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アルプス物語
わ た し の ア ン ネ ッ ト

第1話 アンネットとルシエン



― 1900年 今から80年ほど前のスイス。
この物語は、ロシニエールという小さな村の、
少年と少女の物語です。 ―



「アンネット!アンネット!」
お母さんが、アンネットを起こしにやってきました。
「アンネット、起きなさい。いつまで寝てるの?」
「ん…う〜ん……。」
アンネットは、いつも元気な女の子。
でも、朝はちょっぴり苦手です。
「今日は、父さんといっしょに、牛の世話をする約束じゃなったの?
ダメよ、約束は守らなくちゃ。」
お母さんがカーテンを開けると、
朝の光がアンネットの部屋いっぱいに差し込んできました。
今日も、いいお天気です。
「はい、わかってます…、母さん…、
あと1分、1分だけ…。」
それでも、目の覚めないアンネットは、
ふとんを頭までかぶってしまいました。
「はぁ…しょうがない子ね。
寝過ごして学校に遅れても知りませんよ。」
お母さんは部屋を出て、大きなお腹をかばうようにしながら、
ゆっくり階段を降りていきました。
アンネットのお母さんのお腹には、赤ちゃんがいるのです。
『ポッポー、ポッポー…』
ハト時計が、6時を告げています。
それを聞いたアンネットは、慌ててベッドから飛び起きました。
「いけない!!」
そして、急いで服を着替えると、上着を羽織ながら階段を駆け降り、
「そおれっ!」
最後の3段は、ジャンプして着地!
そして、お母さんのところへ走っていきました。
「おはよう、母さん!」
「アンネット?」
「なぁに??」
「もう少しおとなしくできないの?」
お母さんは、おてんばなアンネットをいつも心配しているのです。
「えへっ!」
アンネットは、舌をペロッ!
「わかったわね?それじゃ父さんのところへ行きなさい。」
「はーい!」
アンネットは、2〜3歩行きかけましたが、
ちょっと戻ってお母さんのお腹を撫ぜ、
「おはよう、赤ちゃん!」
と、お腹のあかちゃんにもごあいさつして走っていきました。
外へ出たアンネットは、まず犬のペーペルにごあいさつ。
「おはよう!ペーペル。」
「わぁん!」
茶色い犬のペーペルは、アンネットが大好きです。
牛小屋へ行くと、お父さんが牛のお乳をしぼっていました。
「おはよう、父さん。」
「おはよう。」
おひげの良く似合うお父さんは、
いかにもアルプスの山男って感じの人です。
「ごめんなさい…、5時には起きようと思ってたの。
本当よ、ウソじゃないわ!
私、ちゃーんと一度は4時に目を覚ましたのよ。」
「わかった。言い訳は後にして、そこのバケツを持ってきなさい。」
「はい。」
「それから、牛たちが動かないように、新しいマグサを用意して。」
「はーい。」
アンネットは、さっそくお父さんのお手伝いを始めました。
やがて、ペーペルがぐーんと伸びをした時、
牛小屋からアンネットが出てきました。
「さぁ、みんな出ておいで!」
牛たちが、草原にゆっくりゆっくり進んで行くの合わせ、
カウベルの音が、アルプスの朝の空にステキなハーモニーを奏でています。
「おまえたちー!おいしい草をいっぱいお食べ!」
すると、アンネットのスカートのすそを、
最後に小屋から出てきた子牛のロゼッタが口で引っ張りました。
「あん、コラ!ロゼッタ!!」
走って逃げるロゼッタを、アンネットは笑いながら追いかけます。
「待てー!」
牛とはいえ、ロゼッタはまだ子牛、足がとても速いのです。
「このいたずらっ子、待てーー!あははっ!!
待てー!あははは…。」
アンネットがロゼッタのかわいいシッポをつかみました。
でも、それでも止まらずにロゼッタが走るので、
「あ、ああー、助けてー!」
どてん!
ロゼッタに引っ張られ、アンネットは転んでしまいました。
「痛〜い…。ロゼッタったら。」
アンネットは、ひざこぞうをポンポン。
そして、思い切り朝の空気を吸い込みました。
山の傾斜に沿って自然のじゅうたんがひかれ、もみの木が縁取り、
それはそれは美しい景色です。
そこへ、馬に引かれた荷車がやってきました。
「あ、おはようございます!フェルナンデルさーん!」
「ああ、おはよう!どうだね?牛たちのごきげんは。」
フェルナンデルさんは、牛乳を運ぶ途中のようです。
「ええ、とっても元気よ。」
「そりゃ何よりだ。それにしても感心だな、朝早くから。」
「ニコラス先生の言いつけなの。学校へ来る前に、
必ず仕事を手伝いなさいって。」
アンネットは、フェルナンデルさんの荷車の横を一緒に歩きながら答えました。
「なーるほど、どうりでルシエンも、珍しく薪割りなんかしていたよ。」
「ええ?ルシエンが?」
「いや、いい事だよ。うんと働いて、うんと勉強して。
いやー、それでこそスイスの子供だ。」
通り過ぎるフェルナンデルさんを見送りながら、
「うふっ!ルシエンが薪割りだなんて。」
アンネットは、にっこり微笑むのでした。


