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ラーゼフォン 多元変奏曲のエンディング


紫東(しとう)遙が目を覚ます。
そこは青い壁に囲まれた空間。目の前に神名麻弥がいる。

遥「おばさま……? ここは?」
麻弥「あなたがいなければ良かった」
遥「え?」
麻弥「あなたがいなければ、あの子はここまで苦しまずに済んだはずなのに。あなたが外の世界を見せなければ」
遥「違います! 私はただ……」
麻弥「あの子を愛してたのは私だけで良かったの」
遥「え……?」
麻弥「あの子に苦しみを与えたのは、私の責任なの。あの子を作り出してしまった私のね」

麻弥の足元に、壊された箱庭のブロック玩具。

麻弥「だから、私はすべてを与えるつもりだった。あの子の宿命を支えてあげられるのは、私しかいないはずだったから。なのに、あの子は自分の世界を見つけてしまった」
遥「……」
麻弥「あなたがいる世界を。あなたとの世界を」

青い鳥が舞う。

麻弥「私は、もうあの子と苦しみを分かち合うことはできない。それはあの子が望まなかったから」

青い鳥が舞った先には、学校の形に組み上げられたブロック玩具が。

麻弥「悔しいけど、あの子が望んだのは消したはずの遠い想い出」
遥「……」
麻弥「さっさと行きなさい」
遥「え……?」
麻弥「そんなにあの子と苦しみたいんだったら、一緒に苦しんであげて。それができるのは、あなただけよ……遥ちゃん」

周囲を囲んでいた青い壁がカーテンのように落ち、夕陽に照らされた空が広がる。

麻弥「息子を……頼みます」
遥「……おばさま……私……」

麻弥が遥の背後を指差す。
遥が振り向いた先には、かつて自分と綾人が過ごした街が広がっている。

麻弥「急ぎなさい」
遥「おばさま!」

遥が麻弥のほうを振り向くが、既に麻弥の姿はない。

遥「ありがとう……行ってきます!」

街へと遥が駆け出す。


神名綾人と如月久遠、2体の真聖(しんせい)ラーゼフォンが取っ組み合い、歌声を張り上げる。
上空目掛けて黒い翼が伸びてゆく。


夕陽に照らされた街を遥が駆ける。

遥 (変わらない……あの頃と何も変わってないこの気持ち……そうだ、そのなのよ! 私、逢いに行くんだ! 神名くんに!)

やがて、遥が湖のほとりに辿り着く。
綾人がそこにいる。

遥「神名くん……神名くん!」

遥が綾人に駆け寄る。

綾人「良かった。来てくれたんだね」
遥「あ……ここは、どこ?」
綾人「ここは、現在。過去から繋がる物語が集約されているところだよ」

湖の上。空中で水鳥が静止している。

遥「でも、時が止まってる? ねぇ、私生きてるの? それとも死んでるの?」
綾人「君は生きているよ」
遥「神名くんは?」
綾人「僕も存在している。いつでも、どこでも。僕は、時と時のはざまに生きる『時の観測者』になったから」
遥「……もう人ではないのね」
綾人「そうだね……」
遥「これから、どうなるの?」
綾人「再び時を見ることを始めれば、時は流れ始める。僕がいなかったから、世界は不協和音で満ちていたけど、もう大丈夫だよ」
遥「……戻って来れないの?」
綾人「うん。僕がここにいなければ、世界は再びノイズにまみれちゃうからね」
遥「私、ここにいちゃダメ?」
綾人「残念だけど……僕は君に生きていて欲しいから。そのためにここにいることを選んだんだから」
遥「……」

遥が肩を震わせる。次第に瞳に涙が滲む。

遥「好きだよ……神名くん……」
綾人「僕もだ……」

遥が涙を堪えきれず、瞳を手で覆う。

綾人「泣かないで」
遥「だって……!」
綾人「だから最後に、君に選ばせてあげる」
遥「……!?」
綾人「でも未来は選べない。それは君が人間だから。人間が人間として存在し続けていられるのは、人間が過去の記憶の集合体として存在しているから……だから、君に選べるのは過去だ。君はどんな過去が良かったの?」
遥「……私は……私は神名くんと同じ世界の空気が吸いたかった……私は神名くんと同じ地面を踏んでいたかった……同じ時間を過ごしたかった……私は、私は……私は、神名くんと一緒に大人になりたかった!!」

涙の粒がはじけ飛ぶ。


周囲の景色が一変する。
そこは、綾人と遥の想い出の場所──夕陽の照らす、中学校の教室。
教室の片隅で、中学生姿の遥がピアノを奏でており、その傍らには中学生姿の綾人がいる。

綾人「やっと、辿り着いた」
遥「ここって……?」
綾人「ここに来れたのは、君が望んだからだけじゃない。僕だった存在が、望んだからでもあるんだ」
遥「神名くんも!?」

突如、綾人が倒れる。咄嗟に綾人を抱きとめる遥。

遥「神名くん!?」

教室の窓際にもう一組、当時の綾人と遥に瓜二つの少年と少女が現れる。

少女「そしてあなたが、そうだったように」
遥「え?」
少女「あのとき神名くんもまた、あなたに心を奪われていたの。だから、神名くんはあなたであって、あなたは神名くんでもあったの。私たちにとってはね……」
少年「ありがとう。君が来てくれなければ、君が望んでくれなければ、世界は無へと帰していた」
少女「ごめんなさい……いくら私たちでも、時間を巻き戻すことはできないの」

