にきらめく湖に響いていた。
やがてアンドレの手が、草の上を這うように動くと、
その手はすうっとオスカルの手にたどり着き、
そして、しっかりと握りしめた。
「…初めてだ、こんな殴り合い。」
アンドレは、ちょっと気恥ずかしそうに微笑んでそう言った。
「昨夜、聞いてしまった…、おまえと父上が話しているのを。」
オスカルの言葉を聞いて、ハッとするアンドレ。
「オスカル…」
「…さあ、言ってくれアンドレ!」
覚悟したようにそう言うオスカルを、じっとみつめるアンドレ。
「おじさんの気持ちはよくわかる…。けどなぁ、そのためにオスカル、
おまえの生き方を規制したくなかったんだ。
だから、だから…、何も言うまいと心に決めたんだ。」
アンドレの言葉をそこまで聞くと、
オスカルは、何も言わず、湖で待つ馬の背中にまたがった。
「オスカル!これだけは言わせてくれ!!
その代わり、もう二度とは口にしない!」
アンドレの前を走り去るオスカル。
「オスカーール!!今ならまだ遅くはないー!!
女に戻るなら、今だぞーーーーー!!!!!」
アンドレの叫びが、いつまでもせつなく湖にこだました。


ジャルジェ家

机に両ひじをついてうなだれるジャルジェ将軍。
そこへアンドレがやって来た。
「おお…、どうだ、うまく説得できたのか?
…ま、まさか、アンドレ…?!」
「…オスカルは、自分で道を選ぶ権利があります。」
「…むう…クッ…」
期待はずれのアンドレの答えに、
ジャルジェ将軍は怒って部屋から出て行った。
「旦那様ー!」
アンドレの呼ぶ声などに耳も貸さず、
スタスタと、皆が心配そうに立ちすくむホールを横切り、
2階のオスカルの部屋へ向かおうと階段を昇り始めたその時…
「おお…!」
階上に、真っ白な軍服を身にまとったオスカルが!!
その姿は…、悲しいほどにせつなく、そして、美しかった。
白い手袋を握りしめ、一段一段、ゆっくりと階段を降りるオスカル。
(父上、これは、あなたのためでも、誰のためでもありません…)
オスカルは、そう心の中でつぶやき、父の前を通り過ぎた。

アンドレを伴い、馬で出発するオスカル。
「行くぞ、アンドレ。」
「…うん。」
オスカルの心に、迷いはもうなかった。
己の選んだ道を、ただ歩むだけ…。
今、2人の上に舞い落ちる花びらは、
前途を祝福しているようでもあり…
春の嵐を予感させるかのようでもあった。

― この日オスカルは、女に決別した。
そして、新たなる大人の世界へ第一歩を踏み出した。
彼方に、愛と死の…怒濤の運命が待ち構えていることを
知る由もない、
オスカル、14歳の春であった。 ―



第1話「オスカル!バラの運命」

― END ―


inserted by FC2 system