その頃、アンネットの仲良しの男の子ルシエンは、
しぶしぶ薪割りをしていました。
斧は重いし、これが結構むずかしくて苦労しているようです。
あ、また薪ではなく台に斧がささってしまい、
手がしびれて…おまけに斧が抜けなくて…勢い余ってシリモチ!
「もうイヤだっ!1時間も早起きすれば何でもできるなんて、
ニコラス先生もひどいよ…。
そうでなくたって、ボクは毎朝乳しぼりをやんなきゃならないのに。」
地べたに座ったまま、ルシエンがブツブツ言っていると、
ルシエンのお母さんがやってきました。
「何をブツブツ言ってんの?文句ばかり言ってないで、
早く片付けておくれ!」
すると、ルシエンはプイッとそっぽを向いて言いました。
「文句なんか言ってやしないよ。」
「だったら、そんな不服そうな顔するんじゃないの。
よその子供さんたちは父さんがいるからいいけど、
家はそうじゃないんだからね!」
「だからやってるんじゃないか…。
学校から帰っても、牛の草を取りに行くし、
ちゃんと牛小屋の掃除だってやってるよ。」
「そんなことはあたり前ですよ!…いいかい?ルシエン。
家には牛が3頭しかいないんだからね。
姉さんがモントルーの町で働いてくれてるから、何とかやっていけるけど、
もし牛がいなかったら、それこそ飢え死にしなくちゃならないんだから!」
「わかってるったら…。それより早くご飯にしてよ!
腹ペコで死にそうなんだ、ボク。」
「ふう…」
お母さんはちょっとあきれ顔です。


「行ってきまーす!」
アンネットが、元気に外へ出てきました。
「ほら、忘れ物!」
あら、お母さんがアンネットのカバンを持っています。
そんな物忘れて、アンネットったらどうするつもりでしょう?
「あ、いけない!」
カバンを受け取って、アンネットはもう一度、
「行ってきまーす!!!」
そして、急いで走って行きました。
「気をつけてねー!」

こちらはルシエン。
「行ってきます…」
おや?ちょっと元気がないようです。
「寄り道しないで帰るんだよ!」
「わかってるよ…」


― アンネットとルシエン、共に7歳。
アンネットは、ちょっとおてんばのハリキリやさん。
ルシエンは、少し愚痴っぽい、気のいい少年。
2人は小さい頃から大の仲良しです。 ―