壁にかかった時計は、時が止まったまま。

少女「その代わり、あなたたちに想い出をあげる。本当なら過ごせたはずの、2人一緒の時間を……」

時計が再び、時を刻み始める。
ピアノのそばで、中学生姿の綾人と遥が抱き合う。

遥「そう……これが、私たちの……」
少年「そう、ここから始まるんだ」
少女「2人の想い出がね」

中学生姿の綾人と遥がキスを交わす。

遥「あなたたちはどうするの? あなたたち、ラーゼフォンなんでしょ?」
少年「……僕たちは、いるべきところへ戻るだけだよ」
少女「でも、寂しくなんかはないわ。だって、2人一緒だもの」
遥「そう……幸せにね」
少年「それは僕らが、君らに言うべきことだよ」
遥「……ありがとう」


2体の真聖ラーゼフォンが取っ組み合う。
翼が砕け散り、代って光の翼が空高く伸びてゆく。
歌声と共に、無数の羽毛が舞う。全世界を覆いつくさんばかりに無数の羽毛が乱舞する。
やがてラーゼフォンが巨大な光球と化し、世界を包んでゆく。

その状況に驚愕するエルンスト・フォン・バーベム卿。

バーベム「何だ!? 何が起こったというのだ!? これが私の造ったシステムの輝きだというのか!? 違う!」
功刀「違いはしませんよ。これが我々の……いや、我々の跡を継ぐべき者たちの選択です」

功刀仁が銃を構える。

バーベム「裏切ったというのか? 奏者が」
功刀「裏切り? 何を言ってるんです? 彼はMU(ムー)と人間の血を引く、生きとし生ける私たちすべての子供なんですよ!」
バーベム「あの少年の血は青い! 私と同じ血なのだ!」
功刀「青い血が何だというんです? 彼は、あなたが生み出し、我々が育ててしまったこの状況を救おうとしているのですよ。生きようとする者の責任として」
バーベム「バカめ……」
功刀「いかがですか、バーベム卿。我々も責任を取るべきじゃないですか?」
バーベム「……私は創造主なのだぞ!」
功刀「人が知覚できる神など……神ではありません!」

銃声。


綾人と遥が再会した湖のほとりに、麻弥と久遠がいる。

久遠「ありがとう。麻弥のおかげだよ」
麻弥「そういうことだったのね……姉さん」
久遠「さぁ、帰りましょう」
麻弥「帰るって……どこへ?」
久遠「想い人のところに」


「始まりは終わりの そして 終わりは始まりのために──」


如月樹、六道翔吾、紫東恵がそれぞれの想いを胸に、羽毛の舞い散る空を見上げる。


ラーゼフォンの光に包まれた地球全体が、巨大な卵と化してゆく……。


60年後


西暦2072年8月15日


遥「不思議なる国を彷徨い 永き日を夢見て暮す 束の間の夏は果てるまで 金色の夕映えの中 どこまでもたゆたえゆかん 人の世は 夢に非ずや……」

和造りの家の縁側。すっかり老いた遥が、孫娘の玲香に「鏡の国のアリス」を読んで聞かせている。
玲香の容姿は、中学生時代の遥と瓜二つ。

玲香「ねぇ、おばあちゃん。結局アリスは、本当に現実の世界に戻ったのかなぁ?」
遥「どうして?」
玲香「だって『人の世は夢ではないのか』って言ってるんでしょ?」
遥「そうね。だけどアリスは、本当に夢の世界に行ったのかしら?」
玲香「えっ?」
遥「結果的にアリスは現実の世界に戻って来たけど、本当はそれってどうでもいいことなのよ。どっちの世界が現実なのかなんて関係ないわ」

玲香の手にしているアルバム。綾人と遥の結婚式の写真が貼られている。

遥「だって、彼女には記憶が残ってるんだから。鏡の国で経験した素敵な記憶が……少なくともそれは、彼女にとっては現実なんじゃないかしら。それでいいんじゃない? おじいちゃんはそう言ってたわ」
玲香「おばあちゃんてホント、おじいちゃんのこと好きだったんだね」
遥「え? どうして?」
玲香「だっておばあちゃん、二言目にはすぐおじいちゃん、おじいちゃんって言うんだもん」
遥「あら、そう?」

部屋の隅の仏壇。「世音院綾人法源居士」と記された位牌。

玲香「でも、そっかぁ。おじいちゃんって、ホント愛されてたんだね……おじいちゃんも、おばあちゃんのことちゃんと愛してくれてた?」
遥「大人をからかわないの」
玲香「エヘヘ!」
遥「はい、お話はここまで。話しすぎて喉が渇いちゃったわ」
玲香「あ、じゃあお茶持って来るね。麦茶あるから」

玲香が駆け去る。

遥「走ると危ないわよ、玲香」
玲香「大丈夫!」


しばし手元の本を見つめていた遥。

遥「あ……」

目の前に、若き日の綾人が立っている。

遥「神名くん……」

遥もまた、若き日の姿に戻っている。


やがて、玲香が麦茶を持ってくる。

玲香「おばあちゃん、お待たせ! ……あれ?」

遥の姿はない。

玲香「おばあちゃん……? おばあちゃん!? もう……またどっか行っちゃったの? おばあちゃぁん! ねぇ、どこ!?」


調律後の地球の姿が映し出される。


太平洋上には、かつて滅んだといわれる伝説の地、ムー大陸が浮かんでいた──


(終)
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