アンネットが、学校へ向かう道の途中でルシエンを待っていると、
ちょっとうつむき加減にルシエンがやってきました。
「あ、ルシエン!おはよう!!」
「…おはよう。」
アンネットがニッコリあいさつしたのに、
ルシエンったら、ボソッと答えてさっさと先に歩いて行きます。
「ん?、待ってよ、ルシエン!」
2人は、こうして毎朝一緒に学校へ行くのですが…。
「どうしたの?朝からふくれっ面して。
またお母さんに叱られたんでしょ?」
「叱られるわけないじゃないか!5束も薪を割ったんだぜ!
ほら、こんなにマメが出来るくらい。」
本当!ルシエンの掌はマメがいっぱいできて赤くなっています。
「聞いたわ、フェルナンデルさんから。
偉いわね、ルシエン!」
「えへへっ!」
アンネットに褒められて、ルシエンはうれしそうに笑いました。
2人が、川の上に架かったレンガの橋に差し掛かった時、
ルシエンが立ち止まり、
「あ、そうだ!約束のナイフ出来たよ!
二日も徹夜したんだぜ。」
そう言って、カバンから木製のナイフを取り出しました。
「わぁ!作ってくれたの?」
「模様がむずかしくてね…、でもちゃんと彫れてるだろ?」
アンネットがそのナイフを受け取って見てみると、
柄のところにキレイな花模様が刻んでありました。
「うわあ〜…、ステキッ!ありがと、ルシエン!」
アンネットは、ルシエンのホッペにチュッ♪
「あ……、ヘヘ…。」
ルシエンはちょっと照れくさそうに頭をかきました。
「うふふっ…」
「へへへ…」
その時です。
「ピュ〜!」
アンネットとルシエンをはやし立てるような指笛が聞こえました。
橋の向こうに立っていたのは、いじめっ子のジャンたち3人組でした。
「ピュ〜ピュ〜!へっ、赤くなってやがんの。」
「ジャンだ…。」
「ヤなヤツ!ルシエン、行こう!」
「う、うん…」
アンネットは平気でジャンたちの方へ歩き出しましたが、
ルシエンは何だか恐々付いていきます。
「おっと!」
案の定、ジャンたちは両手を広げて通せんぼしてニヤリ。
「じゃましないでよ、ジャン!」
すると、ジャンはアンネットの言葉など聞かず言いました。
「ルシエン、オレも頼んだはずだぜ?いつ作ってくれんだよ。」
「頼まれたことなんかないよ!」
「そうか、じゃ、これをもらうぜ!」
ジャンは、いきなりアンネットの手からナイフをもぎ取って走り出しました。
「あ、返してよー!!」
これにはルシエンだって黙ってはいられません。
「よせよー!返してくれよー!!」
「ここまでおいでーだっ!」
ルシエンは、ジャンを追いかけナイフを取り戻そうと
ジャンの体に飛びつきました。
でも、体の大きなジャンはビクともせず、
笑ってナイフを高く持ち上げ、ヘッチャラで笑っています。
「おっとっと、ほらほらほらほら!」
それを見たアンネットが、ルシエンに近づこうとすると、
ジャンの仲間が通らせてくれません。
「返せよ!返せったらー!!」
もう1人の仲間に後ろから抑えられ、動けなくなってしまったルシエン、
それでも必死に叫びましたが、
「取れるもんなら取ってみな!」
ジャンは、ルシエンのおでこを押さえてバカにしています。
「…アンネットのために作ったんだぞ…返せ…」
あぁ、ルシエンはとうとう泣き出してしまいました。
「ルシエン!!」
アンネットは、ジャンの仲間の腕にガブリッ!
「あ、いたたたたた!!」
おまけに、ソイツのおしりをボンと蹴っ飛ばし、
「こら〜!!待ちなさい〜!!」
カバンを放り投げてルシエンのところに駆けつけました。
アンネットの体当たりにバランスを崩したジャンに、
ルシエンはもう一度飛び掛りました。
「返せー返せ、返せっ!!!」
するとジャンは…!!
「何だ、こんな物!欲しけりゃ返してやるよ、ほらっ!!」
と、そのナイフを川へ!
木で出来たナイフは、あっという間に下流に流れて行ってしまいました…。
「あ…!」
「はっはっはー!ザマアミロ!悔しかったら取ってこーい!」
「泣き虫ルシエーン!!」
「そばかすルシエン!!」
ジャンたちは、笑いながら走って行ってしまいました。
「卑怯よ!男のくせにっ!!」
アンネットが怒鳴って、ふとルシエンを見ると、
ルシエンは半べそかいてすっかり落ち込んでいます。
「仕方がないわ、また作ればいいじゃない?
ルシエンは彫刻の名人なんだから。」
「…ジャンは、ボクのこといつもバカにするんだ。
お母さん子だのグズだのって…」
「ジャンの言うことなんて気にしないほうがいいわよ。
それより、早く学校行かなきゃ遅刻するわよ!
さ、早く行きましょっ!」
「…………………」
「ルシエンったらぁ。」
何とかルシエンを励まそうとするアンネットでしたが、
ルシエンは、黙って川をみつめたままでした。
「ねぇ、ルシエン、行きましょうよ。」
「…………………」
「…ふぅ。じゃ、先に行くわ。遅れないでよ。」
しかたなくアンネットは、カバンを拾って歩き出したのですが、
それでもルシエンのことが気になるようです。
「ホントに行くわよ!?」
「…………………」
「もう知らないっ!!」
とうとうアンネットは、学校へ走って行ってしまいました。
「アンネット……」
1人橋に残ったルシエンは、橋の上にぺタッと腰を下ろし、
「はぁ…」
と、大きなため息をつくのでした。


アンネットたちの通う学校は、小高い丘の近くにありました。
どうやら算数の授業が始まっているようで、
ニコラス先生が、黒板に足し算の問題を書いています。
アンネットもジャンも席についているのですが、
ルシエンの席は空いたままでした。
アンネットが、心配そうにルシエンの席に何度も目をやっていると、
「どうしたの?アンネット。」
となりの席の友だちが、アンネットに尋ねました。
「なんでもないわ。」
「静かに。それでは、この問題を解いてみなさい。
やさしい問題だから、慌てずに間違えないように解くこと。」
先生がそうおっしゃった時、廊下にルシエンがやってきました。
ルシエンがそぉーっと教室のドアを開けてみると、
先生は、窓際の友だちの方を向いています。
チャンス!と思ったルシエンは、床を這って席へ着こうと…。
「ルシエン!」
びくっ!!
やはり先生にはお見通しだったのですね。
後ろから先生に声を掛けられてルシエンはドキッ!
「立ちなさい。」
ルシエンは、しぶしぶ帽子を取って立ち上がりました。
「遅刻だ、ルシエン。」
「…はい。」
「これで何度目か知っているのか?」
「三度…いや、四度目です。」
「あっはっはっは!」
それを聞いて、友だちはみんな大笑い。
…でも、アンネットだけは笑いませんでした。
「みんな静かに!よろしい、正直に答えたから今日は大目にみよう。
席について問題を解きなさい。」
「はい。」
「他の者は、続きをやりなさい。」
「は〜い。」
席に着くとルシエンは、こっちを見ていたアンネットに
「やあっ!」
っと小さな声で言って手を振りましたが、
アンネットはプイッと向こうを向いてしまいました。
がっかりしたルシエンに、前の席のジャンがこっそり言いました。
「へっ、ドジなヤツだな、ルシエン。」
「ジャン!静かに。」
先生に注意され前を向いたジャン、ルシエンはニヤッ!
そして、ポケットに手を入れていて中をゴソゴソ…?
まぁ、ルシエンたら、ポケットからトカゲを取り出しました!
今に見てろ…、おい…起きろ、起きろ…
でも、トカゲは、ルシエンの手の中で眠っていて起きません。
ルシエンは、トカゲをゆすったりこすったり…、でも、
ちょっと目を開いても、またすぐに上まぶたと下まぶたがくっついてしまうのです。
もう冬眠に入ろうとしていたところを、無理やり起こされた…と、
そんな感じです。
おい、寝るんじゃないったら…こら、起きろっ…
すると…
「ルシエン。」
先生が、様子のおかしいルシエンに声を掛けました。
「は、はい!」
「どっか具合でも悪いのか?」
「いえ、どこも悪くありません。」
「よろしい、続けなさい。」
「はい。」
…なんとかトカゲのことはバレずにすんだようです。
ルシエンは、今度はトカゲを逆さまにぶら下げて振ってみました。
もう少しで見つかるところだったぞ…起きろ…しっかりしろ…
あ、トカゲの目が開きました。
よし、いいぞ…
ルシエンは、トカゲをそっとジャンのイスのおしりの横に乗せました。
そして、自分の席に戻ると、耳をふさいで目を閉じたのですが…?
いくら待っても、何の騒ぎも起きません。
お?
ルシエンが不思議に思ってジャンのイスを覗いてみると、
あらあら、トカゲはジャンのおしりの横で、ぐっすり眠っているではありませんか。
これではジャンも、気づくはずがありません。
ルシエンは、もう一度ジャンのイスに近づき、
トカゲをつついて起こそうとしました。
こらこら…、ほらったら…
でも、よほど眠いのでしょう。トカゲはさっぱり動こうとしません。
ほらっ…
あ、トカゲがイスから床に落ちました!
びっくりして目を覚ましたトカゲは、あっという間にチョロチョロチョロっと…
ち、違う!そっちじゃない…!
焦るルシエンが止めるヒマもなく、斜め前のアンネットの足元に!!
「バカ!違うったら!!」
思わず立ち上がって叫んでしまったルシエン。
これには先生もみんなもびっくりです。
「ルシエン?何が違うのかね?」
「そ、その…、つ、つまり、あれです…」
「何を言ってるんだ、ルシエン?いったいどういうことなのかハッキリ…」
その時でした…
アンネットが、自分の靴に手を掛けて眠っているトカゲに気づいたのは。
「きゃぁ〜!!!!!!」
…結局、水をいっぱい入れたバケツを頭の上に乗せて、
教室の後ろに立たされたルシエンでした…。


その日の帰り…
「アンネットー!!待ってくれよ!」
さっさと先を歩くアンネットを、ルシエンが追いかけています。
「ねえ!」
でも、アンネットは返事もしてくれません。
「アンネット…、ごめんよ!
トカゲのヤツ、君の方へ行くなんて思ってなかったんだよ。」
アンネットは、ようやく足を止め、ルシエンの方を向きましたが、
それでもまだ黙ったままです。
「ホントだよ!ホントに悪かったと思ってるんだ。」
するとアンネットは言いました。
「わかったわよ。もうそのことで怒ってるんじゃないの。」
おや…、ではいったい何を怒っているのでしょう?
きょとーんとしているルシエンに、アンネットは言いました。
「悔しくないの?あんなヤツにバカにされて。」
「悔しいさ、だから仕返しをしてやろうと思って……」
「仕返しするんなら、もっと正々堂々とやりなさいよっ!」
「そんなこと言ったって…。ジャンのこと、気にするなって言ったくせに。」
「あの時はあの時!私いま、すっごく腹が立ってるんだから。」
「…………………」
「だいたいルシエンは、気が小さすぎるわよ。
だからみんなにバカにされるの。」
「…気が小さくなんかないさ。」
「小さいわよ!ジャンの言うとおり、グズで弱虫よ!」
するとルシエンが怒り出しました。
「ああ、グズで悪かったな!
なんだい、自分だっておてんばでそそっかしやのくせに!」
「おてんばだからどうだって言うの?!」
「生意気だってことさっ!」
「言ったわね!ルシエンなんか大っ嫌いよ!!」
ふんっ!とそっぽを向いたアンネットに、ルシエンはしまった!と思いましたが、
売り言葉に買い言葉…
「あ、ああ!嫌いでけっこうっ!!」
こんな心にもないことを言ってしまったのでした。
井戸から流れる水を逃がす小さな溝をはさんで、
背中合わせのアンネットとルシエン…。
そんな2人に、救いの女神がやってきたようです。
ちょうど近づいてきた馬車に乗っていたのは…?
「ルシエーン!」
「あ?…姉さん!!」
馬車の窓から手を振っているのは、ルシエンのお姉さん、マリーでした。
ルシエンとアンネットは、急いで馬車の近くに走りました。
「こんにちは、マリーさん。」
「こんにちは!アンネット。」
「こんにちは、ハイドさん。」
アンネットは、手綱を握っていたハイドさんにもごあいさつしました。
「はい、こんにちは。
2人とも家へ帰るんだろ?どうだ?乗っていくかな?」
「乗っていいの?」
「ああ、もちろんだ!」
「すいません、ハイドさん。」
マリー姉さんがそう言うと、ハイドさんは、
「なぁに、どうせシャトーデーへ行く途中だ、さ、乗った乗った!」
と、言ってくれました。
「わぁーい!ありがとう!」
2人は喜んで馬車に乗り込みました…が、
「こっちへ座りなよ、アンネット。」
ルシエンの言葉に、アンネットはプイッ!
そして
「ふんっ。」
っと、ルシエンから離れたところへ座ってしまったのです。
「…ふんっ!」
ルシエンだって負けずに反対方向に顔を向けました。
それを見たマリー姉さんは、
「どうしたの?2人とも。いつもはあんなに仲が良いのに。」
と、ちょっとびっくり。
だって、こんな2人を今まで見たことがなったのですから。
「今日からはそうじゃないの。」
アンネットは、ブスッとしたまま答えました。
「ははぁ、さてはケンカしたな?」
その時、ハイドさんが尋ねました。
「もういいかな?」
「あ、はい、お願いします。」
「よぉし、それ!」
ピシッ!
ハイドさんのムチで、馬車はゆっくり進み始めましたが、
それでも2人は顔を背けあったまま。
「姉さん、モントルーのホテルはお休みなの?」
少しして、ルシエンがマリー姉さんに聞きました。
「そう、今日と明日の二日間。」
「じゃあゆっくりしていけるね!!」
「ええ。」
「ねえ、モントルーってどんなところ?」
「そうねぇ…、とっても大きくてキレイな町よ。」
「シャトーデーくらい大きい?」
「バッカね、シャトーデーの何十倍もよ。
町の目の前にはレマン湖っていう大きな湖があるの。
そしてね、その湖のほとりには、
それは大きくてキレイなお城が建っているのよ。
それが有名なシヨン城っていうの。」
「…いいなぁ、姉さんはそんなキレイなところにいられて。」
「バッカねアンタは!
私はここが一番好き…このロシニエールが。」
マリー姉さんは、そう言って窓の外に目を向けました。
マリー姉さんの大好きな、生まれ育ったこの町の景色は、
昔とちっとも変わらず、いつもやさしくマリー姉さんを
『お帰り!』
と、迎えてくれているようでした。
「でも、ボクは行ってみたいや!」
「そうね、そのうちに連れてってあげるわ。
もちろん、アンネットもね。」
するとアンネットは、
「あたし…あたし、父さんと母さんが許してくれるなら。」
と、うれしそうに答えました。
ルシエンと同じように、
アンネットもマリー姉さんの話を聞いて、
モントルーへすごく行ってみたい気持ちになっていたのです。
「そうね、その時は3人で一緒に行きましょう。」
「そうしようよ、アンネットっ!」
「うんっ!」
…どうやら、元の仲良しに戻ったようです。


「お腹すいたよ、ボク。」
「相変わらずなのね、ルシエンは。」
ルシエンとマリー姉さんが家に入ろうとすると、
中からお母さんのこんな声が聞こえてきて、
2人は思わずドアの前で足を止めました。
「返さないとは言っていません。
もう少し待って欲しいって申し上げてるんです。
お願いです…、返す目処ができるまでは待ってください!」
すると、お母さんの前に座っている男が言いました。
「その目処っていうのはいつのことだね?」
「い、いつと言われても…」
お母さんが、すっかり困った顔で下を向いたとき、
ドアが開いて、マリー姉さんが入ってきました。
「どうしたの?母さん。」
「マリー…、父さんの残した借金をすぐにも払えって言うんだよ。」
お母さんは、マリー姉さんに証文を見せました。
「…まぁ、こんなに利子が!!」
すると男は、証文をマリー姉さんの手からひったくるようにして取り、
「そりゃあ仕方がないさ。2年もほおっておきゃ、増えるのがあたり前さ。
いいかい、モレルさん?どうしても払えないって言うんなら、
この家を出てってもらわなきゃいかんが、それでもいいのかね?」
と、ちょっと意地悪そうに言いました。
「そんな!…家を出るなんてそんなことはできません。」
「母さん…」
マリー姉さんは、泣き出したお母さんの肩にそっと手を掛け、
そして、男に言いました。
「お借りしたお金は、何年かかってもきっとお返しします。
毎月の私の給料から差し引いてでもお返しします。
だから…、今日は帰ってください、お願いします。」
「それじゃあ今日は帰ることにするが、約束は約束だからね。
今度来る時までには、どういう風に払うのか、はっきりさせといてもらうよ。」
帽子をかぶって帰っていく男の後姿に、
「べーっ!」
っと、ルシエンは思いっきり舌を出してやりました。
お母さんは、両手で顔を覆ったまま
「どうしてこんな苦労をしなきゃならないんだい。
父さんがいないばっかりに…」
そう言って、泣き続けていました。
「大丈夫よ、母さん。借金があったって死ぬわけじゃないし。
私たちが元気で働きさえすれば、いつかは返せるわよ。」
マリー姉さんは、お母さんの背中をやさしく撫ぜてそう励まします。
「でも、私たちにとって、50フランは大金だよ…」
「大丈夫だったら!私が一生懸命働くから。
それに、ルシエンだって、大きくなったらきっと役に立つようになるわ、
ねえ、ルシエン?」
「うんっ!」
ルシエンは、大きくうなずいてみせました。
お母さんはやっと顔を上げ、
「ありがとうよ、おまえたち。」
そう言って、涙を拭いました。
「さ、晩御飯のしたくをしなくっちゃ。」
マリー姉さんが部屋を出て行くと、
ルシエンは、ポケットからハンカチを出してお母さんに差し出しました。
「母さん、ほら!」
「ありがとう、ルシエン…、
おまえがいつもこうならねぇ…」
「へっ…?」


― ルシエンの家にこんな災難が起こっているなんて、
無論アンネットは知る由もありません。
アンネットは、まもなく生まれる赤ちゃんに
どんな名前を付けようかと、それを考えるのに夢中でした。 ―



アンネットの家では、暖炉のそばで、お父さんとお母さんとアンネットが、
もうすぐ生まれる赤ちゃんのことを話しています。
「フローベル、ダニエル、ヒュード、アニアン、アルシェスト、
ラントラート…うん…、どの名前にしようかな?
母さん、どれがいい?」
ステキな名前がいっぱいありすぎて、アンネットはずっと迷っているのです。
「あなたの一番好きな名前にしなさい。」
そう言って、お母さんはにっこり笑いました。
「フローベル、ダニエル…ダニエル…!!
やっぱりダニエルだな?ね、母さん!ダニエルでいいわね?
ダニエル…ダニー…!かわいい名前だと思わない?」
うれしそうに尋ねるアンネットに、お母さんはこんなことを言いました。
「男の子の名前ばかり考えているけど、女の子だったらどうするの?」
「ううん、絶対男の子よ。間違いないわ!
だって、ずーっと前から弟が欲しいなって思ってるんだもの!
ね、ペーペル、おまえもその方がいいわよね?」
「わぁんっ!」
ペーペルもきっと「うん!」と言ったのでしょう。
アンネットは、自信満々です。
「どうします?父さん、男の子を産みましょうか?
神様にお願いして。」
お母さんは、笑ってお父さんに言いました。
「神様が承知してくださったらな。」
パイプを持ってお父さんもニッコリ笑い、ゆりイスを揺らします。
「もし、ダメだっておっしゃったら?」
お母さんがアンネットに尋ねると、アンネットはちょっと困った顔をしましたが、
「うーん…、その時は妹で我慢する。
その代わり、うーんとかわいいやさしい子でなきゃイヤよ。」
と、すぐお母さんに注文をつけました。
「はいはい、承知しました。
アンネット?弟にせよ妹にせよ、あなたはお姉さんになるんだから、
今までのようにわがままじゃだめ。
誰にでもやさしく、聞き分けのよい子になってくれなきゃ。」
ほぅら、お母さんからも、アンネットにすごい注文がついてしまいました。
「はいっ!」
「それから、ルシエンとも仲良くしなきゃダメよ。
小さい頃からの一番のお友だちなんだから。」
「はい!もう絶対にケンカはしないわ。
だって私…お姉さんになるんだもの!」


ろうそくを持って自分の部屋へ戻ったアンネットは、
窓の外に雪がチラチラ落ちているのに気がつきました。
「わぁ、キレイ!」
窓を開けてみると、遠くにそびえるアルプスの山々が、
白くぼんやり浮かび上がって見えました。
「うふっ!お姉さんか…」

「冷えると思ったら雪が降ってきたよ。」
雪に気づいたお父さんが、お母さんに言いました。
「あら、ホント?」
「体に気をつけて、丈夫な子を産まないとな。」
お父さんは、暖炉にちょっと多めに薪をくべました。
お母さんと…、そしてお腹の赤ちゃんのために。
「ええ。」


― いつもより一足早い冬の訪れでした。
やがて、このロシニエールの村も、白一色に埋まることでしょう。
冬を迎えて、アンネットとルシエンには、
どんな出来事が待っているのでしょうか。 ―



第1話 おしまい

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